第74話 3日目 開場中の捕り物
小竹が聞いている横で、あかねは無線を発信する。
「ネノ瑞光寺からハパ椎名さん。取れますか」
『はーい、ハパ椎名です、どうしました?』
「ネブロックガレリア側の小竹さんの補助をお願いしたいのですが」
『合点! 小竹さんと合流しますね!』
ブロック員ながら無線を持っていた小竹は、自分の役割を察して小さくうなずいた。
椎名と協力してトラックヤード側の列を整理する。副ブロック長に余計な心配をかけさせることなく窃盗犯の確保に集中してもらう。
「あー、まだ窃盗犯と確定したわけじゃないから無線では流せないか」
「ええ、その通りですわ。小竹さん、こちらお願いいたしますわね」
自責の念にはまりそうになっていたあかねの目に、力が戻る。
小竹はその様子を見て、力強くうなずいた。
「あいよ。確定したらちゃんと助けを呼びなよ」
「承知いたしましたわ」
忘れないうちに、Chikiに触った痴漢の件も流しておく。ホール長和泉の了解の声を確認し、改めて目の前のことに集中する。
ヌブロックのサークルスペース内、チラチラと物色するように歩く男から目を離さず、あかねは携帯を取り出した。
「神崎、今どこかしら」
『お近くに』
「では来なさい」
『はっ』
短いやり取りの後、人ごみをもろともせずに神崎があかねに寄り添った。
あかねは怪しい男から目を離さず神崎に話しかけた。
「お嬢様、何かありましたか」
「サークルスペース内を歩いているグレーのシャツの男性、分かるかしら」
「……今机の向こうを歩いている男ですか」
「そう。あの男が窃盗犯の可能性があります。少し離れて尾行なさい。なるべくスタッフで対処しますが、もし逃げるようなら確保に協力して」
「分かりました」
また男性の力が必要にある可能性がある。
信頼できる神崎がいてくれるなら、失敗する確率が減らせるだろう。
神崎の気配が消えると、いつの間にか中央横通路に出てきた。
怪しい男はニブロックのガレリア側の島へと侵入する。
間違いでもない限り、普通のサークル参加者はそんな動きをしない。
グレーからどんどん黒へと近づいていく。
「一条さん」
「!」
相変わらず中央横通路の定点に立つ彼女は、どういった反応化もすぐわかる。
あかねは、一条が警戒しながらもちゃんと話を聞いてくれていると信じながら言葉を続ける。
「緊急事態です。窃盗の現行犯の可能性があります」
「……どれ」
一条の声が緊張の色を帯びる。
あかねは先ほどの神崎にしたのと同じように、不審者の情報を共有する。
「まだ未確定なのですが」
「分かった。念のため共有しておく」
すぐさま無線を発信する一条の声を聞きながら、なおもあかねは追跡を続ける。
ニヌブロックはあかねを人ごみ隠すにはちょうど良く、しかし歩きにくくはない絶妙の混雑であった。
このまま監視を続ければ、いずれ何か犯行に及ぶだろうか。
そもそも目撃した時から何か持っていたので、すでに窃盗を働いている可能性が高い。
「あら怖い顔。どうしたのかしら」
「冷泉さん、協力していただきたいことがありますの」
「……聞くわ。さっきの一条の連絡ね」
「今ニの……あれは……50の」
あかねがそこまで言った瞬間、男は無人のサークルスペースに一歩踏み込んで何かを手に掴んだ。
「「あら」」
ちらりと手の間から、お札のようなものが見えた。
隣のサークルは携帯に目を落としていて気付いた様子はない。
あかねと冷泉は一瞬目を合わせると、小さくうなずき合った。
「……やったわね」
「やりましたわね」
「現行犯、しかも私たちふたりが目撃している」
「ええ」
近くを歩くスタッフの姿を見て、慌てて目をそらしている。これはもう確定だろう。
後は逃がさないようにするだけだ。
神崎の姿は見えないが、恐らく東5ホール側にいてくれているのだと思う。
「冷泉より各局。先ほどの一条の件で緊急事態。本部は何人かすぐ出られるようにしなさい。ツテ、トナブロックから何人か中央縦通路のガレリア側で待機して。犯人は現在ニブロックの53と54の間の通路に出たわ……東6の中央縦通路方面に向かってる。あと一条、取れると思うけどニヌの全員を使ってこれに当たって。以上」
『了解です』
「続けて冷泉から各局。対象はグレーのシャツにデニムジーンズの男性、短髪中背、黒のトートバッグ。どう動くか分からないので注意してね。以上」
『こちら本部。ありがとう冷泉さん。そちらも気を付けて。以上』
本部からの返信を聞き届け、準備が整った。
「さすがにもう逃げますわね」
「恐らく。これ以上は犯人にとってもリスクが高くなりすぎる。一旦ホールから出ようとするんじゃないかしら」
「人ごみに紛れるより移動の速さを重視して大きな通路、というわけですわね」
さて、と改めてあかねと冷泉が並び立つ。
決して広くない横通路に並ぶ美女ふたり。片やアイプロの社長のコスプレであるスーツ姿の黒髪。片や涼しげな水色のブラウスに明るいふわふわの栗毛。対照的なふたりだがお揃いの腕章とスタッフ帽子に異常な存在感があった。
道行く人も周囲のサークルも何事かと目を見張る。
「どうやら気づいたようね」
蛍光色のスタッフ帽は、遠目でも目立つ。東6スタッフの三割を動員しながら、徐々に包囲網が狭まってくる。
ニヌとツテトナのブロック員はブロック間の通路をしっかり固め、中央縦通路にも複数人待機している。
あかねと冷泉の位置から見れるということは、当然犯人も気づいているだろう。
犯人の男はぐるりと一周見まわして、手薄そうに見える東5ホール方面に目を付けたようだ。
存在感がある女ふたりがいるが、突破できると踏んだのだろう。
「来たわね」
「まあ、そうですわよね」
速足気味にこちらに向かってくる男は、数メートル前で突然走り出した。
あかねと冷泉を突破しようという意図だろう。
ふたりは何も言わずとも少しだけ左右に分かれ、通路の真ん中を開ける。
他の参加者をうまくすり抜けた犯人は、人の多い東5を目指して加速しようと踏み込みを強くした。
「ハッ!」
冷泉が掛け声とともに、側面から足をかけようとする。
その大げさな動きは見切っていたと言わんばかりに、男は小さくジャンプして回避する。
しかしそこで待っていたのは、あかねの正確な蹴り。
正山が動きやすさを重視して作り上げた衣装は、あかねの動きを一切邪魔しなかった。
スパァン!
湿った空気が充満するホールの一角で、妙に乾いた音が響く。
次の瞬間、男は大きくバランスを崩して地面を転がっていた。
「神崎!」
「はっ!」
あかねの声に答え、鍛え上げられた筋肉の塊が男を抑え込む。
解こうとしているのか観念しているのか分からないが、ともかく男はがっちりと固められて動かなかった。
そう間を置かず、東6のスタッフが駆けつける。
「何なんだよ畜生!」
最終的に女ふたりにこんな状況へと追いやられたことを理解した犯人は、聞くに堪えない罵詈雑言を喚き散らす。
しかし言われているふたりはどこ吹く風と言わんばかりに、組み伏せられた犯人を並んで見下ろす。
「あらあら。品がないわねえ」
「まったくですわね」
あかねの鋭い目と、冷泉の糸目から見える刺すような視線に射抜かれ、犯人は言葉を失った。
東6の本部スタッフにより、地区本部へとへ連れて行かれる犯人。
あかねと冷泉は関係者として地区本部で話を聞かれることになるらしい。
「瑞光寺からネノ江口橋さん。東6で窃盗の犯人を確保いたしましたわ。いったん地区本部に向かうようですので、しばらく不在にしますが、よろしくお願いいたします」
『了解』
無線から声が聞こえたと思った直後、ネブロックに立つ江口橋がこちらを見ていた。
立ち位置から察するに、どうやら助けに来てくれようとしていたらしい。
微妙に気恥ずかしいのか、いつもより言葉は少なめだ。
ふとその先を見ると、メイド姿の椎名と君堂の後ろ姿が見えた。
ネノブロックの矢原もちらちらとこちらを伺っている。
あかねはようやく、東5のスタッフも援護に入ってくれていたのだと気が付いた。
「ネノ瑞光寺より……みなさま、ありがとうございました。以上ですわ」
あかねは短く無線を発信する。
仲間が、いたのだ。
自分の後ろに。
もし自分が仕損じても、どうにかフォローしてくれただろう。
「お手柄だったな、瑞光寺さん。それに冷泉さんも」
江口橋がねぎらう。
あかねは黙って頭を下げ、冷泉は大げさにため息をついた。
「まったく、退屈しないコミマですこと。こんなに忙しないのは久しぶりだわ」
「瑞光寺さんの観察力のおかげだろう。きっちり解決しているしな」
放置していたら、一体どうなっていただろうか。
想像するだけでも恐ろしい。窃盗被害に遭ったコミマなど、ずっと引きずる悪い思い出にしかならない。
どれほど本が売れても、どれほど知り合いに会っても。
「もしかして瑞光寺さんがトラブルを呼び込んでいるのではないの」
そう言い放つ冷泉の声に、冷や水を浴びせかけれたような気がした。
江口橋が一歩前に出て、あかねを庇う。
「冷泉さん、さすがに失礼だろう。頭を冷やした方がいい」
冷泉は肩をすくめると、数歩江口橋から距離を取った。
「ああ怖い怖い。瑞光寺さん、ここは東6で対応するのでよろしくてよ。またお話を聞く必要があるときには連絡するわ」
「……承知いたしました」
また、冷泉から突き放されたような気がした。
さっきは心が通じ合ったと思ったのに。
「瑞光寺さん、休むか?」
「……いえ、まだ混雑がありますもの。投げ出すわけにはまいりませんわ」
ひとまずは目の前の混雑をどうにかすることから。
自分は、ネノブロックの副ブロック長なのだ。
まだ、放り出すわけにはいかない。
心配そうに見る江口橋の視線にも気づかず、あかねはネノブロックへと足を踏み出した。




