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同人誌即売会と悪役顔令嬢  作者: 狐坂いづみ
C98夏編
82/171

第73話 3日目 立て続けに起こる

 開場直後こそ一般入場列を遠目に見るぐらいの余裕があったネノブロックだが、ワンテンポ遅れて混雑の波が襲い掛かってくる。

 ここに配置されているサークルは、それなりの人気があるところばかり。三番目四番目にこのあたりのサークルを買って回る参加者が多いためだ。

 その人ごみにあってなお、今日の担当スタッフの存在感は群を抜いている。

 

「社長だ……」

「立ち止まらないようにお願いしますわね」

「はい」

 

 一瞬あかねに見とれていた参加者が、注意を受けて背筋を伸ばす。

 ご当人のエロ本を買いに来た後ろめたさもあってか、言われるままに素直に従っている。

 夏の暑さの中、あかねの周囲だけ冷たく温度が下がっているように感じられる。

 

 そしてそう遠く離れていない場所で、こちらは涼やかな温度の下がり方をしていた。

 なぜかコスプレイヤーのChikiが混雑対応をしているエリアである。

 朝早めに入場していた彼女はあかねを見つけスタッフ業務のお手伝いを買って出た。

 ちょうど人手不足だったネノブロックにとっては大変ありがたい。

 

「できるだけ前に詰めてくださいね」

「は、はい。紅葉さん、可愛いですね……」

「ありがとうございます!」


 とびきりの営業スマイルを振りまきながら、列の圧縮を行う。

 開場前から先ほどまで小竹に教えてもらった技術を、早速ものにしている。

 Chikiもまた、自分が望まれているように振る舞うという能力に長けているのだった。

 ネノブロックトラックヤード側は、二人のコスプレスタッフの存在感と、小竹の実務処理能力によって順調そうに見えた。

 少しずつ参加者の密度が増しているが、あまりに厳しそうならハパから増援が出てくるはずだ。


 そんな中、小竹が混雑の合間からあかねに手招きをした。

 ほとんど絶え間なくパケットと列の圧縮をしている小竹はその場を動けないようだ。

 

「小竹さん、どうかなさいまして」

「ああ、瑞光寺さん。ちょっと困ったことになった」

「困ったこと、ですか」


 小竹はいったん手を見せて会話を中断すると、少し離れたChikiに向かって声を上げる。

 

「前に詰めてくださーい! 紅葉さん、6人送って! ……ああ、矢原の混雑予想にあったネ22のサークル、遅刻らしい。ご丁寧に正午からの頒布開始予告付きだ」

「時限……」

「そういうこと……紅葉さん、ありがとう。札後ろにお願いしまーす。はい、ありがとうございます」


 列を持ってきたChikiは、嬉しそうに目だけであかねに挨拶すると、急いで元の場所に戻って行った。

 さすがに会話をする余裕は無いらしい。


「すみません、前に詰めてくださーい! ……ハの誕生日とシの内壁の列と在庫を見ていると、どうもあっちには伸ばせそうにないな」

「ということは東6ホール方向ですわね」

「ネゴを頼みたい」

「もちろん。承知いたしましたわ」


 こういう時のために自分がここにいるのだとあかねは胸を張る。

 額に汗を浮かべながらうなずく小竹に見送られ、あかねは東6ホールのニヌブロックへと足を踏み入れた。

 


 ニヌブロックはネノほどの混雑は無いが、隣接しているためか人の流れがかなりある。

 ニヌブロックの責任者は存外早く見つけることができた。

 中央通路で立ち止まりながら全体を見張っている白ワンピは、よく目立つ。


「一条さん」

「!」


 毎回大仰に驚かれている気がするが、気のせいだろうか。

 切れ長の目が大きく見開かされる様は、猫が驚いたときの表情を思わせる。

 

「朝少しお知らせしていた誕生日席のサークルが、遅刻と時限になりそうですの」

「分かった。こっち使うのは平気。トナブロックにも言っておくから安心して伸ばしていい」


 報告には驚きもせず、淡々と返事をする。

 すっと指で汗をぬぐうと、あかねに向かってうなずいて見せた。

 

「冷静ですのね」

「こうなるだろうって冷泉が言ってた」

「慧眼ですわね」


 女王然とした冷泉は、しかし確かな能力があるようだ。

 でなければブロック長はできないだろう。

 一条が見つけやすい位置に立っていることも彼女の指示だろう。

 思ところが無いわけではなかったが、当初の方針の通り東6を頼らせてもらうことにする。

 

 一条と別れたあかねはまたトラックヤード側の外周へと戻ってきた。

 シブロックの列が複数伸びていて、外周通路の流れが目に見えて悪くなっている。

 先ほど小竹が分析していた通り、この方向へ列を伸ばすのはほぼ不可能だろう。


 外周通路はホールの境目で狭くなっているが、この部分は不思議と流れが悪くはない。

 壁際に立ち止まる人もおらず、なにより自主的に左側通行のように秩序ができていた。

 その狭間に立つあかねは、感心してその様子を眺める。

 コミマ参加者のレベルの高さを実感していた。

 

「『社長』お疲れ様です!」

「あら『紅葉さん』お疲れ様」


 そのふたりの挨拶だけで、周囲の注目が集まっているのを感じる。

 

「ネの17aは先ほど完売して、列がなくなりました」

「早いですわね。パケット送りがスムーズだったから頒布が順調でしたのね。ありがとう」

「い、いえ……」

 

 褒められて照れているChiki。

 傍から見ればアイプロの社長に褒められるアイドル。

 通り過ぎる参加者たちは、混雑の中でカメラを構えるわけにはいかず、目に焼き付けようと凝視しながら歩いていく。


「あと、ネ22に人が集まっているようなのですが……」

「遅れて頒布が始まる予定ですのよ。でも人が集まっては困りますわね」

 

 まだ混雑している中、通路で立ち止まらないようにお願いをしなければ、とふたりが歩き始めた時だった。

 

「ひゃっ!」


 Chikiの叫び声が小さく漏れた。

 何があったかを一瞬で察したあかねは鋭く声を上げる。

 

「安威!」


 思いのほか大きくなったあかねの声に、周囲の空気が一瞬凍り付く。

 少し後ろについてきていた安威が、求めることを察して一人の男の腕を掴んでいた。

 

「……現行犯ですわね」


 男を見下ろすあかねの視線は、まるで鋼のように冷たく鋭い。

 先ほどChikiが声を上げた時、この男に触られたのだ。

 

「なっ、なんだよ何もしてねえだろ!」

「見ておりましたの、あなたが触るところを」

「ちょっと当たっただけだ! 離せよ!」


 男が身じろぎしても、安威の拘束からは逃れられる気配がない。

 それどころか余計に力を込めて男の手首を固めていた。

 

「あの、あのあかね様……私……」

「……Chikiさん。ここはいいから安威とホール本部へ。ホール長には話を通しておきますわ」

「えっ、で、でも……」


 彼女には珍しく、戸惑いと怯えを見せている。

 ここで彼女を使ってしまった責任を痛感し、あかねは目を伏せた。

 善意で手伝ってくれた彼女に対してあまりにも申し訳がない。

 少し不自然に、Chikiに近寄るように歩いてきた男のことを、もっと警戒するべきだった。


「わたくしの、せいですわね」


 Chikiに聞こえないように小さくつぶやくと、あかねは改めて彼女と向き合った。

 

「まずは、あなたの尊厳を守りなさいませ。ここは引くところではありませんわ」

「は、はい」

「ランウェイの貴女を思い出して。毅然とした貴女は素敵だわ」


 耳元で小さくささやかれたあかねの言葉にうなずくと、Chikiは安威の目を見て頭を下げた。

 

「安威、ホール本部までお願いね。ひとりで大丈夫かしら」

「問題ありません」

「そう。分かっているとは思いますが、私の大事な友人を傷つけた人間を逃さないようにね」

「はっ」


 心なしか背筋の伸びたChiki、いつもの通り重い歩みを進める安威、その安威に引きずられるように本部へ連れて行かれる男。

 ひとまず無線でホール本部へ痴漢の現行犯を連れて行く連絡を入れる。


「わたくしのせいで」

 

 当人たちのいなくなった今、どこにもやり場のない殺気があかねの周囲にあふれだす。

 その尋常ではない雰囲気に半径数メートルの参加者は委縮し、気まずい表情を見せていた。

 これだけの混雑、多くの参加者、そんな中で悪意を持った人間が紛れ込まないわけがない。

 そんな当たり前のことすら、身近な人が被害にあってようやく実感した気がする。

 さらに目に力が入ったところで、軽く肩を叩かれた。

 

「瑞光寺さん、少し力抜いて」

「ああ、小竹さん……」

「そんな表情で見られたら、参加者も楽しめないよ」

「……面目ありませんわ」


 自分の声が震えるのが分かる。

 同時に、どこか客観的に自分を見つめることができた。

 

『いかなる時も、優雅たれ』

 

 心の中で自分に言い聞かせ、深呼吸をする。

 

「暑いから頭に血が上りやすくなる。ましてや友達が被害にあったんだ。怒らないわけがない」


 穏やかに共感してくれる小竹の声に、少し気持ちが落ち着いてくる。

 直接現場は見ていないようだが、安威とのやり取りの中で大まかに察したらしい。

 

「瑞光寺さんはよくやってるよ。素晴らしい。さっきのも普通なら捕まえられない。できうる最良、最善を尽くした」


 年長者の小竹が、精一杯慰めてくれている。

 自分を責め続けていた中で誰かに肯定してもらえる安心感は、思いのほか心にしみた。

 

「本当は起こらないのが一番だけどな」

「そう、ですわね……」

 

 そう。

 起こってからの対応しかできない。被害者がいなければ加害者を罰せられない。

 悪意を持った人間だけを排除することはできない。

 だとすれば、やはり夢に見た悲劇は起こってしまうのだろうか。

 

「きついなら少し休んできてもいいよ」

「いえ……」

 

 励ましはありがたいと思うものの、無力感が付きまとう。

 小竹の言うように、男性参加者ばかりのこのエリアからいったん離れた方が良いかもしれないと思っていた矢先、あかねの思考は中断された。

 少し先、ヌブロックのサークルスペース内で不審な動きをしている男が目に留まった。

 視界から外さないよう、少し足を動かす。


「……小竹さん、少し離れますわね」

「ああ、構わないが、どうかした?」

「窃盗、かもしれませんわ」

「なんだって」

 

 あかねは小竹の声に応えず、その鋭い目を不審な男に向け続ける。

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