第72話 3日目 見えない火花
雀田しのぶは自分の額に浮いた汗をそっと拭いた。
開場まであと少し。
外周通路は人が多く、列の作成開始を今か今かと伺っている。
対するスタッフは、なるべくギリギリまで列を作らない。一度どこかの列ができてしまうと、あちこちで同時多発的に列ができてしまい収拾がつかなくなるからだ。
とはいえ、人の集まり方によっては事前に列を作る判断もしていいことになっている。目安は開場十分前。
その時間帯には、雀田は持ち場であるガレリア側へと移動することになっている。
雀田を含めスタッフが小まめに時計を確認しているせいか、周囲の参加者も何かを感じ取っているようだ。
緊張感が高まりつつある中、場違いに明るい声がした。
「あかね様!」
「Chikiさん。どうして」
アイプロに出てくるキャラのコスプレをした女性……1日目もお嬢様と同じ作品のコスで併せ、巡回業務をしたChikiだ。
もちろん本職のコスプレイヤーであるため、気合の入ったアイドル衣装だ。
社長とアイドルが並ぶツーショット。この辺りはちょうどその作品のジャンルが配置されていることもあり、周囲の参加者の注目を思いきり集めている。
アイプロのアイドルの一人、平松紅葉に扮している。そこそこ背が高いChikiが選んだだけあって大人キャラのはずだが、当のChikiは子供のように興奮している。
「お手伝いします!」
「手伝い? スタッフの?」
「はい! 何なりとお申し付けください」
初めからそのつもりだったのだろうか。
お嬢様の表情は読みづらいが、明らかに戸惑っている。判断を仰ごうと近くの小竹を見る。
いきなり任せる不安はあるが、ネノブロックにトラックヤード側に人が足りないことも確かだ。
「瑞光寺さんは民兵の知り合いが多いんだな。構わねえよ。少ししたら任せられる作業もあるだろう」
単純な列の圧縮や短い距離のパケット送りを想定しているようだ。
「スタッフの経験は全くありません。でも教えられたら何でもやります。だから教えてください」
「おっ、いいねえ。了解了解。瑞光寺さん、とりあえずしばらく俺で預かるよ」
「助かりますわ。小竹さん」
簡単なレクチャーを受けている間にも、注目を集めている。
Chikiはするりと自然にお嬢様と手を組んで見せる。ゲームにそんなシーンあっただろうか。
「えっ、社長と紅葉さんじゃん……」
「コミマ凄すぎでしょ」
「あれChikiじゃね? マジで?」
コスプレイヤーと割と有名なChiki。もちろんこの辺りの参加者にも知名度がある。
SNSで事前に紅葉のコスをすると告知していたこともあり、注目度は高い。
スタッフのコスプレは準備こそ大変だが、その大変さを補える注目効果がある。
ましてや、有名コスプレイヤーともなればその効果は計り知れない。
雀田は頭ではわかっているが、この暑い中お嬢様にべったりのChikiのことは単純に気に入らない。
「お嬢様、私も次回からコスプレします」
「お嬢様はやめなさい、雀田さん。それに、無理はしなくていいのよ」
「そうよ」
腕を絡めるChikiが挑戦的に笑う。
明らかに”分かって”やっている。
(この小娘……)
「いえ、私もぜひ」
「そう。正山が大変になるわね」
心なしか嬉しそうに見える。
雀田は何としてもお嬢様をお守りしなければと思った。同性を含むあらゆる危険から。
「ああ、無断で写真はおやめなください」
携帯を構えた参加者を、あかねが注意する。
半ば睨んだようにも見えたためか、注意された参加者は顔を引きつらせる。
「は、はい。すみません」
業務中のスタッフを撮影しようとするような参加者もいるのだなあと悪い意味で感心する。
そして、それを見逃さないお嬢様の観察眼はさすがだ。
「ありがとうございます、あかね様!」
「開場前とはいえ、油断できませんわね」
「そうですね! やっぱりあかね様は守ってくださいますね」
ちらりとChikiが雀田の方を見る。
そして、挑発するかのようににやりと笑った。当然お嬢様の見えない角度だ。
雀田は思わず目線に殺気を込め、Chikiを刺す。
見えない火花が散った気がした。
「瑞光寺さん、暑くありませんか。水分補給はいかがでしょう」
さり気なく差し出すスポーツドリンク。
それを見たお嬢様は優しくうなずいた。
「いただくわ。倒れてしまっては皆の迷惑になりますもの。ありがとう、雀田さん」
「当然のことです」
言ってChikiの方を見てにやりと笑う。
今度はChikiの視線に殺気が込められた。
無言で見つめ合うふたり。口元だけはどうにか緩めているが、目が全く笑っていない。
雀田は痛感した。ここにも負けられない戦いがあったのだと。
そして、持ち場に戻る目安の時間が来た。
これほどまでに離れたくないと思ったことは無かった気がする。
邪悪なるChikiの視線を感じながら、お嬢様にここを離れる報告をする。
「雀田さん、ガレリア側をよろしくお願いしますわね」
「はい。おっ……瑞光寺さんもお気をつけて」
「矢原さんから、貴方の身のこなしや判断はとても新人と思えない素晴らしい、と報告を受けています。やはり貴方は優秀ですわね。すっかり安心して任せられますわ」
「過分なお言葉、ありがとうございます」
なんとありがたい言葉だろう。雀田は感激で胸を一杯にしながら、大きくうなずいた。
Chikiの視線の温度がまた変わった気がしたが、今なら鼻で笑い飛ばせそうだ。
余裕の笑みを浮かべてChikiに目で挨拶を送る。
そして足取り軽くガレリア側へと向かうのだった。
そんな雀田の後姿を、妙な力を込めながら見送るChiki。
その視線に気づいていた雀田は、ちらりと振り返って小さく手を振った。
もちろん煽っている。
何度も見えない火花を散らしながら目線を交わし合うふたりを見て、誤解している渦中の人がいた。
(雀田と清川さん……Chikiさんは、いつの間にかとても仲が良くなったのね)
ふたりが聞いたら、それこそ仲良く同時に否定しただろう。
お嬢様がすっかり勘違いしたまま、開場に備えて列の形成を始める。
この初動は小竹の独壇場だ。できそうなことを手伝い、技術を吸収しようとする。
コスプレスタッフがふたりもいるためか、いつも以上にスムーズに列の形成が完了した。
最終日。
誰もが無事に終わることを祈りながら、開場のアナウンスを待つ。




