第71話 3日目 朝の挨拶
3日目の朝は、がらんとしたホールの中にさえ高揚感が漂っている。
ホールの朝礼を終え、少し離れてブロックミーティングを行うネノブロック員。
江口橋と瑞光寺が並んで歩き、後ろを雀田と児島がついて行く。
君堂は小竹と談笑している横を倉敷が少し疲れを見せながら歩き、最後に朝日と矢原が続く。
通常ならその倍ぐらいいてもいい偽壁ブロック員。今回は少数精鋭と言っていいだろう。
あかねは少しだるさの残る両腕を上に伸ばし、ホールの中のぬるい空気を吸い込んだ。
「おはようございます。最終日、ですわね」
中央通路で円になったネノブロック員を見回して、あかねが挨拶をする。
「まずは、昨日残って仕分けしていただきました小竹さん、朝日さん、江口橋さん、ありがとうございました」
三人が小さく頭を下げて答える。
「そして皆様、1日目2日目とありがとうございました。今日は1日目よりも混雑すると聞いています。ですがこの素晴らしいブロックのメンバーですもの。全く不安に思いませんわ」
経験豊かな小竹、朝日、矢原だけでなく、倉敷と児島と雀田の対応力もずいぶん上がった。
あとは暑さで判断力が鈍ったり焦ったりしなければ失敗しないだろう。
「矢原さん。事前の情報から更新された部分はありますかしら」
「欠席確定がネの03a、新刊落としたところが12aと26b、あと33aっすか。ただ、急に委託が決まったところがあって、ネの22b。ここはがっつり並ぶと思うっす」
「ありがとうございます。さすがですわね。昨日も戦利品を読まずに情報収集にあたってくださったのね」
急に褒められた矢原は面食らった顔をし、視線を泳がせて後ろに下がった。
昨日までであかねは理解している。ネノブロックの円滑な運営は、情報担当とも言うべき矢原によって支えられている部分が多い。
今日もこの情報が無ければ後手に回っていただろう。
「では、東6との調整が必要かもしれませんわね」
良くも悪くも顔を知っている冷泉と一条がいる。
話は通しやすいだろう。開場より前に話をしてしまった方がいいだろうか。
「提案があるんだが」
「小竹さん、珍しいね」
君堂が明るく笑う。昨日居残っていないので元気そうだ。
「瑞光寺さんの定点を、トラヤ側にしてみたらどうだろう。定点というか、お誕生日のエリアをまとめて見るような」
「俺も、やってみてもいいと思う。東6との調整が必要になった時、副ブロック長の肩書があった方が良い」
ブロック内で最も経験のあるふたりが同じ考えのようだ。
言っていることも納得できるし反対する理由もないだろう。
君堂も手を上げる。
「今日は柱の定点運用なしにしちゃってもいいんじゃない? みんなそれどころじゃないと思うし……江口橋さんが中央横通路沿いのエリアを見るようにすれば。『定点』じゃなくて『定エリア』にするような感じで」
「賛成です」
君堂に朝日が同意する。
「ダメだったら江口橋さんからハパに助けを求めてよ」
「今日はハパもシブロックの応援に回すから、増援は難しいかもしれない」
「若干トラヤ側が手薄になるな……もうひとりぐらいパケットの管理できる奴がいてくれたらいいんだが」
小竹が腕を組む。こういうところで人員の薄さが効いてくる。
シブロックも混雑が厳しい見通しである以上、なんとか耐えるしかない。
「瑞光寺さんにも混雑対応してもらうしかないな」
「当然ですわ」
小竹の混雑捌きには到底及ばないが、ひるまずに声を出す勇気とある程度の対応力はついている。
そして何より、江口橋の言葉の端にあかねへの信頼が見え隠れしている。
ある程度認められた自分と、頼れるブロック員。
「あくまでエリアの混雑対応はトラックヤード側を小竹さんが、ガレリア側を矢原さんが統括してくださいませ。責任はわたくしと江口橋さんで負いますわ」
あかねの力強い言葉に、江口橋を含む全員がうなずいた。
小竹たちベテラン勢も感心したようにあかねを見る。これほど明確に断言してくれる責任者もなかなかいない。
「それではいったん解散で。ごはんもしっかり食べてくださいませ」
「「はい!」」
ブロックのミーティングが終わり、それぞれ朝の準備に取り掛かる。
「バミと札の物資は、荷物になるが最初は全員が手持ちするようにしよう」
「列ができそうで、かつ自前の最後尾札がなさそうなところは先に用意するっす」
「さすが矢原くん。データの鬼」
歩きながら小竹と矢原が楽しそうに打ち合わせを始めている。
「柱のとこに空箱を置いておく。予備や余りは適当に入れておいてくれ。俺が管理する」
「「了解です」」
楽しそうな声を背に、あかねは雀田を伴って更衣室へと向かう。
すでにサークル入場も始まっている。急がねば。
※
雀田しのぶはご機嫌だった。
昨夜のゴタゴタの疲れが少し残ってはいるが、待ちに待った3日目。
今日はお嬢様がコスプレをする日である。
コスプレをすると自慢のお嬢様の美貌がひと際輝く。そして注目される。
「お嬢様、今日も楽しみですね」
「瑞光寺さんとお呼びなさい。雀田さん」
「はい、失礼しました」
正山が時間と予算をかけて作った衣装は、コスプレ衣装と言うより普通の服だ。
コスプレであることを忘れさせるぐらいに自然にお嬢様を飾る。だからこそ存在感が増す。周囲が目を離せなくなる。
そう、着飾ったお嬢様が注目されるのを見ることが、最近の雀田の楽しみになっているのだ。
「今日はスーツでしたわね」
「はい。正山が自信をもって持たせてくれました」
今日のコスプレはアイドルプロフェッサー、通称アイプロ。元はゲームだがアニメにもなっている。
雀田はさらっと作品を見た程度だが、可愛い女の子がアイドルになるストーリー。キャラクターの傾向から男性のファンが多いが、キャラの一生懸命さに共感する女性ファンも多い。
しかし今日のお嬢様のコスプレは、そのアイドルのキャラではなくやり手の女社長。
長い黒髪に鋭い目。
今日のジャンル配置がアイプロということもあり、会場に目を光らせるスタッフとしても適役だ。
「目元失礼しますね」
雀田のメイクにも気合が入る。
このコミマには色んな楽しみ方がある。そして同時に、より大きな楽しみを勝ち取るための戦いがある。
これが、雀田の戦いだ。
雀田の努力の結果は、どよめきをもって迎えられた。
まだ早い時間帯なのにサークルの出席率が高い。
そのサークルのほとんどがお嬢様のことを見ていた。完全に釘づけた。
そのままの流れでふたりは見本誌回収に移る。
雀田は今日ばかりは一緒に組ませてくれと江口橋に懇願したのだ。
「社長見に来た」
「隠せ! でもスタッフだ……隠せない」
「だから成年向けはやめておけとあれほど」
成年向けのサークルには気の毒だが、観念してもらおうと雀田は心の中で笑う。
あなた方の畏怖が一般参加者にも伝染し、お嬢様をさらに際立たせる計画だ。
今日もまた、供物のように見本誌と参加登録カードが机の上に準備されていく。
「では社長、受付を進めていきましょう」
「……そうね」
若干呆れているようだが、それがキャラの口調に近くなっているのが微笑ましい。
雀田は重くなるバッグを進んで担ぐ。
自分の隣に集まるざわめきと視線に、口元が緩んでしまう。
そんな雀田を咎める男の声。
「何て顔してるんだ、雀田」
「神崎。どう、お嬢様のお姿は」
「そりゃ美しいけど、何で雀田が誇らしげなんだ」
「お化粧したの私だし」
元が綺麗なことは誰から見ても分かる。
しかし、まだ十代のお嬢様に恐らく四十代のキャラクターを演じさせるには、メイクの力が必要だった。
雀田はこの1年で化粧のスキルが上がっているのを実感していた。
「雀田もしろよ。コスプレ」
「遠慮するわ。お嬢様の隣にいても霞むだけ」
お嬢様を着飾るだけで十分楽しい。
それにいざという時のためにも、自分はあまり目立ちたくはなかった。
「じゃあ、お嬢様が雀田もコスプレやれって言ったらどうするんだ」
「そりゃあ……やりますとも」
「あら。そうなの?」
「えっ」
後ろからお嬢様が顔を出した。
神崎がしてやったりの表情を見せる。
雀田は目で威嚇するが、神崎は見ないふりをする。
「では雀田さんも次回やりましょう」
「えっと……」
「嫌ならいいのだけど」
「いえ、その……あっ、神崎!」
用は済んだとばかりに神崎が去ってゆく。
一応、空のバッグと見本誌の入ったバッグを交換して、きちんと業務はこなしているのが余計に腹が立つ。
どう答えていいか分からないままだったが、お嬢様は先のサークルに挨拶をしている。
(やられた)
ホールの天井を仰いだ雀田に、違う種類の汗が流れた。




