第65話 2日目 君堂、参戦
早朝の駅にはシャッターが下りている。
考えてみれば当たり前なのだが、その光景を見ると自分が非常識な時間帯に街を歩いているのだと実感する。
そしてそのシャッターの前に、数人の人影。
始発でどこかに行くのだろう。
雰囲気でどこに行くのか大体想像がついてしまうのだが。
そんな中で、一人雰囲気の違う青年がいた。
一昨日、設営日から帰ってきたときに駅で少し話した。
こちらの視線に気づいたのか、向こうが頭を下げる。
「お早いですわね。始発だなんて。一般参加でいらっしゃいますの?」
「あ、いえ……サークル参加なんですけど、チケット失くしちゃって、できるだけ早く入るために」
「まあ。そうでしたの」
それにしても確実に遅刻となる。それも、一般入場と同時に入りそれから準備をすることになるから頒布は昼前になるだろう。大遅刻だ。
サークル通行証を紛失した場合、再発行は可能なのだがこの時のあかねは知らなかった。
「安威」
「はい」
「あなたの分を、こちらに差し上げて」
「承知いたしました」
安威は財布の中からサークル通行証を取り出す。
あかねに配られていたスタッフ配布用のものだ。
「えっ、そんな。でもそちらが入れなくなるんじゃ」
「そんなに早く入る必要など無いんですもの」
「でも……」
本当にいいのかと安威を見上げる。
安威は表情を変えず、うなずいてみせる。
「お嬢様のご指示ですので」
「これもご縁というものですわ」
精一杯の笑顔を見せようと、にやりと怪しく笑うあかね。そんなあかねのことを青年はじっと見つめる。
これ以上固辞するのも失礼になる、と判断したようだ。
彼は何度も頭を下げ「この恩は必ずお返しします」と繰り返した。
「雀田に連絡を入れておきますわね」
「承知いたしました」
安威の分の通行証は、雀田が余らせているはずなので会場で受け渡すことにした。
彼女はそろそろ起きだして1時間後の電車に乗る予定になっている。
あかねと安威を乗せた始発電車は、各駅の同志を拾い上げながら池袋を目指す。
あかねは今日コスプレする予定はないため、着替える必要がなく時間に余裕がある。
コスプレの楽しさが少し分かってきたところだが、どうしても時間を取られてしまうのは悩ましいところだ。
「瑞光寺さん、おっはよう!」
「おはようございます、君堂さん」
精一杯高くしたポニーテールを揺らし、背の小さい君堂が元気な声を上げる。
仕事の都合で2日目からの参加だが、前回と違って遅刻はしなかったようだ。
空調の入っていない朝のホールは湿気がまとわりつくようだったが、それを吹き飛ばすようなさわやかな笑顔だ。
「1年ぶり! じゃなかった。浜松町でも漫革でも会ってたね。3か月ぶり!」
「ええ。それでもお久しぶりですわ」
「副ブロック長はどう? 江口橋さん、ちゃんと働いてくれてる?」
「もちろんですわ。至らぬところをフォローしていただいて」
「ふうん」
結果的にこれまでのコミマはすべて江口橋の下でスタッフ参加となっているが、必要なところでフォローしてもらっている実感がある。
楽しそうに笑う君堂。
「あの人あんまり面倒見は良くないんだけど、瑞光寺さんのこと気に入ってるのかな」
「愛想は無いですが、面倒見は良いですわ」
「誰が愛想無しだ」
ふたりが振り返ると、相変わらず長袖シャツを羽織った江口橋がいた。
手には飲みかけのエネルギー飲料を持っている。朝の水分補給だろうか。
「あら。江口橋さん。いらしてたのですね」
「あははっ、言われてらー」
けらけら笑う君堂が、江口橋の肩をバシバシ叩く。迷惑そうな顔をしているが、避けるわけでもないようだ。
前々から思っていたが、このふたりは気の置けない友達……よりもさらに近しい関係のように見える。
「おふたりは親しいように見えるのですが、長いお付き合いなのですか?」
「あー、えっと……親がいとこ同士だから、小さい頃から顔は何となく知ってる感じだったんだよね」
幼馴染、というものだろうか。それにしては年が離れているような気がするが。
「私が六つ下だから、鬱陶しがられてたんだけど」
「現在進行形だ。勝手に過去形にするな」
「ほらねー」
君堂がまた笑う。
なるほど、兄妹のような関係なのかもしれない。
「スタッフで顔を合わせたのは偶然。たまたま同じホールになって、お互い『うわっ』って。ねえ?」
「しばらく周りが面白がって同じブロックを担当させられた」
「それはまた」
その時の雰囲気も何となく想像できる。
君堂は今のように楽しそうにしているし、江口橋はどちらかというと困っていただろう。
聞けば違うホールになることもあったし別の部署を担当することもあったらしい。だが同じホールになると同じブロックを担当させられ、去年のC96夏でついに同じブロックのブロック長と副ブロック長をすることになったのだとか。
あかねが初めてのスタッフ参加したC96夏は、ふたりにとっても初のダブル責任者だったのだ。
「なるほど。納得いたしました。だからおふたりはあれほど信頼し合っていらっしゃいますのね」
ふたりは顔を見合わせ、君堂だけぷっと吹き出した。
あかねは率直な感想を述べただけだが、どういうわけか面白かったらしい。
「ふひひ、信頼してるよ!」
江口橋は何も言わず、相変わらず迷惑そうな顔で小さな缶飲料を飲み干した。
※
君堂莉子はブロック別ミーティングを進行する瑞光寺を感心して見ていた。
とてもではないが若葉マークが取れてすぐの若手に見えない。
昨日はコスプレをしていたらしい。とても見たかった。
夏コミの1日目は大抵仕事が入ってしまう。毎年その日だけは職業の選択を間違えたとしか思えなかった。
「今日の定点は君堂さんでお願いします。これは明日の布石ですの」
にっこり笑って「了解!」と返事をする。
こういう細かい反応を返すことが、若きリーダーをどれだけ支えるか、身をもって知っている。
「明日は成年向け頒布物が多いと思われますが、わたくしではすぐに判断することが難しいと言わざるを得ません。経験のある君堂さんに判断していただこうと思っております」
「なるほど、明日の予行演習ですか」
前回東4だった倉敷さんが納得の声を上げる。いいよいいよ。そうやって理解していることを声に出すのは大事だよ。
君堂も無言ながらうんうんとうなずいて見せる。
「その通りですわ。明日の成年向けは、判断に困ったとき君堂さんを頼っていただくことになると思います。今日はその練習です」
とはいえ、今日はジャンル配置的に成年向けの頒布物は無さそうだ。
参加者対応はあるだろうが、柱の下からみんなの働きぶりを眺めることになる。スタッフとして働きたくてうずうずしながら2日目から参加している君堂にとっては少し不満があった。
「んー、ちょっと暇になるかもね」
「能力のある方が暇になっている。そのくらいがちょうど良いと思いませんこと?」
「まあ確かにね」
何かあった時に機動力のある君堂に対応してもらえる。それが瑞光寺にとって安心なのだろう。
君堂は自分の不満をさっさと箱に入れて、心の隅に押し込んだ。開場後に楽しくなればそのうち忘れるだろう。
今回は自分のやりたいことよりも、瑞光寺の思うようにやらせてみようと江口橋と話していたところだ。
サークル入場が始まっている時間だが、ネブロックのガレリア側の島にサークル参加者の姿がほとんどない。
その島を担当することになっていた瑞光寺と雀田は、自然と定点の君堂の近くに集まる。
瑞光寺も背が高いが、雀田もそれなりに身長がある。ひとり小さめの君堂は軽く見上げるような体勢になっているが、ふたりはあまり気にしていないようだった。
「雀田さん、昨日矢原さん児島さんと組んでどう思われました」
「そうですね。児島さんは目端の利く方だと思いました。ポスタースタンドの高さ、敷き布が床についていないか、荷物が前に飛び出していないないか。あとはお嬢様も対応なさいましたが、体調不良の方を見つけて声をかけられていましたね」
「確かに児島さんのあの観察眼は素晴らしいですわね。混雑対応はまだ少し不慣れなご様子でしたが。ところで、お嬢様はおやめさない」
「失礼しました」
面白いふたりだが、相変わらず関係性がよく分からない。
雀田が瑞光寺に仕える騎士のように見える。瑞光寺のお嬢様口調も一因だろう。前回は謎の付き人を見かけていたが、その人と関係があるのかも分からない。
昨日は見本誌運搬の民兵として使っていたそうだ。今日ももう少ししたら来るらしい。
助かるのは助かるのだが。
「矢原さんは、事前の情報をとても良く収集されていました。どこのサークルに新刊があって、既刊の持ち込みの有無、頒布価格のキリの良さまで判断して列の予想を立てていらっしゃいました。とてもではないですが真似できません」
「無理にベテランの真似をせずともよろしいですわ」
「あとはそうですね。失礼ながら、あの体形でもかなりの運動量をこなされていましたね。それは見習いたいと思います」
「なるほど……優秀な方ですのね」
「さすが混雑ブロックを担当されているだけあって、列の作成や維持も手慣れていらっしゃいましたね」
淡々と報告する雀田。瑞光寺は今まさにノブロックのサークル受付をしている矢原と児島を見る。
君堂も矢原の混雑対応の能力の高さは噂に聞いたことがある。もう少し痩せれば良いのにと思うが、そこは無頓着らしい。
それにしても雀田はよく見ている。彼女はまだ若葉マークがついている2回目の参加のはずだ。それほど落ち着いて周囲のことが見られるものなのだろうか。
「よく見てるね、雀田さん」
「雀田さんの人を見る目は定評がありますもの」
恐縮する雀田だったが、どこでの定評なのだろう。
君堂は半分「?」を浮かべながら、とりあえず笑顔でうなずいておいた。




