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同人誌即売会と悪役顔令嬢  作者: 狐坂いづみ
C98夏編
69/171

第60話 1日目 ようこそ皆様

 児島三奈が手早くページをめくる横で、瑞光寺の息の音が聞こえた。


「あら……アナログ原稿。素敵ですわね」


 瑞光寺の言葉に、児島はぎょっとした。


「えっ、あ、ありがとうございます」


 感想を口にすると思っていなかったのか、サークルの男性も驚いている。

 最近はスタッフの言動がどう受け取られるか分からないこともあって、必要最小限の会話に留めて本の感想なども余計なトラブルを防止するため言わないようにという通達があったはずだ。

 

「この丁寧なトーンフラッシュ。この見せゴマに、どれほど時間をかけたか想像もできませんわ。一番後ろのこの小さなキャラの手までも、妥協なさいませんでした。素晴らしいわ」

「あっ……ええ、はい……」


 サークルの男性は顔を真っ赤にして照れている。

 喜びと同時に戸惑いの方が大きいことは児島から見ても分かった。

 

「あの瑞光寺さん、そのくらいに」

「そうでしたわ。冊数が多いですものね」


 そういう意味ではなかったのだが、瑞光寺は次の本を手に取った。

 次の本でも同じように描かれた漫画を褒めていた。

 無事に受付が完了し、サークルに挨拶をしながらバッグの中にたっぷりの新刊を順番に詰めこむ。

 その様子を黒セーラーの瑞光寺は満足そうに眺めていた。


 次のサークルの前に、バッグを担ぎ直す。


「あの、瑞光寺さん。受付の時は余計なことを言わないようにって言われてませんでしたっけ」

「余計な事? わたくし何か言いました?」

「本の中身についてとか」

「あら……」


 言われて気が付いたという様子の瑞光寺。

 頬に手を当てて思案すると、

 

「それは、つい」


 ごまかす笑顔、だったのかもしれない。

 黒セーラーに黒髪の美女。ぞっとするような悪い笑み。

 児島の背中に冷たいものが走った。

 

「そうだわ。先ほどの会話は、伝えておいた方が良いことだと判断いたしましたの」

「は、判断、ですか」

「必要なかったと思いまして?」

「うーん……」


 そう言われて、サークルの表情を思い出す。

 不要と言えば不要だと思ったが、サークルにとっては嬉しかったと思う。

 ひたすら褒めることばかり並べていたし、それはしっかり読んだ感想でもあった。

 

『良い作品には感想を』

 

 それは定期的に話題になる話でもある。短い感想でも、何気ない一言でも、創作者の背中を押し次の本を出す手助けになる。

 そういうことは児島も知っていたが、通達があった以上は無視しにくかった。

 

「もしその判断が間違っていたら、正せば良いことですわ」


 文句を言われたら考える、ということだろう。

 あまりにも堂々としている副ブロック長に、児島は思わず吹き出していた。

 


 

「では、これをお願いします」

 

 雀田から空のバッグを受け取り、いっぱいになったバッグを渡す。

 もう終わりが見え始めたノブロックのガレリア側。他も出席率は上々で、今日は順調に完了できそうに思える。

 

「あの……すみません」


 児島が振り返ると、若い女性サークルがいた。

 何か困りごとかと聞く前に、瑞光寺が口を開いた。

 

「あら、Reikaさん。ごきげんよう」

「へっ? どうして私の名前を……ああっ、漫革のときの!」


 コスプレ姿のスタッフが瑞光寺であると気付くのに少し時間がかかったらしい。

 池袋漫画革命で兄と共に参加していたサークル、Reikaは慌てて頭を下げる。


「本日はノの37でしたわね。後でお伺いしようと思っておりましたの。それで、どうかなさいまして?」


 児島はふたりの様子を見ながら、瑞光寺の顔の広さに感心していた。

 まだスタッフになって1年のはずだが、サークルの知り合いがいるとは。


「机、ですか」

「はいあの、少しガタついていて……」


 設営を有志に任せている以上、悪い机を見落とすこともある。

 交換となると手間がかかってしまう。この忙しい受付時間にできるかは……


「では交換いたしましょう」

「今から!?」


 思わず声を上げる児島。

 そんな児島を瑞光寺はまたも不思議そうな顔で見る。


「今からも何も。開場しておりませんし、今しかありませんでしょう」

「それは、そうですけど……」


 サークルのためにもそれが良いに決まっている。しかし、ブロックの人員と時間を考えると、かなり無理をしなければならない。

 だが少しも焦らず泰然としている瑞光寺を見ると、不思議と何とかなるようにも思えてしまう。

 

「神崎」

「はい」

「うわあ!」


 自分の横から突然男の声がして、児島は思わず叫んだ。

 構わず瑞光寺は無線を取り出す。

 

「神崎は少しお待ちなさい……江口橋さん、江口橋さん、急ぎの対応が入りましたの。ノのガレリア側に児島さんがいらっしゃいますので、サークル受付のお手伝いをお願いしますわ。以上」


 連絡を終えると、児島の方を見る。

 背の高い瑞光寺から見下ろされるような角度になるが、この角度から見ても綺麗な人だと思った。

 真っすぐの視線。暑さで少しぼんやりする頭。

 

「では児島さん、すぐ江口橋さんが来られますので、少しの時間ひとりでお任せいたします」

「はい……」


 半分操られるようにして、児島は答えていた。

 背中を向けられてやっと、正気に戻ったように目をぱちくりさせる。

 神崎氏とサークルの女性を引き連れた瑞光寺が、優雅な足取りで予備机の集積場所へと向かってゆく。


「すごい子だなあ」

 

 児島はその背中を見送りながら、また次も同じブロックを担当したいと気の早いことを考えるのだった。



 

 ※

 


 見本誌回収も無事完了した、つかの間の休息時間。

 ネノブロックの定点とされる大きな柱の下で、あかねは江口橋と共に椎名と向き合っていた。

 

「椎名さんのお陰で乗り切れましたわ。感謝しております」

「いえいえー。こっちも早速お役に立てて嬉しいですよう!」


 ハパブロックのメイドブロック長、椎名は相変わらず目を細めないまま笑っている。

 フリフリのメイド服は少し薄めの生地で作られているようで、本人いわく夏用らしい。

 見本誌回収もまたハパブロックの支援を受けてやっと完遂出来た。やはり人員が足りない。


「椎名のサポートは的確で助かる」

「江口橋さんにお褒め頂けるなんて光栄ですねえ! でも瑞光寺さんの要望が的確だったのも大きいですよ!」

「まあ。こちらこそ光栄ですわ」


 黒セーラーの人外と、目を見開いたまま笑うメイド。

 何かゲームのワンシーンのような世界観がある。

 

「開場後もよろしくお願いいたしますわ」

「合点! 任せてくださいな!」


 力こぶを作って見せる椎名は、ウインクを残して本部へと去っていった。

 遅刻の青紙を出し終わり、開場を待つまでの谷間の時間。

 やるべきことを済ませた達成感と、開場が迫る緊張感が混ざり合った不思議な時間。

 

「人員の配置も問題ないな。開場直後は俺も出る。アニメーター周りが気になるからな」

「それは心強いですわ」


 今日の配置ジャンルはアニメの二次創作。

 突出したアニメがないこともあって、通常ならあまり混雑することはない。ただ、ネノは偽壁のブロック。当然のように混雑するサークルが配置されている。

 春に終わった人気アニメのアニメーターのサークルで混雑が予想されている。スタッフたちが集まって作ったお疲れ様本らしい。また、シリーズ化されている背景美術のノウハウ本の新刊が久しぶりに出るということもあって、そこも混雑する見込みだ。

 他にもアニメ監督のサークル、作画監督のサークルがいくつか配置されているし、ベテランのエロ漫画家も何サークルか配置されている。ホール長から「1日目にしては中々重い」というお言葉をいただいているだけのことはある。

 

「それでは打合せの通り、わたくしが柱の定点におりますので、江口橋さんは混雑対応をお任せいたしますわ」

「無線はさっき確認したな」

「ええ、問題ありませんわ」


 責任者はホール内でやり取りできるよう無線が貸与される。

 副ブロック長であるあかねも例外ではなかった。黒セーラーのコスプレには少々不似合いだが、スタッフ帽と腕章に比べれば目立つものでもない。


「じゃあ、よろしく頼む」

「ええ、ご武運を」


 開場前に人が集まりつつあるのを察した江口橋が、人ごみを散らそうと足早に離れていく。

 あかねは打合せの通り、柱の前に立った。

 東4のサイドヤードまで真っ直ぐに伸びた通路。そこを行き交う、数多くのサークル参加者の姿を眺める。

 

「良い景色ですこと」


 夏の暑さに浮かれた空気。

 不自然にがらんとした通路。

 落ち着かない人々。

 この時間だけしか見ることのできない光景。


「さあ、楽しみましょう」


『ただいまより、コミックマート98、1日目を開催いたします!』

 

 やがて、開場を告げる放送がホールに響く。

 遅れて拍手が会場を包み込む。

 拍手をしながら、スタッフが一斉に動いている。

 油断なく視線を動かしながら、初動の対応を開始する。

 あかねは、悠然と定点に立っている。


「ようこそ皆様。ネノブロックへ」


 一斉に参加者が動き始める中、あかねの周囲を走ろうとする者はいなかった。


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