第55話 設営日 東5ホールへようこそ
あかねは整然と並んだ机に、感嘆の息を吐く。
お手伝いの参加者もほとんどいなくなり、スタッフと関連業者だけがビッグサイトに残っている。
机椅子が設営されても、スタッフの業務はまだまだ続く。
あかねと江口橋を含めた東5のスタッフは、ホールの備品を取りに東3ホールを訪れていた。
『変態入場』という不名誉な入場から1年。東3ホールは去年と同じように蒸し暑い。
ちなみに東3ホールは備品の貸し出し展開があるために、一部のブロックが設営されず机が積まれている。ここだけはスタッフの手で設営しないといけないので大変だ。
備品受け取りの列で待っている間、見知った顔に声をかけられた。
「おや、瑞光寺さんではありませんか!」
「菊田さん、ごきげんよう」
「お疲れ様です! ああ、江口橋さんも!」
「ああ、お疲れ様」
相変わらず声が大きい東2の菊田だった。
周囲が何事かと振り返るが、幾人かは「なんだ菊田か」とすぐに興味をなくす。
その隣で小さくなっている藤崎を見つけ、あかねは声をかけた。
「藤崎さんも、ごきげんよう」
「あ、こ、こんにちは……」
「そのピン、使ってくださってますのね。もっと良いものを差し上げれば良かったかしら」
「あっ、いえ、あの、これ、これが気に入ってるんで……」
おや。
あかねは少し気になった。
具体的にどうとは言えないが、どこか藤崎の雰囲気が変わったように見えた。
「藤崎さんも頑張っていらっしゃるのね」
「えっ」
「頼もしく見えますわ」
「あ、えと……ありがとう、ございます」
笑顔の菊田が藤崎の背中をバシバシ叩く。
藤崎は困ったように菊田を見たが、ぐっと力を入れて押され、一歩二歩、あかねの前へと踏み出した。
「藤崎が瑞光寺さんへ、言いたいことがあるそうです」
「何かしら」
藤崎は緊張したような、困惑したような表情を見せたが、すぐさま覚悟を決めたらしい。
ピンで留めた髪が藤崎の目を露わにする。あかねはその瞳の中に、強い意志を見た気がした。
「あの、瑞光寺さんは、憧れです!」
いつもより大きな声でそう言いきった藤崎は、大きく息を吸って続けた。
「瑞光寺さんのように、あの……堂々と、すぐに判断して、ちゃんと実行して……そういったところが……好きです!」
急に告白を受けたあかねは一瞬目を丸くする。
暖かく見守る菊田と江口橋が助けてくれないことを悟ると、落ち着いて藤崎の目をじっと見返した。
「褒めていただけて光栄ですわ。藤崎さん。でも、藤崎さんもきちんとできているように見えるのですが」
言われた藤崎は、ぶんぶん首を振る。
「案外、ご自分のことが見えていないかもしれませんわね。わたくしの買っている藤崎さんのことを、あまり過小評価しないでくださいましね」
今度はピシッと音を立てて固まってしまった。
藤崎は壊れたロボットのようにぎこちなくうなずくと、二歩三歩後ずさりをする。
「藤崎への過分な評価、痛み入ります!」
声の出ない藤崎に代わり、菊田がそう言って笑った。
素直に頼もしい、とあかねは思った。
「藤崎さん、菊田さん。123地区をお守りくださいましね」
「もちろんです!」
C100夏に東5で事件が起こることは分かっているが、向かいの東123ではどうなのだろうか。
もっと言えば西地区はどうなんだろうか。
不安の種は尽きないが、彼らが乗り越えてくれるよう祈ることしかできない。
決められた数量の備品を受け取り、東5のホール本部まで戻ってきた。
ブロックのPOPが貼られ、壁には森林保護募金のポスターやホール内の地図が貼り付けられている。
あかねは抱えていたコーンバーを降ろすと、大きく息をついた。
その隣に江口橋がコーンを置く。あとは外周のシブロック員が自分たちで持っていくはずだ。
まだまだホールの業務は終わっていないが、少し休憩するよう江口橋から言われた。
あかねはまだ動けそうだが、とりあえず水分補給をして腕のストレッチをしていた。
ああ、楽しい。
体を動かして汗を流して、何かの役に立つ。この時点で楽しい。
この蒸し暑いホールが、人の役に立つという根源的な喜びを何度も味わえる場所なのだと実感する。
次の作業である机シール貼りに移ろうとしたところで、東4ホールからやってくる自転車がいた。
机が並んでいるホール内に自転車が走っているのは、何とも言えず妙な光景だ。
誰が乗っているのだろうと思っていると、その自転車の主から声をかけられた。
「ああ、お疲れ、ふたりとも」
「あら播磨さん、お疲れ様です」
漫画革命の代表播磨だ。コミマでは今回も館内統括となっている。
あかねはひざを折って挨拶し、江口橋も小さく首を傾けて挨拶をする。
「何かありましたか」
「いや。様子を見に来ただけだよ」
「どう、新米副ブロック長は」
「借り受けの割り振りもスムーズにいってます。事務能力も高い」
「才媛だね」
あかねは大人ふたりの言葉をどこまで信じるべきかと迷ったが、素直に受け取っておくことにした。
播磨は少し声を小さくして、あかねと江口橋だけに聞こえる程度の声で話しかける。
「気になることがあったら教えてほしい。江口橋を通してでも」
「承知いたしましたわ」
播磨は満足そうにうなずくと、再びペダルを踏みこんで東6方面へと走り去っていった。
その背中を見送っていると、誰かが隣に立つ気配がした。
「どうかしたか」
「和泉さん」
あかねがそう呼ぶ男は、東5ホール長の和泉だ。
年のころは四十あたりだろうか。江口橋と同じくらいに見える。
仮に四十のオタクとすると、らしくないがっしりとした体格で、体育会系のような雰囲気だ。だがその雰囲気に反して、ホールの集会の自己紹介ではずっとシューティングゲームと音ゲーに勤しんでいるようなことを言っていた。家にいる時間よりゲームセンターにいる時間の方が長いらしい。
男性にしては少し長めの髪を無造作にかき上げると、大人の色気のようなものを振りまいていた。
「館内統括から声を掛けられるから、何かあったのかと思ってな」
「漫画革命で少しお話しする機会がありましたの」
「ああ、播磨さんは代表だしな」
播磨は江口橋を見ると、旧友を見るような目で笑った。
「江口橋がうちのホールに来てくれて嬉しいよ」
「お役に立てるよう頑張ります」
「偽壁は任せたぞ。俺はちゃらんぽらんだからな。ブロック長のみんなに頑張ってもらわないといかん」
「でもホール長になられた」
「前任の気まぐれさ。任されたからには全うするがね」
肩をすくめながら言う和泉。
あかねのその視線に気づいたのか、何か企むような笑顔を向ける。
「瑞光寺さん、東5ホールへようこそ」
「よろしくお願い……」
「ようこそ東5ホールへ。よ東うこそ5ホールへ。ひがよし5ホうーこルそへ」
その笑顔のまま、急におかしな言葉をしゃべりだす和泉。
狂気じみた雰囲気だが、言いたいことをすぐに察したあかねは表情を崩さない。
「あら。郵便ポストのくせにふらふら歩き回ったりして、おかしなホールですこと」
虚を突かれた和泉は驚いた表情であかねを見る。
しかし次の瞬間には破顔し、江口橋の背中を叩いた。
「ははっ、これは逸材だな!」
「……まだ続けてたんですかその趣味」
あきれ顔の江口橋がため息交じりに和泉に言う。
和泉のおかしなセリフはかなり古いゲームに出てくるシーンのアレンジだが、あかねにはすぐに理解できた。
「分かる奴には分かるんだよ! これで一気に瑞光寺さんと距離を詰められた気がするぜ」
「分からない場合、ただの気味が悪いホール長ですよ」
「それなっ!」
上機嫌の和泉は大きく伸びをすると、肩と首をほぐすようにストレッチを始める。
あかねも少し体を使ったを思い出し、ストレッチを真似してみた。
和泉はその様子を面白そうに横目で見る。
「東5ホールは瑞光寺さんを歓迎する。何か困ったことがあったらすぐに言ってくれな。江口橋に」
眉をひそめて「俺にですか」と言う江口橋の軽い抗議を無視し、和泉はホール本部の中へと戻って行った。
「ああ見えて、責任感が強い人だ」
背中を見送っていると、床に落ちていたごみをさりげなく拾うのが見えた。
「そのようですわね」
さっきのやり取りと自然なゴミ拾いだけで、あの人も信頼できる人なのだと思える。
信頼することのできる人間が多いこの場所は、あかねにとってとても心地よい。
自分も信頼してもらえるよう、さっそく業務に取り掛かるのだった。




