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同人誌即売会と悪役顔令嬢  作者: 狐坂いづみ
C98夏編
63/171

第54話 設営日 設営は続く

 江口橋誠司はしげしげと雲雀の姿を眺める。

 今日の雲雀は半袖にハーフパンツで非常に涼しそうな格好だ。

 よく見ればこの時点でムダ毛の処理ができている。明日からのメイド服に備えているのだろう。

 

「今日は服装が違いますのね」

「さすがに設営日はね」


 雲雀はメイド服のことを言われているとすぐに分かったようだ。

 設営日は意外と汚れてしまう。それ以前にコスプレは禁止だ。

 椎名は瑞光寺をまじまじと見ながらため息をついた。

 

「いやー、めちゃくちゃ美人さんですね! 私が霞む」

「……」

「笑うとこですよう! そして雲雀さんはなんて顔してるの!」


 ずっと笑顔のままの椎名と対照的に、雲雀は非常に渋い顔をしている。

 暗に(こんなにやかましいのに霞むわけがない)とでも言いたげである。もしそうなら江口橋も同感である。

 やはりこのホールは個性が強い。


「椎名、今回は世話になると思うがよろしく」

「合点! いつでもハパに頼ってくださいね!」


 椎名のそれは社交辞令ではなく、本心からの言葉であることを知っている。

 椎名は、自分の担当ブロックを守りながら、他のブロックへ適切な援助をして周囲を安定させることに非常にやりがいを見出している。だから自分がよそで役に立ったと言われることが何よりも嬉しいらしい。

 その精神はブロック長になっても継続されており、椎名個人だけでなくハパブロック全体がその方針に沿って楽しんでいる。


「それじゃあまた!」


 ハパブロックの机の点検をするのだろう。自分の担当するブロックへと向かう椎名。

 雲雀もその後を追おうとして、くるりと振り返った。

 

「あー、瑞光寺さん。改めて、ようこそ東5ホールへ」

「お世話になりますわ」

「江口橋さんも、お帰りなさい」

「ああ」


 江口橋はC91冬以来の東5ホールの担当となる。

 丸3年空いたが、変わらずに受け入れてくれるふたりの空気に胸をなでおろしていた。

 前にこのホールにいたときは、今のふたりとネノブロックの偽壁で混雑対応をしていた。

 そのブロックに、瑞光寺を連れて戻ってきた。江口橋は妙な因果を感じていた。


「あのおふたり、距離が近いんですのね」


 背中を見送りながら、瑞光寺が穏やかに言った。

 

「前から仲が良いな。服の趣味が合うらしい」

「服の趣味」


 瑞光寺はそれ以上詳しく聞いてこなかった。

 確かに、明日になればすぐに分かることだ。すでに予想もついているだろうが。

 


 ※


 

 神崎真は自身の筋肉がほどよく温まってきているのを感じていた。

 この456地区の机椅子はあらかた設営が済んでおり、もう出番はないようだ。

 まだ少し物足りない気もするが、もう少ししたら印刷所の搬入作業がある。

 ちなみに設営は完全な無償のボランティアだが、搬入作業はバイト代が出る。神崎の職場はそのあたりの副業については実に大らかだった。心底ありがたいと思っている。

 

「お嬢様」

「お疲れ様、神崎。机椅子はもう終わったようね」

「ええ、大したことありませんでした」

 

 神崎が勤めている家のお嬢様が少し眉を顰め、隣にいる江口橋もコメントに迷う表情を見せる。

 正直なところ女性でも運べる机椅子など、普段から鍛えている神崎にとっては軽いものだった。


「この後は搬入作業でしたわね。根岸さんのお手伝いかしら」

「ええ……そうです」

「筋肉の出番があって良かったですわね」

「はい。根岸さんには感謝しています」

「よろしく伝えておいて」


 根岸とは昨年秋に浜松町のイベントで知り合い、前回の冬コミで再会した女性のことだ。

 筋肉の出番を欲している神崎を思いやって、自身の勤める印刷所の搬入作業のアルバイトを紹介してくれた。理解のある素晴らしい女性だと神崎は思っている。

 

「今筋肉と聞こえたんですが」


 ぬっと現れたのは、ひと目で鍛えていると分かる細マッチョな男だった。

 短く刈り込んだ髪におしゃれ眼鏡が光る。

 見られることをいつも意識している男だと神崎は見抜いていた。つまり、同類。

 

「保谷、お疲れ様」

「おや、江口橋さん。ということはこちらは変態入場の……」

「保谷」


 ばっさりと江口橋が遮る。

 顔見知りなのだろう。軽く肩に手を乗せ、じっと目で何かを伝えている。


「あまり口に出してほしくはありませんわね……」

「失敬失敬。確かにこんな素敵な女性を前に口にして良い言葉ではなかったですね」


 こほんと小さく咳払いをすると、保谷は軽く頭を下げた。

 

「フプヘペブロックのブロック長、保谷です。以後よろしくお願いします。ところで先ほどの筋肉とは……ふむ、そちらのあなたですね。失礼ですがお名前とホールは」


 突然自分に振られた神崎は少し驚いたが、すぐに落ち着いて軽く会釈した。

 

「神崎です。スタッフではないのです」

「なんともったいない」


 それだけ言うと保谷はまじまじと神崎の体を観察した。非常に無遠慮ではあるが、どこか敬意のようなものが混じっているのを感じていた。

 そして神崎も保谷のことを見る。がっしりとした首回り。半袖から見える腕は標準以上と言える。何よりバランスがいい。非常に計画的でストイック、そして理想の高さを感じる。

 どちらからともなく目を合わせ、うなずき合った。

 

「コミマスタッフも筋肉を生かす場面が多くありますよ」


 江口橋を見るお嬢様。そして神崎も。

 ふたり分の視線を受けた江口橋は、けげんな表情で首を傾げた。

 

「初耳だが」

「なんと江口橋さん。筋肉を意識せずスタッフ参加をしていたと? これは聞き捨てなりませんね」

「例えば、どういった業務に筋肉が」

 

 あまりにも語りたそうなオーラを出していたため、神崎が尋ねてみた。それを聞いた保谷の目がきらりと光る。

 

「例えば今まであなたが参加されていたであろう設営。これは言うまでもありませんね。机椅子を運ぶもの出番と言えばそうですが、何より重い台車を運ぶとき……これが見せ場ですね。鍛えていない人とは加速が違います。加速が。減速もです。なので安全かつスピーディーなのです」

 

 普通に考えれば急発進急ブレーキは危ないような気がするが、とりあえず三人は目で合図し合い、保谷へは口を出さないことにした。

 

「当日の作業も、外のテントを設営したりゴミ箱の展開を手伝ったり、とにかく重量物を動かす場面は数多くあるのです」


 両方とも業務外では? という言葉を飲み込んだお嬢様。額に手を当てている江口橋。


「一番役に立つ場面は、サークルさんが搬出作業の際に台車やカートを忘れてしまったり壊れてしまったりしたときです。颯爽と現れて搬出場所まで本が満載のダンボールを運ぶことは、サークルさんも嬉しい、役に立てて私も嬉しい、重いものを持てて筋肉も嬉しいと一石三鳥というわけなのです。そういうこともあろうかと、私はシャッターの段差で困っている人がいないかと待ち構えているのです」

 

 スタッフとはそういうものなのだろうか。江口橋の表情を見るに、話し半分以下で考えていた方が良さそうだ。

 

「そういえば『まんレポ』にも描かれていたことがありましたわね。荷物を軽々運んでくださったスタッフがいたと」

「おっ、そうなんですそうなんです」


 保谷は満面の笑みを浮かべてお嬢様を見た。

 いまいち動機が腑に落ちないが、実際困っている人を助けたことはあるのだろう。スタッフをする理由は人それぞれ、とお嬢様も言っていた。

 

「どうです。ここで私が『お前もスタッフにならないか?』と聞けば、神崎さんはきっとうなずくでしょう」

「とても魅力的な提案ですが……」


 ちらりとお嬢様を見る。

 同僚の雀田はスタッフ参加が合っていたのか楽しそうにしているが、自分はあそこまで楽しめそうにない。肉体労働系の手伝いができればそれで十分だった。

 

「神崎は搬入作業がありますものね」

「搬入作業。なるほど印刷所の方でしたか。いつもお世話になっております」

「いや……私は」

 

 お嬢様が『余計なことを言うな』と目で制していた。

 ここは保谷に誤解させておくことにする。


「スタッフになると、根岸さんと会う時間が減りますわよ」

「うっ、ご存じでしたか……」


 小さな声で釘を刺すお嬢様に、神崎は恐縮する。

 神崎と根岸はこの春から正式に交際を始めたのだが、まだ誰にも話してはいなかった。

 大方雀田あたりが何か察してお嬢様に言ったのだろう。

 

「しかし搬入作業とはまた素晴らしい。適職といえますね。なるほど、ぎっしり本が詰まった箱をあちこちに運び届ける……これは腕だけでなく足腰まで鍛錬が期待できます。素晴らしい素晴らしい。私も搬入作業のアルバイトがあればぜひとも紹介していただきたいものです」


 ホール本部から保谷を呼ぶ声が聞こえ、保谷はさわやかに「ではまた」と笑って去って行った。

 ひたすら自分の言いたいことだけを言って。

 残された三人は呆気にとられて保谷を見送っていた。

 神崎はようやくお嬢様が事あるごとに口にする「コミマには色んな人がいる」の意味を実感していた。

 腹の底から、くすぐったい感覚が湧き上がってくる。


「お嬢様」


 大笑いしそうになるのをこらえながら、神崎はお嬢様に向き合った。

 

「コミマは楽しい場所ですね」

「それは何よりですわ」


 色んな人が色んな理由でここに来る。

 そこから新しいものが生みだされることの面白さを、神崎も理解し始めていた。


「それにしても、同類に会ったというのに、お話しなくても良かったのかしら」

「もう語り合ったというか……そう、プロ同士多くは語らないものです」

「プロではないですわよね」

 

 お嬢様の鮮やかなツッコミ。

 とうとうこらえきれず、江口橋が噴き出した。

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