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同人誌即売会と悪役顔令嬢  作者: 狐坂いづみ
C98夏編
62/171

第53話 設営日 夏が来た

 夏が来た。

 梅雨の時期に第二回の拡大集会を終え、夏休みが始まる頃に第三回。

 そして八月に入った直後に直前集会が開かれる。

 多くのスタッフは季節の移り変わりを拡大集会で実感することになる。


 ちょうど1年前に初のスタッフ参加をしていた瑞光寺あかねは、今回副ブロック長として東5ホールに立っている。

 もちろん異例のことだ。

 3回目のスタッフ参加で副ブロック長になること。

 これまでのスタッフ参加がすべて違うホールであること。

 よって一度も登録したことのないホールで副ブロック長になること。

 しかもそれが激しい混雑の予想される偽壁のブロックであること。

 など。


 江口橋という後ろ盾はどうもとても強力らしく、そこそこの経験があるスタッフであれば大抵「ああ、江口橋さん」となる。あかねは一度だけ経歴について尋ねたことがあったが、本人はそれほどこだわりはないようで、年数以外は曖昧な答えが返ってくるだけだった。

 ただ、約20年のスタッフ経験の中で、館内はすべてのホールに登録したことがあるとは言っていた。

 あかねはどうして江口橋が自分に目をかけてくれるのか分からなかったが、働きぶりに満足してくれているのだと思うことにした。



 今回の担当は、東5ホールのネノブロックになる。

 東6ホールとの境界上に配置されているブロックで、ほかのブロックに比べてやや通路幅が広く、サークルのスペースも広くとられている。

 列も作りやすく搬入量も通常より許容量が多い。逆に言えば、搬入量が多く列ができるサークルが配置される。

 そういったサークルは外周の壁沿いに配置されがちだが、外周のスペースにも限りがある。そういったことから、このホールの境界上にある混雑対応しやすい場所に人気サークルが配置される。

 まるで壁配置のように。

 そういった理由で『偽壁』という通称がつけられた。

 

「それで、江口橋さんはどうしてわたくしを副ブロック長に」

「やらせてみたいと思ったからだ」

「その理由が知りたいのですが」

「……」


 江口橋が思案顔になる。

 もっと思慮深そうに見えていたが、思ったより直感的に行動する人なのかもしれないとあかねは思った。


「この間のシブロックでの混雑対応のようにできれば、より安全だと思ってな」

「ダークネース様のコスプレですか」


 実は、その時の様子がカタログ上で前回のコミマを振り返る「まんがレポート」通称「まんレポ」に掲載されている。ダークネース様に扮したあかねの姿を「すごいスタッフがいた」と描くサークルもいれば「間違いなく今回最高のコスプレ」と描く一般参加者もいた。

 少し前に始めたSNSでもその姿を褒めるリプライが届き、フォロワー数もあっさり1000人を超えた。あかねからはほとんど発信していないにも関わらず、である。

 あかねはそのダークネース様のことを思い出して、少し困り顔になる。

 あれは一種の偶然のようなもので、またやれと言われても自信はない。


「それだけじゃないがな。動作が洗練されていて、周囲の目を引く。これは素晴らしいことだ」

「まあ。ありがとうございます」

「そういえば、これは見せていなかったな」

 

 そう言って江口橋は携帯の画面を見せた。

 前回の漫画革命で設置されていた、落書き用ホワイトボードを撮影したものらしい。

 拡大してみると、


「すばらしく上品なスタッフさんがいて、高級ホテルかと思った」

 

 そう丁寧な字で書かれていた。

 あかねはこれが自分のことであるとは思わなかったが、このホワイトボードがA23ホールのものであり、ほかに該当しそうなスタッフがいないことを告げられてようやく飲み込めた。


「瑞光寺さんのスタッフ業務は、目を引くんだろう。いいことだ」

「失敗できませんわね」

「その時は責任を持ってやる」

「まあ。それは頼もしいですわね」

 

 表情を崩さないあかね。同じく真顔のままの江口橋。

 共に、今回こそは何事もなく平穏に終わってほしいと願っている。



 ※

 


 江口橋誠司はこれまで設営日に皆勤賞である。

 毎回東456地区の設営に参加していて、どのホールに所属することになっても、このルーチンだけは崩していない。

 そして隣に立つ瑞光寺は、設営日は初めてらしい。

 コミマは連続して三日間開催される。設営日も入れると連続で四日間を費やすことになる。

 すべての日程に参加できる人間は、実はごくわずかなのである。

 今回瑞光寺は「副ブロック長ですもの」と、無理やり予定を調整してきたらしい。

 ブロック長であっても仕事で設営日は見送る者も多い中、瑞光寺の生真面目さが目立つ。

 設営部は「学生スタッフは設営日参加を!」と呼び掛けているが、学生もなかなか忙しいだろう。

 江口橋のような社会人の方が、有休を行使して参加できるのではないかとも思う。

 ともかく、お嬢様はお目付け役の一人を引き連れて、この設営日に参加している。

 横から見ていて、張り切っている様子がうかがえる。

 真夏日が連続すると予想されている中、はしゃぎすぎないように気を付けてもらいたいところである。

 

 今回も東456の設営に参加している人数は、百を超えているだろうか。

 もはや『いつも見る顔』も多く、しかしお互い順調に年を取っているので少し心配になってくる。

 とはいえ最近は設営部からSNS発信も頻繁であるせいか、若い人の参加も多く安心感がある。

 ホール内はすっかり測量を終え、コンクリートの床に目印となるテープが張られている。場を見ることから『バミ』と呼ばれるそのテープは、机を並べるときの基準となる。


「東6のトラックから机降ろすのでー!」


 搬入部の大きな声が、ホールに響く。

 それが始まりの合図と見て、大勢の参加者が思い思いにストレッチをしながら東6のトラックへと向かってゆく。

 複数のトラックから次々に机の台車が降ろされ、その台車はガレリアに近いエリアで展開されてサークルスペースの机が並べられてゆく。

 あちこちで同時多発的に台車が展開されるが、序盤はこんなものだろう。

 以前は人数がもっと少なかったのもあって、拠点はあまり多くなく、いかに効率的に参加者を動かして展開していくか苦労して制御していたと思う。

 詳しいことは分からないが、トラックの台数や展開場所、事前の広報も含めて搬入部も色々工夫しているのだろう。

 あちこちで机が運ばれ、あっという間に机が立ち並んでゆく。

 首にタオルを巻いた参加者たちは性別も年齢も様々だが、一様に暑そうな軍手を装備している。机は案外ささくれ立っている。けがの防止のために必要な装備だ。

 机を求める列の中に、見覚えのある男性の姿があった。

 瑞光寺の関係者の神崎だ。

 関係者であることは間違いないのだが、江口橋は未だに二人のはっきりとした関係を知らない。知る必要もないのだが。


「神崎さんは普通に手伝ってくれているが、瑞光寺さんに付いていなくても良いのですか」

「一応勤務日ではありませんので」


 つまり普段は仕事で瑞光寺に付いているということなのだろう。


「今日はボランティアか」

「この後は印刷所の搬入のバイトだそうですわ」


 設営の後に印刷所搬入とはさすがに聞いたことがない。

 神崎は身体を動かすのが好きなのだろうと江口橋は考えていた。


「あらシバイヌさんですわ。少し失礼いたしますわね」


 そう断って、瑞光寺がひとりの男性参加者に声をかけている。

 シバイヌと呼ばれた参加者は少し緊張しているようだったが、嬉しそうに瑞光寺と話をしている。ペンネームで呼んでいたところを見ると、イベントで知り合ったのだろう。

 シバイヌは少し手を止めて談笑していたが、やがてまた机を受け取る列へと向かっていった。


「サークル参加者ですと設営に参加するとご褒美があるとおっしゃっていましたわ」

「ああ、『黄色い紙』か」

「『黄色い紙』……」


 瑞光寺が繰り返す。

 そうだ、忘れがちになるが彼女はまだ3回目のスタッフ参加だ。こういった細々した仕組みのことを知らないのも無理はない。江口橋は瑞光寺に『黄色い紙』のことを説明した。

 つまり設営に参加したサークルが、その『黄色い紙』に記入することによって、次回の申し込みで少し有利になるというものだ。


「そういったものがありますのね。それで設営の参加者を確保している、と」

「見返りがあってがっかりしたか」

「いえ、そんなことはありませんわ。本当にその紙だけが目的ならそのまま帰ることもできますのに、きちんと設営なさっているんですもの」

「まあ、確かにそうだな」

 

 それにしても、と江口橋は思う。

 設営日に知り合いと会うということは、人脈の確実な広がりを意味している。

 自分の知らない男性だったということは、コミマ以外のイベントで知り合ったということだろう。

 江口橋が瑞光寺を見つめる目は、子の成長を見守る親のようだった。

 


 456地区の机を並び終える前に、椅子の展開も始まっている。

 東4ホールにはこれでもかと椅子の台車が降ろされ、準備万端。

 すでに何人もの手慣れた経験者が椅子の台車に取り付き、台車にまかれたストレッチフィルムを剥がし、次々出動していく。椅子を机の上に乗せる、「ガシャン」という音に引き寄せられたかのように手伝いの参加者が大移動を始めていた。


「俺たちは机のストッパー確認と位置の微調整をして回るか」

「承知いたしましたわ」


 前者は設営参加者でもやってくれているが、後者はどうしてもスタッフ目線でチェックすることになる。

 人間が設営するので多少のずれは仕方がないが、ぱっと見で机が曲がっていたり飛び出していたりするのは、格好悪いだけでなく単純に安全にも関わる。真っ直ぐ修正しておくのに越したことはない。

 島の机を少し動かして回っていると、後ろから声をかけられた。

 

「あ、江口橋さんだ」

「お疲れー」


 東5のブロック長が二人して並んで歩いてきた。

 短めのポニーテールを振りながら、いつも笑顔を振りまいているハパブロックの椎名。

 いつもコミマの時はメイド服を着ているマミブロックの雲雀。

 

「お疲れ様、二人とも今回よろしく。特に椎名」

「はーい」


 椎名はいつもニコニコしているのだが、目を細めない不思議な笑い方をしている。

 くりくりした大きな目が自慢だから、細くしないように頑張っているらしい。謎の努力である。

 

「えっと、そちらは」


 椎名は目を見開いた笑顔のまま瑞光寺の方を見た。

 雲雀は前回のコミマで瑞光寺と会っていたので紹介は不要だろうか。

 

「今回のネノの副ブロック長だ」

「瑞光寺あかねです」

「お隣、ハパの椎名です。ずいぶん上品な人ですねえ」

「ありがとうございます」


 椎名に向かって優雅にひざを折る。

 相変わらず品のある仕草だ。江口橋はこういう挨拶を瑞光寺以外で見たことは無かった。

 改めて雲雀へと向くと、同じように挨拶をする。

 

「ごきげんよう、雲雀さん」

「おや、覚えててくれたの。光栄だなあ」


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