幕間 漫革の後に見る夢
漫画革命が終了してから1週間が経った。
あかねは突然の高熱に見舞われ床に伏していた。
家族は心配していたが、数年に一度ある「あの」発熱かもしれないとあかねは思っていた。
原因不明の高熱。
それは予知夢に繋がることがある。
(知識も、経験も、人との繋がりも、いくらか得られましたわ)
寒気と戦いながら、天井を眺める。
体のだるさと関節の痛みで、動くことすら億劫になっている。
漫画を読むのもアニメ鑑賞も今はつらい。
体はとにかく横になることを望んでいる。
夢と現実の境目が曖昧なままで、ベッドに沈み込む体。
ふわりと宙に浮かぶ感覚があり、眠りに入る手前だったのに体の苦痛で眠りから呼び戻される。
その綱引きを何度か繰り返して、あかねの意識はぷつりと途切れた。
左右にずらりと並んだ机椅子が続く。
ここは三つ並んだホールの真ん中。つまり456地区の中心にある東5ホールだ。
そこは、混乱の極みにあった。
両隣のホールで騒ぎが聞こえた。
イベントにあるまじき煙が見え、遅れて聞こえる警報音。
逃げてくる人たちがぶつかり合うのが、真ん中のホールだった。
外へ。
とにかく外へ。
火災が発生したと考えると、大勢の人が館内にとどまる状況は最も避けるべきだ。
トラックヤードに逃げさえすれば、とにかく空気はある。敷地の外にも脱出できる。
東5ホールには、トラックヤードに面したシャッターが2つある。ひとつは普段から出入りに使っているシャッターだが、もう片方はサークルスペースが配置されている。
そちら側がひどかった。
明らかに非常事態だ。だからといって、力ずくで押しのけられ本が散乱して良い状況ではない。
スタッフのアナウンスも悪い。『シャッターから外へ』とだけ言われてしまえば参加者はそれに従う。
シャッターで頒布するサークルに対して、緊急時の説明は……あるはずはなかった。こんな事態を想定していない。
それでもあかねは、他のスタッフと一緒に声を上げた。
『逃げて!』
『外へ!』
『押さないで!』
何が起こっているのか、想像でしかない。
ただ、これまで小さなちょっかいをかけていた『敵』が、仕掛けてきたのだ。
この最悪のテロを。
人の命を奪おうと。
何より、創作という文化を踏みにじろうと。
でなければ『ここ』を選ぶ理由が無い。
それに気づいたとき、あかねは怒りに我を忘れそうになった。
許せない。
許せない、許せない。
冷静さを失う直前に、また悲鳴が聞こえた。
すぐ近くで。
『すぐ離れて! 外へ!』
サークルスペースの紙袋から、火が噴き出していた。
悪意と、敵意を、炎と熱に変えて。
ここまで、蹂躙されてしまうのか。
ああ『敵』の目的は達せられてしまった。
これからコミマの運営の不手際が責められ、ついでにアニメや漫画の文化そのものに矛先が向くだろう。
少なくない犠牲者の気持ちを無視した勝手な代弁者が、したり顔で声を上げるだろう。
幾万もの創作物がこの世に生まれるその機会を奪われるだろう。
姿も見せない敵によって。
ああ、憎い。
許せない。
『いかなる時も優雅たれ』
祖母に教え込まれた教えを、この時ばかりは握りつぶしてしまいそうだった。
『きゃあっ』
その時、あかねの足元に転がり込んでくる少女の姿があった。
かばんから飛び出した同人誌が、床を滑る。
あかねは素早く本を手に取ると、その本に目をやった。
この日のために印刷された本。
作家が命を削り、時間を注ぎ、持てる技術と思いを結実させた本。
座り込んで呆然としている少女の前で膝をつくとあかねはそっとそれを差し出した。
そして、深呼吸をする。
思い出せ。自分のやるべきことを。
『あっ……』
少女は驚いた表情であかねを見ると、恐る恐る本を受け取った。
外へ避難する少女の背を見送って、振り返る。
サークルスペースに倒れる人の影。
それも複数の。
「……!!」
息が、詰まった。
そこに倒れているのは、まぎれもなく自分の知った顔。
少し前に言葉を交わした相手。
『~~!』
誰かの声がした。
それも、ひとりでは無い。
たくさんの自分を呼ぶ声。
『~~!』
また、声がした。
そして、光があふれた。
はっと目が覚めると、汗を吸い切った肌着の重みと冷たさがあった。
まだ本調子ではないが、熱は下がったように思う。
少し起き上がってみるが、すぐに倦怠感と吐き気に負けてベッドに倒れ込んだ。
「それにしても……」
同じ事件を二度も夢で見たことは、これまでなかった。
あの光景は間違いなくC100夏の、東5ホールでの出来事だ。
そして、まだそれを回避するには至っていないことだけは理解できる。
あの場所から逃げるわけにはいかない。あの事件を根本から、起こらないようにしなければならない。
でも……
「一体……」
最後の部分、少しだけ違っていた気がする。
誰かが声をかけてくれた。
巨大なイベントの中で、自分はあまりにも無力だ。
何回かスタッフをやって、改めて現実を思い知る。
だが、今までこのイベントの中で自分ひとりで何かをやったことなどなかった。
いつも誰かがいた。
そういうことなのだろうか。
しかしこの状況を、一体誰が信じてくれるというのだろう。
一瞬、苦楽を共にしたスタッフの顔が頭をよぎるが、こんなことを話して信じてもらえない方がつらい。
「どうすれば、いいんですの……」
何もできないあかねにとって、過ぎる日々が秒読みにしか感じられなかった。




