第49話 午後の実践
Reikaこと淡野紗子は愛想笑いを浮かべながら困り果てていた。
自分のサークル『ブライトンの砂』は頒布がひと段落し、隣と交換した本にゆっくり目を落としているところだった。
しかしそれが中断され、目の前の人の相手をしている。
目の前にいるのは、即売会の困った体験談でよく挙げられる種類の人だ。
「それでこの作品の前に監督していたアニメがあるんですが、知ってますか?」
「いえ……あまり詳しくはないので」
「じゃあ覚えてください」
相手に興味に関係なく、自分の知識を際限なく話し続ける男。
自分の出した本の原作と少し関係があるといえばあるが、机に置かれている本を手に取りもせず、さっきから話続けている。
強面の兄がいれば、まず寄ってこない人種だ。
現に今まで4回即売会に出たが、一度もこんなことはなかった。
運悪く兄が不在の時間。強く言ったり周りに助けを求めることもできず、男の話を聞いているような、いないような、逃げたくても逃げられない非常に息苦しい時間が流れていた。
「その作品と共通していることがいくつもあって例えば……」
(兄さん早く帰ってきて……)
椅子から立ち上がらなかったのがせめてもの救いだろうか。
立っていたら足が持たなかったはず。
Reikaが慣れない愛想笑いに疲れて、少しの恐怖を覚え始めたころ、凛とした声がスペースに届いた。
「少々よろしくて」
「えっ」
場違いなほど美人で長身の女性がサークルの前に現れた。
ただ美人なだけではない。この人は、朝に追加椅子の購入に行き完売の憂き目にあった兄のことを覚えていて、後で余った椅子をわざわざ持ってきてくれたスタッフだ。
同性でも見とれるほどの小顔美人は、パイプ椅子を持って立つ姿すら様になっていた。
その美人画、目の前にいる。
「瑞光寺さん」
その瑞光寺の表情が少し硬いのが気になったが、とにかく助かったとReikaは思った。
分かりやすくスタッフ証が見えるようにしてくれている。
「申し訳ありません。こちらの都合で少し確認せねばらないことがございますの」
「確認、ですか」
「ええ」
即売会の途中で確認することなどあっただろうか。思い当たることはないが、この男性の話を聞き続けるよりはこの頼れるスタッフさんと話をする方が良い。それよりも、どこかで助けを求められるタイミングはないだろうか。
「ああ、個人情報に関わることでございますので、少しお離れになって」
「あっ、はい……」
瑞光寺がまっすぐに目を見つめると、男性が一歩たじろいだ。
眼力のある美人は人を撥ねつける力があるのだと感心する。
男性から隠すようにして、何かを見せてくる。
「それで、こちらなのですが……どちらか指を差していただけませんこと」
「えっ……と」
差し出された紙の端に、小さく書かれた2行の文。
『知り合いではないので助けてほしい』
『知り合いなので問題はない』
見た瞬間、泣きそうになった。
ああ、この人はちゃんと助けに来てくれたんだと。
安心からこみ上げる気持ちを抑えながら、Reikaはそっと上を指さした。
「……こっちです」
「ふむ、そうでしたか」
ぱっと紙をしまうと、ひざを折って目線の高さを合わせてくれる。
瑞光寺はまるで『大丈夫』とでも言うかのようにReikaの目を覗き込んだ。
「本来ですと本部にご同行いただきたいところなのですが、お一人ですしそれも難しいところですわね」
「あ、そ、そうですね……」
この人は、あの男性から引き離そうとしてくれている。
今はサークルスペースを空けてでも、目の前の男性と離れたかった。
本部についていくことを伝えようと口を開いたとき、聞き慣れた声がした。
「何かあったっすか。瑞光寺さん」
「あら、淡野さん。少々Reikaさんに確認を……あら、どこかに行ってしまわれましたわね」
目を離した一瞬の間に、例の男性の姿はなくなっていた。
「ありがとうございます……瑞光寺さん。助かりました」
急に安心して、力が抜ける。
心配そうに見る兄に、顛末を話して聞かせた。
すると瑞光寺に向かって勢いよく頭を下げる。
「ありがとうございます! 瑞光寺さん!」
「いえ、何事もなくて良かったですわ。淡野さんが戻ってこられたお陰ですし」
「とっても不安だったので、本当に、泣きそうで……」
「このあたりのスタッフにも共有しておきますわね。午後もしっかり巡回してもらえるよう」
「……すみません、本当に」
「あら、Reikaさんは何か悪いことをなさいましたの?」
「え?」
Reikaは驚いて瑞光寺を見上げる。
鋭い目つきに一瞬咎められているのかと思ったが、兄が仕方ないといった風に笑いながらため息をついた。
「ありがとうございます、だろ」
「あっ……ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げるReika。瑞光寺は目を細めると「万事お任せくださいませ」と優しく声をかけた。
それを聞いたReikaの瞳には、また涙が潤んでいた。
※
漫革はコミマに比べると会場が狭い。そうなると密度も高い。
あかねは江口橋にReikaのサークルでの出来事を報告し、巡回をしてもらうようお願いをしておいた。
そしてまた、自分も巡回に出る。
ホールの中の密度が高いと、当然知り合いに会う確率も自然と高くなるのだが……
「あら、探花さん」
「うっ……ア、アカネサマ」
あかねがサークルの机越しに見る青年……探花は、目に見えて動揺していた。
セットされていない雑な髪は、その状態に反して手入れがされている。妙にアンバランスだ。
目立たない服と黒縁眼鏡、ぼさぼさの髪型でわざとファッションに無頓着であるかのように演じている風に見えた。
「今日はサークルでご参加ですのね。おひとり?」
「え、ええ……あの、その探花はコスプレの名前なので、ここではこっちで呼んでいただければ……」
探花は急に小声になって、机の本を指さした。
文庫本の表紙に書かれている『箱辺スズシロ』の名前。これが探花のペンネームらしい。
「これは失礼いたしました、箱辺さん。お名前の使い分けをなさっているのですね」
「ええ、まあ」
あいまいにうなずく箱辺は、どこか困っているように見える。
その原因が自分だとは夢にも思わないあかねは、コスプレもして本も出している彼のことを尊敬の目で見ていた。
「それはそうとあの」
「何でしょう」
「あの、良く分かりましたね」
「おっしゃっている意味がよく分かりませんが」
「つまりその、ひと目で『探花』だと見抜かれたのは初めてなので」
「あら、そうでしたの」
意外そうに答えるあかね。
あかねからすれば、3か月前に出会ったばかりの人の顔を忘れてしまっている方が失礼なのだが。
多少髪型や服装が変わったところで見間違えることは無い。
それが女装から男装に変わったとしてもだ。
「わたくし人の顔を覚えるのは得意ですのよ。それに箱辺さんだって、コスプレしていないわたくしのことをお分かりになったではありませんか」
「いや……それにしたって」
そこに、ハスキーボイスの女性が割り込んできた。
「ただいまー。あ、あれ? えっと、スズシロの知り合い……かな?」
髪の長さが不足していて無理に作ったであろう三つ編みに、明らかに度の入っていない眼鏡。
その表情はあかねを見て動揺の色を浮かべているが、あかねは気にせずひざを折って挨拶した。
「ごきげんよう、リョリョさん」
「リョ……」
あまりにも動揺したのか、手に持っていた菓子パンをぽとりと床に落とす。
「リョ……リョ? だ、何の名前でしょう?」
ひきつった笑いを見せながら、リョリョは床のパンを拾う。動揺からなのか、その手が震えている。
あからさまな反応に、箱辺がため息をついた。
「もうバレてるから……」
「えっ、どうやって」
なぜか絶望に満ちた目であかねと箱辺を交互に見るリョリョだった。




