第48話 それぞれの学び
「お昼来てるから、ふたりで休憩に入って」
そう尾道に言われたのは、正午を少し回ったところだった。
尾道の言う『ふたり』とはあかねと児島のことだが、『神谷晩天堂』と『苺亭』のパケット移動の業務はまだ続いている。
そのことを伝えてみると、
「もうだいぶ大人しいし、俺ひとりで見れるよ」
とあっさりと言う。
児島は「さすがエリアリーダー!」と尾道を褒め、休憩室へとあかねを引っ張って行く。
「確かに時間に余裕はありましたが、お一人では大変なのでは」
「そうなんだけど、多分尾道さんは混雑対応がやりたいんじゃないかなあ」
そう児島に言われて振り返ると、尾道が楽しそうに列を動かしているのが見えた。
「いるんだよね。エリアリーダーみたいな『管理職』になっちゃって、現場の列に触りたいのに触れない人。そうじゃないかなって思ったんだよ」
「それは気づきませんでしたわね」
「『そういう人もいるんだ』って思いながらスタッフを観察してみると、何となく分かると思うよ」
児島は「特に男は単純だからね」と付け足して楽しそうに笑った。
尾道は列整理がしたいのに、できない。そうなのだとすると、どうしてスタッフ参加するのだろう。機会があれば聞いてみたいとあかねは思うのだった。
「あ、引き継ぐの忘れたけどまあいいか」
そう言って見るスタッフ業務で使うボードには会場の図面が綴じられていて、さっきの列がどう伸びたか記録されている。あかねは列の先の方まで目が届いていなかったが、『神谷晩天堂』と『苺亭』の列がどこまで伸びたか記録していたらしい。
児島は視野が広い。あかねは改めて感心していた。
「あっ、スタッフさん……瑞光寺さん!」
ふたりでどう列が伸びたのか覗き込んでいると、唐突にあかねを呼ぶ声がした。
見覚えのある金髪は、やはりこの会場の中ではかなり目立つ。
「あら淡野さん、ごきげんよう。スペースは大丈夫なんですの」
「あー、ちょっとなら。あの、椅子を譲ってくれたサークルさんにお礼が言いたくて、もう一度場所を教えてもらえませんか」
「ええ、構いませんわ」
もしかして自分を探していたのだろうかとあかねは思った。淡野の手に数冊の同人誌が抱えらえているので、ついでに探していたのが正しいのかもしれない。ただの付き添い売り子と思っていたため、本を買っているのは少し意外だった。
あかねと児島は淡野を連れて『SA大明神』のスペースへと案内する。
場所を教えられた瞬間、淡野が駆け出すように前に立ち、勢いよく頭を下げた。
「ありがとうござっした!」
「え、ええ……?」
訳も分からず慌てる『SA大明神』の絵描きであるシバイヌ。
キョロキョロとあたりを見回すとちょうどあかねを見つけ、助けを求めるような目であかねと児島のことを見る。しかしシバイヌは口をアワアワさせるだけで、どう助けを求めていいのかも分からないようだ。
「淡野さん、いきなりですとシバイヌさんがお困りですわ」
「んあっ、そうだ……あー、あの、椅子を譲ってもらって」
「椅子?」
ようやく心当たりのある単語に行きつき、シバイヌは合点がいったようだ。
安心したような笑顔を見せる。
「ああ、朝の。えっと、こちらの方にお譲りしたということですか」
「ええ、その通りですわ」
「すげー困ってたんで、マジでありがたかったっす」
事情を知らない淡野が、また深く頭を下げた。
仕草がかなり大仰だが、彼なりの感謝の表し方なのだろう。
「あの、いえ、あれは……」
「あ、あれって有料っすよね。お金払います」
「いやそんな、いいですよ」
淡野の風貌に押されてか、少し引き気味にシバイヌが首を振る。
傍から見れば絡まれているようにしか見えない。
「そんなわけにいかないっすよ。あ、本も買いますんで。これ下さい。あ、マジギアの本」
マジギアは三年ほどまえに放映されていたアニメで、正式名称は「マジカルギアバトル」と言い、魔法の力で動くロボットが戦うというテーマの男子向けのアニメだ。
親しみやすいキャラクターと迫力ある戦闘シーンの演出でかなり評価は高い。
「マジギアご存じなんですね」
「バトルの作画すげーっすよね」
「本も差し上げますよ」
「いやいやいや。無理無理無理。お金払うんでマジで」
シバイヌは再び助けを求めるようにあかねを見る。
しかし、今回はどちらかといえば淡野の意思を尊重するべきのような気がする。
シバイヌとして……いやサークル『SA大明神』としては複雑な心境かもしれないが。
「シバイヌさん。時には感謝に応じることも、相手の方のためですわ」
観念したように目を閉じると、うーんと唸る。
確かに、シバイヌの気持ちの問題だけで誰も損はない。
「あー、じゃあ……椅子と本で千円でいいです」
「ッス!」
さりげなく百円引きされていたが、そこは淡野も何も言わなかった。
勢いよく千円札を取り出して机の上のトレーに乗せる。
手渡された同人誌をパラパラめくると、淡野が感心したように息を吐いた。
「すげー……描き込んでるっすね。ゆっくり読ませてもらうっす」
「いや、ありがとうございます」
ひとまず解決したようなので、あかねと児島は『SA大明神』をそっと離れた。
少し歩いてから、児島が感心したようにあかねを見上げる。
「すごいね、瑞光寺さん。一言で解決しちゃうなんて」
「わたくしは何もしていませんが……」
「サークルさんの背中を押してたように見えたけど、計算なしだったってことかあ」
ついていけていないあかねを置いて、児島はうんうんとうなずいている。
「んー?」
ふと児島が立ち止まった。
何かあるのかと視線の先を追うと、サークルと話している一般参加者の姿が見えた。
どちらかといえば一般参加の男性が、サークルの女性に話しかけているというのが正しいだろうか。
「すみません、少しよろしいでしょうか」
児島はするりとふたりの間に滑り込むと、サークルの女性に向かって話しかけた。
ふたりとも一瞬面くらったような表情になる。
「ちょっと確認したいことがあって……あ、すみません、ちょっと個人情報に関わることなので、少し離れていただけますか」
児島はそう言って男性を一歩後ろに下がらせると、サークルの女性にボードを見せている。
周囲に見えないように隠しているので、内容は分からない。
「確認不足で申し訳ありません、こちら……該当しますか?」
「あ、はい」
個人情報。確認不足。
これらが何の話かあかねには思い当たらなかったが、会話が成立しているので何かあるのだろう。
あかねは、まだまだ自分の知らない業務があるのだと思いながら二人を見ていた。
「じゃあ……お手数ですが本部に来ていただいた方がいいと思うので、ご同行いただけますか。瑞光寺さん、ちょっと不用心だから戻ってくるまでサークルスペース見ててもらっていい?」
「ええ、もちろんですわ」
「じゃあ失礼しますねー」
そう言うと児島は女性を伴って速やかにスペースを離れた。
取り残されたあかねと男性は、双方展開の速さに置いて行かれたようだ。
「何かあったんですか?」
男性が当然の疑問を口にする。
そう言われてもあかねにも分からない。
「わたくしにも分かりませんの。個人情報に関わること、とのことでしたわね」
「長くかかりそうですか?」
「管轄外ですので、何とも申し上げられませんわ」
「そうですか」
ふたりは本部の方へと向かっていったが、もうその姿は見えない。
三分ほど何も言わず立っていたが、男性の方はいつの間にかスペースを離れていった。
なんとなくその姿を追っていると、やがてホールの出入り口から外へと出て行った。いつ戻ってくるか分からないならそうなるだろう。
あかねは継続してサークルスペースの監視を続けていた。
ほどなくして、携帯に着信があった。児島だ。
『あ、瑞光寺さん。さっきの人どっかいった?』
「ええ……ホールから出られましたわ」
『ありがとー。じゃあ戻るのでもう少し待って』
周囲に気を払いながら待っていると、児島が女性を連れて戻ってきた。
心なしか安心した表情に見える。
「一応大丈夫だと思うんですが、もしまたあったらスタッフに声かけてください。こっちでスタッフに周知はしておくんで『さっきの件で』とかそういう言い方してもらえればまた避難してもらえるかと思うので」
「分かりました。ありがとうございます」
「被害者が逃げなきゃならないのも変な話なんですけどね」
「いえ……もめ事になると余計ややこしくなると思います」
「うーん、そうなんですよね……」
あかねと児島は一礼すると、サークルから離れた。
昼食の時に事情を確認すると、あのふたりは知り合いでもなんでもなかったらしい。つまり、サークルの女性が絡まれていたことになる。
「知り合いかどうかなんて、横から見ても分かんないからね。だから紙に『1:知り合いで問題はない。2:知らない人で離れたい』って書いて、どっちか指さしてもらったの。まあほとんど問題ないばっかりだったんだけど。今回みたいなのは初めてだから、聞いてよかったよ」
児島はそう言って笑うと、お昼の唐揚げを口に運んだ。
この方法は児島のオリジナルらしい。観察眼に加えてひらめきも、そして実行力もある。これは雀田の好きなタイプの人間だ。
そういえば雀田はちゃんとご飯を食べたのだろうか。今日はずっとホール本部に詰めているはずだが。
次に機会があるときはちゃんと雀田を児島と組ませてあげよう。
(それにしても)
児島の持つボードに目をやる。
あのボードの後ろでそんなことがあったなんて。これまでただ情報を挟むだけだった自分が恥ずかしい。
あかねは、まだまだ自分の知らない業務があるのだと思いながら児島のボードを見ていた。




