第47話 尾道の感想と児島さん
尾道俊明は珍しく緊張していた。
創成期から漫革のスタッフをしているが、今回は4つのホールの中で最も混雑が予想されるA23ホールの担当であり、かつ最も混雑するエリアのエリアリーダーを担当することになったからである。
この漫革はスタッフの担当がコミマのようにブロックで分かれていない。
ホール単位でスタッフが決まってはいるが、担当エリアは地図上の右上、右下、左上、左下、本部の5つに分かれている。
今回のエリアは地図の左下を担当することになっていて、ここに期待の新人を投入したのである。
瑞光寺あかね。
去年夏からコミマのスタッフを始めた初心者のはずだが、尊敬する先輩である江口橋がずいぶん目にかけている。ちなみに尾道はC97冬の東4に出現したダークネース様を目撃していて、さらにそれがあかねだと知っている。
この尾道が、今回江口橋に頼み込んで瑞光寺を漫革スタッフに誘わせた張本人である。その代償としてエリアリーダーをすることになってしまったのだが。
瑞光寺のようなやたら顔が良くて背が高くスタイルも良いタイプはこれまで見たことがなかった。
さらに言葉遣いと仕草はお嬢様のそれとなっていて、この子が一体なぜスタッフをしようと思ったのか、そもそもなぜオタクなのかが不思議でならなかった。江口橋にも聞いてみたが、はっきりとは知らないらしい。
なんとなく気になるところだが、打ち上げか何かで聞く機会があるだろうか。
今回のA23最混雑サークルは『神谷晩天堂』で間違いないだろう。スタッフが必要かと言えば、それほど必要がない。初動で列を階段方面に伸ばせば、あとは最低限のメンテで参加者が列を維持してくれる。
さらに売り子でスタッフ経験者の君堂莉子の姿がある。いざとなれば彼女が何とかするだろう。その方針で良いと江口橋からも許可をもらっている。
問題なのが次に混雑しそうな『苺亭』だと尾道は考えている。
ただ、配置が悪い。
これが尾道の緊張の原因だった。
すぐに階段に流せればいいのだが、若干距離がある。
サークル主であるべりまるは、配置発表の直後に発売されたゲームに原画で参加し、そのゲームの評価も相まって今最も勢いがあるサークルのひとつと見ていい。
繰り返すが、配置が悪い。
階段に続く廊下に列を置くつもりだが、『神谷晩天堂』と導線が交差する。
導線が交差するところには、当然両方とも列を置くわけにはいかず、長いパケット送りが必要になる。
パケットは、その距離が長くなるほど難しくなる。
しっかり手を上げて移動してもらうにしても、混雑とぶつかればはぐれる危険もあるし、横入りされるリスクも当然高まってくる。
そのあたりにテクニックがあるが、瑞光寺にどこまで任せられるか不安ではあった。
瑞光寺は『苺亭』のべりまると知り合いらしい。列作成に関する協議に立ち会ってもらったが、彼女が顔を見せただけで、べりまるの緊張が少しほぐれたのが分かった。
正直なところ、美人顔だが目つきが刃物のように鋭い彼女は近寄りがたいと思うのだが、サークル側は平気なのだろうか。
開場時間が迫る。
先にサークル参加者で列の初動を形成。この時点で神谷晩天堂も苺亭も五十人を超えている。
『ただいまより、第21回漫画革命を開催いたします!』
色々なことを心配しながらも、拍手に包まれて開場時間を迎える。
そして一般参加の概ね予想通りの人の流れが、A23の入り口からこちらに向かって出来上がる。
一般参加者も心得たもので、これら混雑サークルが階段に列形成されることを承知しているようである。
さらに瑞光寺の誘導ははっきりとして的確だ。
(迷い込んだ人の誘導……は問題なさそうだな。声の出し方と体の使い方が上手い)
最も勢いのある初動の波が収まったと判断した尾道は、エリアのスタッフに大号令をかける。
「パケット開始して! 通すとき衝突しないように確認し合って!」
「承知いたしましたわ!」
他のスタッフはうなずいて動き出す中、瑞光寺の上品な返答が耳に届いた。
尾道は思わず吹き出した。
「ふっ、良い返事!」
人混み越しに、瑞光寺がにやりと笑ったように見えた。
そのあまりの迫力に、腕に鳥肌が立つのを感じた。
※
あかねの業務自体は、非常に単純なものだった。
ホール外に並べてある人を、『苺亭』の前に連れていく。
ただ、その時に移動する列の人たちがはぐれないよう歩く速さを調節したり、人混みに向かって列が通っていることをアナウンスしたりと意外と注意を払うべき点が多い。
それに今回は『神谷晩天堂』と導線がかぶっていることから、タイミングをずらさなければならないしその上移動距離が長い。『苺亭』の前に列が無くなってしまう事態が一番まずいので多目に人を連れていきたいが、『苺亭』の前のスペースもそれほど余裕があるわけではないので一度に移動する人数も限りがある。
頒布のペースは一定ではない。中身を見る人がいたり、お釣りが必要な一万円を出す人がいたり。
ただでさえ人通りが多い通路の中、今回最も気を遣う混雑対応だった。
(列の長さがどのくらいか見当もつきませんわ……これは長期戦を覚悟せねばなりませんわね)
背筋を伸ばし、声を上げ、絶えず周囲に視線を巡らせながら『苺亭』の列を捌いてゆく。
何度か『苺亭』の前を空にする軽微な失敗はあったが、概ね順調だと思えた。
「それでは、ここで一旦切りますわね。こちらより前の方、お手をお上げになって」
聞きなれないアナウンスに参加者は少し戸惑うが、大人しく従ってくれている。
C97冬の時と違いコスプレはしていなかったが、自信をもってはっきり伝えることのコツを掴んだあかねから発せられる雰囲気は、この混雑において小さな秩序をもたらしていた。
端的に言って、所作が美しい。
通常スタッフのアナウンスは半分聞かれていればいい方だが、あかねには目を引くものがあった。
「あら、最後尾にお回りいただけますかしら」
列を移動させた後、しれっと後ろに付いた男性に声をかける。
あかねは極めて友好的に笑いかけたつもりだったが、声をかけられた男性は引きつった表情で目を泳がせた。
「あ……最後尾じゃなかったのか」
「ええ、あちらの先になっております」
「はい……」
そそくさと去ってゆく男性を見送りながら、一連の様子を見ていた尾道が感心したように笑った。
どうやら尾道も割り込みを目撃していて、一声かけようと思っていたようだ。
「よく割り込みが分かったね、瑞光寺さん」
「あら尾道さん。わたくしが列の途中を切ったのですもの。移動する方々の顔や背格好を覚えていて当然ですわ」
「これは頼もしい」
事も無げに言ってのけるあかねを、尾道が尊敬の混じった眼差しで見た。
新人もベテランも関係ない。この女性はこの場所に秩序をもたらす、頼れるスタッフのひとりだ。C97冬に見た光景は偶然ではないらしい、と尾道は思った。
「苺亭さんは順調そうだね」
「ええ、今のところは順調ですわ」
エリアリーダーの尾道は満足げにうなずくと、『神谷晩天堂』の状況確認に向かっていった。
尾道の要求に応えられている、と判断していいのだろう。
あかねはさらに自信を深めながら、同じ作業を繰り返した。
数えきれない回数の列移動を完了させたとき、べりまるが顔をのぞかせた。
列を連れてきたあかねを見つけてほっとしているように見える。
「あの……あかねさん、すみません」
「どうかなさいまして?」
そういえばC96夏で自己紹介したのだった。
コスプレイヤーの探花にも『アカネサマ』と呼ばれている。下の名前の方が親しみやすいのかもしれない。
そんなことよりも今はべりまるの方だ。
「もう新刊が無くて。次に移動してくる方たちに足りるかどうかです」
どうやら残りは机の上に載っている分だけらしい。
『既刊』と書かれた本はまだいくらか余裕がありそうだ。
「あら……そうなんですの。では次の移動が済みましたらご相談いたしましょう」
「お願いします」
列の移動の人数を少し減らして様子を見る。
あかねにも経験があるが、目の前で新刊が完売になる悲しさは即売会の中で最もつらいシーンのひとつである。
最後の一冊のじゃんけんを見届けていると、隣からオールバックポニーテールの児島に声をかけられた。
「お、瑞光寺さん。そっち完売?」
「新刊のみ完売ですわね」
それを聞いてから苺亭の机を確認し、少し苦い顔をする児島。
「あー、確かに既刊が残ってるね。次のアナウンスに気を付けてね。一気に伝えると崩壊するかもしれないから」
「崩壊……」
「怖いのはね、前の人たちが列を離れて『もう何も無いんだ』って勘違いさせちゃうこと。離れちゃった人たちから『既刊だけでも買ったのに!』ってクレームが出ることもあるし」
説得力を感じさせる児島の言葉。もしかしたらどこかで失敗した経験談なのかもしれない。
それを確認しても仕方がないので、あかねは児島の言葉にうなずいて続きを待った。
「えっと、だからね、前の人から少しずつアナウンスしていくんだよ。人が抜けたら列を詰めてもらって、列を組み直すの。その作業があるからサークルさんに言っといた方がいいかもね……私が『苺亭』の列の組み直しをしてそのままパケット持って来るから、瑞光寺さんはサークルさんに『頒布ちょっと待って』って伝えてきてくれるかな」
「あ、ありがとうございます」
気づけば最後の本の争奪戦も終わっている。児島は急いだほうがいいと判断したようだ。
あかねは言われた通りべりまるに説明し、児島が列を移動させるのを待つ。
何人かが列を離れたようだが、まだまだ既刊だけでも求める人が多いようだ。
「瑞光寺さん、あとお願いね。残りは既刊が欲しい人の列だから」
「承知いたしましたわ」
今回は児島に助けてもらった。たまたま近くで気にしてくれていたから問題なく対応が済んだが、自分ひとりだったら列を崩壊させていたかもしれない。
もう少し視野を広くもたなければ。
もう少し自分が行動した後のことを想像しなければ。
スタッフとして四回目のイベント。まだまだ課題が多い。
あかねはしばらくの間、列の移動業務を続けながらそんなことを考えていた。




