第46話 再会と出会い
「おはようございます。あら、探花さん。ごきげんよう」
「うぇっ!?」
挨拶された青年は変な声を上げ、思わず立ち止まる。
目深にかぶった帽子にメガネをかけているが、あかねははっきりその人の……C97冬で出会ったコスプレイヤー、探花の顔を覚えていた。
今日はちゃんと(?)男性の格好をしている。
「どうかなさいまして?」
「ア、アカネサマ……」
絞り出すように答える探花。
当然のように今日はコスプレではない。チェックの長袖に黒の綿パン。動きやすさ重視だろうか。
通り過ぎるサークル参加者が、何事かと二人のことを横目に見る。
「今日はサークル参加でいらっしゃいますのね」
「はい。あ、あの、ちょっと……えっと、また後で」
「ええ、朝はお忙しいですものね」
これからサークルの準備をしなければならない。そのために彼らはここに来たのだから。
朝の貴重な時間を奪うわけにはいかないとあかねは一歩後ろに下がる。
探花はぎこちなく会釈をして、自分のスペースの方へと去って行った。
改めて挨拶をしていると、また見覚えのある顔がいた。
「おはようございます……べりまるさんではないですか。ごきげんよう」
「おはようございます。えっと……」
記憶を探るような気配のべりまる。
あかねはその様子を察して、自然に自己紹介をする。
「C96夏の3日目に担当いたしました、瑞光寺と申します」
「あー……ああ! あの上品なスタッフさん! すみません、すっかり忘れちゃってて」
「いえ。あの時はお世話になりましたわ」
「こちらこそ、あの時私の漫画を褒めてもらって、少し自信がついたんですよ」
一応「何かあれば」と連絡先を交換はしていたが、あの夏コミ以来連絡を取ることは無かった。
C96夏の3日目、入場列を妨害されたのではないかという情報をもたらしてくれたのはべりまるだ。
あかねにはC97冬の連続爆竹の件が無関係とは思えない。
これらが繋がっているとしたら、何者かが対応をうかがっているような気がする。そしてその目的は……
あかねが考え込みそうになるところで、べりまるの優しい笑顔に引き留められた。
「瑞光寺さん、漫革でもスタッフされているんですか」
「ええ。といってもこのイベントは初めてなのですが」
少し話していると、べりまるを呼ぶ声がした。
サークルにとって朝の時間帯が忙しいことを思い出し、あかねは頭を下げた。
「ああ、引き留めてしまって申し訳ありません。どうぞ、ご準備を」
「すみません、ありがとうございます。また今日もよろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ」
急ぎ足でサークルスペースに向かうべりまる。
その後姿を見送りながら、イベント会場で知り合いに会う機会が増えていることに気づく。
高校までも、大学でもあまり同じ趣味の知り合いのいないあかねにとって、この同人誌即売会というイベントは知り合いと会って話せる貴重な場所になっていた。
あかねは本部で混雑対応系の備品を整理しながら、会場に備える。
列の最後尾札、列の途中札、太い黒マジック。ひとまずこのセットがあれば大きな混乱はないだろう。
コミマより狭い会場だからこそ、こういった札の重要性が増す。
「すいません、追加椅子ってありますか」
「申し訳ありません。本日の追加椅子は完売ですの」
「あー、そすか……」
元々の配置サークルが多かったせいなのか、今日の追加椅子はもう完売していた。このイベントにしては珍しいことらしい。
金髪にピアスの男性は、がっくりと肩を落とした。
即売会ではあまり見かけない格好だが、胸には間違いなくこのホールの青いシール入場証が貼られている。
この人がどんな作品を生み出しているのか興味があったが、言葉を交わす前にサークルスペースへと戻って行ってしまった。
備品の準備がほぼ終わり、支給された飲み物を飲んで休憩していると、江口橋から声をかけられた。
「瑞光寺さん、悪いが少し頼みたいことがあるんだが」
「ええ、構いませんわ」
「内容も聞かずに即答するんだ……」
江口橋の隣に立つ、エリアリーダーの尾道が、感心したように笑う。
先ほど紹介されたが、同じ東4ホールのシブロック員だったらしい。見かけたような気もするが、あかねはあまり覚えてはいなかった。今日の漫革では、あかねは尾道の下について業務をするらしい。
「江口橋さんのご依頼ですもの。そう変なものではありませんでしょう」
「信頼されてますねえ、江口橋さん」
尾道が意味深な笑顔を送り、江口橋はため息をついた。
教えられたサークルスペースに着くと、見るからに険悪な雰囲気の男性2人が立っていた。
このサークル『SA大明神』の机はすっかり設営が終わっており、今からでも頒布できそうな状態だった。
雰囲気が重苦しいことを除けば。
あかねの登場によって、どうも周りのサークルの方がほっとしているように見える。
「おはようございます。お困りごととか」
「ああ、スタッフさん。追加椅子を返すことってできますか」
椅子に座った黒縁眼鏡の男性が、硬い笑顔であかねに答える。
後ろの短髪の男性が、ため息をつくのが聞こえた。
「返金、ということでしょうか」
「あー、そうなるのか……いや、返金じゃなくてただの返品です。お金は要らないです」
「借りられたのに、ご不要になった、と」
「そうです」
「失礼ですが、何か事情がおありなのでしょうか」
「事情……まあ、ふたりでサークルスペースにいることは無くなったってだけです」
「まあ」
何かトラブルだろうか。
どちらから事情を聞いたものかと考える前に、後ろの短髪の男性がスペースを出た。
「じゃあ頼むわ」
「ああ……」
最低限の挨拶を交わすと、眼鏡の男性とあかねを残して去って行った。
どうにも気まずい空気だったが、少し明る目に声をかけた。
「よろしければ、お話いただけますかしら」
「お話、ですか」
「ええ、お悩みのご様子ですので。話を聞くぐらいならできますわ。何かお助けできるかもしれませんし」
「助け……」
『SA大明神』の売り子をする眼鏡の男性は『シバイヌ』と名乗り、出て行った男性は『七太』という名前で活動していると教えてくれた。
二人は高校時代からの付き合いで、もう5年目になるとのこと。
「ここは二人サークルで、今出ていった『七太』は字書きで、俺は絵描きなんです。それであの、俺が商業で軌道に乗り始めてて……」
「まあ、それはおめでとうございます」
「ありがとうございます。でも、それであいつがこのサークルを解散しようって言い出して」
「解散、ですか」
あかねはシバイヌの言葉を繰り返す。シバイヌは小さくうなずくと、そのまま話を続けた。
きっかけは、誰とも知らない人からの感想メールだった。
そこには『絵描きのシバイヌの漫画だけで良い。七太の小説はいらない』といったことが書かれていた。それまでもSNSのフォロワー数もイベントでの知り合いの数も大きく差があった状況だけに、七太はもうやりたくないと考えたという。
「大学にいる間は、一緒にやろうって言ってたんですけどね。もう、今日でやめるって……」
悲しそうな表情を一瞬だけ見せ、誤魔化すように笑うシバイヌに、あかねはどう声をかけていいか分からなかった。
そもそも七太の意思で決めたことに、他人が口出しすることではない。
「なので椅子、持ってっちゃってください」
そこまで聞いてしまって、断ることもできなかった。
あかねは『SA大明神』の椅子を受け取ると、一礼をする。
「それでは、失礼いたします。お力になれず」
「いえ。聞いていただいて少し楽になった気がします。こっちこそお手数をおかけして申し訳ないです」
こんな時、君堂なら明るく励ますだろうか。
江口橋なら、何か安心させるような一言をかけるだろうか。
自分が何も持ち合わせていないことに気づき、あかねは目を閉じて低い天井を仰いだ。
椅子を本部に運ぶまでの間に、見覚えのある容姿の男性がサークルスペースに立っているのが見えた。
金髪にピアス。この会場の中では一人しかいないだろう。
隣には大人しそうな女性が椅子に座っている。どうやらこちらも二人サークルのようだ。
「あの」
「あ? なんすか?」
スタッフ証は見えているはずだが、まるで威嚇するような目を向けてくる。
しかしあかねは机越しににらまれてもそれほど気にならなかった。
金髪は少しいら立ってはいるようだが、先ほどの重苦しい『SA大明神』に比べれば何ということはない。
「先ほど、追加椅子をお求めでしたかしら」
「そっすけど……えっ、もしかして」
金髪はあかねの手に持つ椅子を見ると、急に背筋を伸ばした。
先ほどの自分の態度が適切でなかったことに気が付いたのだろう。
「こちら、ご不要になったサークルの方がいらっしゃいましたので、よろしければ」
「助かります! 超助かります!」
金髪が勢いよく頭を下げると、後ろに座る女性も同じく頭を下げた。
頒布物に当たらないよう机の下を通して椅子を渡すと、金髪はさっそく椅子を広げて設置をした。とても満足そうな表情をしている。
「あのっ、ご不要になったサークルさんって、まだいらっしゃるんでしょうか」
「ええ。あちらの……」
少し見えづらかったが、スペースを教える。遠目にもシバイヌが沈んだ表情をしているのが分かった。
「あとでお礼参りに行きます!」
「お兄ちゃんが言うと『お礼参り』が変な意味に聞こえるからやめて」
「悪い悪い……あー、妹がちょっと足が悪くて、長く立てないんすよ。売り子は俺なんですけど、俺もずっと立っとくのはしんどいから椅子欲しかったんすよね」
「そうでしたの」
『SA大明神』の状況を考えると複雑だが、ともかく椅子が必要そうなサークルに手渡すことができたのは良かった。前向きに考えよう。
このサークル『ブライトンの砂』は妹の『Reika』の個人サークルで、兄は売り子でありペンネームはなく、本名と思しき『淡野』と名乗った。
「いや、ほんとありがとうございます! スタッフさん……えと、瑞光寺さん!」
あかねのスタッフ証を確かめた後、改めて深々と頭を下げる淡野。
ほどなくして場内に、開場五分前を告げるアナウンスが流れる。
それぞれが事情を抱えながら、まもなく漫革の開場を迎える。




