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同人誌即売会と悪役顔令嬢  作者: 狐坂いづみ
C97冬編
50/171

幕間 ダークネース様と根岸さんと

 根岸恵は大きなため息をついた。

 外にはねる髪をなでつけながら、会場内を眺める。

 まだ搬入している人もいるが、だいぶ減って来た。

 正直なところ、総合的に判断してコミマがそれほど好きではない。

 昔から何となくアニメは好きだったが、まさか家から歩いて三分の印刷会社が同人誌も刷っているとは思わなかった。

 就職も、何となく目についた求人も『家から近いから』という理由で応募したら通ってしまった。

 自分の好きな漫画のキャラが高校を選ぶときに『近いから』という理由だったのを真似しただけだったのだが。

 印刷会社から見れば、こんな小さくて地味な会社に若い人が応募してくるとは思っておらず、応募の時点でほぼ採用が決定していた。

 ちなみに根岸は同人誌の存在は知っていたが、就職するまで実際に目にしたことはなかった。

 結果、初めて同人誌を手に取ったのは職場という異例の経歴となってしまった。

 その後はあれよあれよとハマり、特に女児アニメの二次創作が大好きになったのだが。

 

 さて同人誌の印刷となると、イベントに合わせた繁忙がかなり極端にある。

 そして、お盆と年末にあるコミマほどの大規模イベントになると、繁忙がピークに達する。

 根岸の普段の仕事は入稿データに異常がないかをチェックする業務だが、イベントのときは搬入作業もしている。

 

「疲れた……」


 C97冬の2日目夜。ようやく456地区の印刷所搬入を終えた根岸はミニバンの運転席でスポーツドリンクを傾けていた。

 信じられないことだが、この真冬でもかなり汗をかく。体を冷やして体調を崩す同業者も多いと聞いたことがある。汗をかこうがかくまいが、会社からドリンクが支給されている。常温だが。

 車の後ろに山積みになっていた新刊の箱はすっかり無くなり、代わりに巨大なダンボールごみが鎮座していた。


(有価物だし、怒られない……はず)

 

 突然君堂から電話がかかってきたかと思えば、浜松町で一緒にスタッフをした瑞光寺が困っているから助けてやってほしいという。

 サークルが捨て損ねたダンボールを回収するだけだったが、瑞光寺はとても感謝していた。

 ついでに次のキュアプリ最速上映の時には、深夜にもかかわらず家に来てくれていいと言う。


(女神か)

 

 過剰なお礼だとは思うが、あのお嬢様の家には興味もある。楽しみにしておこう。

 根岸は普段コミマには参加しないが、搬入作業を終えた最終日のコミマには必ず参加するようにしている。

 最初は自分の仕事のその先を見届けてやろうという気持ちだったが、このお祭りの雰囲気はやはり心が躍る。

 さらにその日から自分は長期休みに入るのだ。素晴らしい解放感に包まれながら、自分が運んだ本で人々が嬉しそうにしているのを見るのは何よりも楽しい。

 それはそれで楽しいのだが、しかし搬入作業の肉体労働が割に合っていないと感じるため、根岸は総合的に判断するとコミマがそれほど好きではないという結論になってしまっている。

 根岸はもう一度、大きなため息をついた。


 

 

 次の日、大晦日。コミマ3日目。

 いつものようにさらっと同人誌を買いまわると、お昼過ぎに今日の目的をすべて達成してしまった。

 ゆっくり休める場所として勧められたのは、会場から出たところにある防災公園だった。

 確かに広々している上に、コスプレイヤーが集まっていて飽きない場所だ。

 少々寒いことに目を瞑れば、次々に訪れる華やかなコスプレイヤーが目の保養になってかなり楽しい。

 そして、丸々と着込んだ根岸にとって寒さは全く問題ない。

 これはいい場所を教えてもらったとホクホクしていると、遠くで何か騒いでいる声が聞こえてきた。

 人気のあるコスプレイヤーが現れたとかそういうのだろうか。

 何となくそっちに目をやると、その手前に見覚えのあるスーツ姿の男性が立っていた。


(あれは……)

 

「……神崎さん」


 浜松町で一緒にスタッフをした人だ。

 どういう経緯でスタッフ参加したかは忘れてしまったが、男手が少ない中いろいろと荷物を運んでもらったりした覚えがある。

 名前を呼ぶ声が聞こえたのか、神崎が根岸の方をちらりと見た。


「えっ、ああ。お久しぶりです。根岸さん、でしたよね」

「お久しぶり、です」

 

 根岸は神崎が自分の名前を憶えていたことに驚いたが、そもそもここにいることが不思議だった。

 浜松町で少しだけ話を聞いた限りでは、それほど漫画やアニメに興味がある様子ではなかった。ましてコミマに来るなんて。

 

「今日は、どうしてここに。スタッフ……ですか?」

「ああ、スタッフのお手伝いも少ししたのですが、私はお嬢様を」


 神崎の言う『お嬢様』とは偶然にも昨日少し話をしていた瑞光寺あかね嬢のことだ。

『お手伝い』のことはよく分からなかったが、瑞光寺がスタッフをしていたのでその手伝いといったところだろうか。


「瑞光寺さん。防災公園に、来て……いるんですね」

「ええ、根岸さんはお会いになられましたか」

「いえ、まだ……瑞光寺さん、どこに」

 

 言いかけたところで、誰かが近づいてきた。

 その気配を感じた方に目をやると、ダークネース様が根岸のことをじっと見ていた。

 

「ひゅっ」

 

 根岸ののどが鳴った。

 まるでテレビの中から出てきたようなダークネース様。

 どうしてここにいるのか、どうしてこちらを見ているのか、どうしてこちらに近づいてくるのか。

 

「ダッ……」


 根岸の思考はあっという間に追いつかなくなり、口をパクパクさせることしかできない。

 圧倒的な美しさと、秘めたる力強さ。

 この人に逆らってはいけないと、本能が警告する。


(先週の、敵幹部……こんな気持ち、だったの)

 

 芝生を踏みしめながら近づく音がして、ダークネース様の顔がはっきり見えた。

 間違いなく、自分を、見ている。

 根岸は耐え切れず、腰を抜かしたようにバランスを崩した。


「おっと、根岸さん、大丈夫ですか」


 地面に転がる前に、神崎に抱きとめられる。

 スーツを着ていると分からなかったが、思った以上にがっしりとしたたくましい腕だと思った。

 

「お嬢様、驚かせてはいけません」

「そんなつもりは無かったのですが……」

 

 ダークネース様から、瑞光寺さんの声がした。

 信じられ……無くもなかった。

 自分がどこか瑞光寺さんに感じていたカリスマのようなもの。あれは、ダークネース様の本質にも通じるものだったのかもしれない。

 瑞光寺さんは優しいから正反対だが。

 見た目はかなり雰囲気がある。誰が瑞光寺にダークネース様を勧めたのか分からないが、なかなかのセンスだと思った。

 

「根岸さん、大丈夫ですか」

「あ、はい……」

 

 気づけば、神崎の顔が近い。

 根岸は自分の胸が早鐘を打っていることに気が付いていた。

 突然いろんなことがありすぎて、頭が回らない。


「あの、神崎さん」

「はい?」


 自分を心配してくれる優しい声。とても力強い腕。

 不釣り合いなほど優しい目。

 彼越しに見る空が、とても青い。

 

「良かったら、今度、一緒に」


 これまでの人生で恋愛関係に全く縁がなかった根岸は、今まさに自分がその状態になりつつあるのだとようやく理解した。

 どうすればいい。何に誘えば来てくれる。

 普段使わない頭の部分をフル回転させて、答えを探し出す。

 抱きとめている神崎だけに聞こえる声で、そっと言葉を絞り出した。

 

「一緒に、搬入作業、しませんか」


 神崎は一瞬何を言われたか分からなかった。ただ、目の前の女性に対して、これまで抱いたことのない感情が芽生えるのを感じていた。


「ええ、私で良ければ、ぜひ」

 

 今年の幕が下りようとしている大晦日、防災公園の片隅で人知れず開く幕があった。

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