第43話 3日目 防災公園にて
「せっかくだから防災公園に行ってみるといい」
少し早い昼休憩をもらったあかねは、江口橋から休むように指示された。
「とてもよく働いていてくれた。恐らく自分が思っている以上に疲れているはずだ。今日はこれ以上無理をさせるつもりはない。だが、もし警戒レベルが引き上げられたらホールに戻ってきてくれ」
「承知いたしました」
そう答えるあかね。
すでにダークネース様の謎のオーラは薄れている。
口々に褒めてもらえたが、あかねは自身の力ではないと思っている。
ダークネース様自身の魅力、周囲からの視線、最終日祭りの浮ついた空気。
そして何より、参加者の心にある、秩序を守ろうとする良心。
そういったものが混ざり合って、あの結果になったのだろう。
そのあたりも含めて、江口橋には正直に伝えている。その上で、さっきの言葉があった。
「そういえば防災公園へのルートを案内することは多いけど、自分で歩くのはあんまり覚えがないかも。案外人が多いね」
キョロキョロとあたりを見ながら楽しそうに話す倉敷とふたり、横断歩道を歩く。
ビッグサイトの向かいにある防災公園は、その広さもあってコスプレの広場としてかなり使い勝手が良い。
公園に入っても変わらず人の密度が高く、広い公園の中に何人の参加者がいるのか想像もつかなかった。
「コスプレがいっぱい……館内と比べ物にならないね」
「これはすごいですわね」
芝生の公園の中は、『レイヤー』ことコスプレイヤーと、その写真を撮る『カメコ』と呼ばれるカメラマンでごった返している。
広い敷地のあちこちで撮影が行われたり、談笑したりと楽しそうにしている。
撮影も、広い屋外ならではの『併せ』と呼ばれる集合写真……これも数人から十人を超える規模まで様々な組み合わせで行われている。
ホール内で数人ほど見かけたコスプレとはまるで規模が違う。また撮影されることを意識した視線や表情、しぐさや服のヨレやシワに至るまで気の使われ方が全然違っていた。
あかねはどこか懐かしい気持ちになった。
少しの期間だけモデルをやっていた頃をを思い出す。
スタッフもところどころ配置されていて、撮影に問題が無いか、トラブルが無いかを監視している。しかしその目や表情は柔らかく、あまり気を張っている感じはしない。彼らもまたこの場所を楽しんでいることがうかがえる。
「あら、人が集まっていますわね」
その一角で、明らかに雰囲気の違う人だかりがあった。
真ん中に女性が三人でポーズを取り、それをあらゆる角度から撮影しようとカメラを構えた人々が囲んでいる。多くは男性だが、ところどころ女性も混じっているようだ。
「また雰囲気の違う『囲み』ね」
「『囲み』ですか」
「その名の通り、レイヤーさんを囲む人だかりのことだけど……有名な人なのかも」
人混みの隙間から、真ん中の三人がちらりと見えた。
確か、つい先週まで放送していた人気ゲーム原作のアニメのキャラだ。緻密に描かれた背景とアクションシーンの躍動感が話題になっていた。その中でも人気の三キャラのコスプレらしい。明らかに薄着のキャラもいるが、寒くはないのだろうか。
原作ゲームを知らないあかねは、残念ながらそのアニメを見ていなかった。
三人を囲む人数は五十人を優に超えている。
同人誌を頒布する列とは違って、こういった人混みがどう解消するのかと不思議に思うあかねだった。
じっと見ていると、その中のひとりと目が合った。
向こうの目が大きく見開かれたように見えた。
「あの、スタッフのダークネース様、写真よろしいでしょうか」
メガネをかけた茶色いコートの男性が、恐る恐る声をかけてきた。手には立派なカメラを持っている。
そう呼ばれたのが自分であることに少し遅れて気が付くと、少し困って倉敷を見る。
こういう時どうすればいいのか、ルールや作法をまるで知らなかった。
「ちょっとぐらいいいんじゃないですか。腕章つけっぱなしですけど業務中というわけではないですし」
「ええ、では」
自然とポーズを決めると、シャッター音が聞こえた。
雑誌モデルの時のポージングだったが、良かったのだろうか。
茶色の男性は満足そうにうなずく。あかねはカメラのことに詳しいわけではなかったが、それなりにどっしりしていることから高価なのだと推測する。
「素晴らしい。ありがとうございます。あの、SNSのアカウントとかって……」
「そういったものは持っておりませんの」
「あ、そうでしたか。じゃあ掲載とかって……」
ピンと来てないあかねに、倉敷が助け舟を出す。
「ネットの投稿のことですよ。この方のアカウントで、瑞光寺さんの写真をアップする」
「ああ、そういうことですの。今の一枚だけですし、構いませんわ」
「あ、ありがとうございます! お名前は……」
「名前……」
モデル時代も本名でやってきた。
あかねはオタクである以上ネットの海を漂っているので、ペンネームやハンドルネームの概念は理解しているが、自分から交流するようなことはなかったのでそういったものは持っていない。
目の前の男性は、写真の掲載と共に自分の名前を載せるのだろう。あかねもそういった投稿を見たことがある。
しかし、まさか自分がそういった立場になるとは思わなかったので、改めて名前を聞かれると困ってしまう。
どう答えたものかとあかねが考え込んだその時だった。
「あかね様っ!」
叫びに近い大きな声が、防災公園に響いた。
何事かと周囲が静まり返る。
そんなことには一切構わず、声の主の女性はあかねの元へと駆け寄って来た。
よく見ればさっき撮影されていたコスプレイヤーだ。金髪の長いツインテールに、カラーコンタクトであろう赤い瞳が印象的だ。
女性にしては高身長だが、線の細い印象を受ける。満面の笑みはまさに輝くようで、彼女の魅力を高めていた。
「あかね様! あかね様! ああ、またお会いできるなんて!」
まるで飼い主を見つけた忠犬のように、あかねの周りを飛んで回る。
そのたびに羽織ったマントがヒラヒラ揺れ、腕の素肌が露になる。寒そうだ。
「瑞光寺さん、お知り合い?」
倉敷がそう言うと、忠犬は急に牙をむいた。
「何、貴女。あかね様に馴れ馴れしい」
「え、同じブロック員ですし……」
「ブロック員? 何が?」
唸る子犬は倉敷のスタッフ証も目に入らないようだった。
どうしたらいいかと倉敷が困ったようにあかねを見る。
「失礼」
そう言うとあかねは、そっと忠犬の前髪を上げる。
驚いたように目を見開く忠犬だったが、しかし嫌がる素振りは見せなかった。
ようやくあかねは思い当たった。
「ああ、MMCでご一緒しましたわね。清川さん」
「おっ、覚えてくださってたのですか!」
MMC、みなとみらいコレクションで共演した清川だ。
「もちろん。といってもウィッグで分かりませんでしたわ。ごめんなさいね」
「いえ、そんな……」
清川は顔を赤くする。
飛び跳ねていた元気がどこかに消え、一気に声が小さくなった。
あかねは自分がダークネース様の格好をしていたことを思い出し、もしかしたら怯えさせてしまったかもしれないと心配し始めていた。
清川千歳はあかねのひとつ下の学年だった。ということは受験生のはずだが、この年末にコミマに来ていていいのだろうか。とはいえあかねも受験に関係なく一般参加していたが。
彼女と会うのは約一年半ぶりだったと思うが、まさか大晦日の防災公園で再会するとは夢にも思わなかった。
黙ってしまった彼女の後ろから、女性がふたり近づいてきた。
「おーい」
遠くからこちらに近づいてくる声。先程清川と一緒に撮影されていたふたりだ。
「Chikiちゃん急にどうしたの……うわ、すごいダークネース様」
ひとりは白い服にオレンジの髪。長袖黒タイツで防寒も全く問題ないように見える。
すらりと長い手足が周囲の目を引く。ひとりでも十分写真映えしそうだった。
「お知り合い?」
そしてもうひとりは薄紫の髪にレオタードのような明らかに薄着。どう見ても冬コミには厳しい衣装だった。しかし特に寒がっている様子はない。気合だろうか。
ふたりよりも少し身長が低いようだが、それでも女性の平均よりは高いだろう。少しハスキーな声が中性的な魅力を漂わせている。
「ええ、そうなの。凄いでしょ!」
ふたりに声を掛けられ、清川が勢いよく顔を上げた。
何が凄いのかあかねには分からなかったが、とりあえず元気になってくれたようで良かった。
「あの、清川さん」
「すみません、あかね様。ここでは『Chiki』でお願いできますか」
「Chikiさん」
「はい!」
ぱっと明るい笑顔を向ける。先ほどの忠犬スイッチが入ったようだ。
Chikiというのが清川のハンドルネームなのだろう。
あかねは聞いたことがなかったが、倉敷には聞き覚えがあったようだ。
「聞いたことある、有名なレイヤーさん……」
「あら、ご存じなのね」
ふふんと胸を張るChiki。
コスプレ業界にあまり詳しくない倉敷でも知っているのに、あかねが知らないとは意外だという顔をする。
コスプレより同人誌を追いかけていたあかねだったが、少しもったいなかったような気がした。本を買って早めに会場から出てしまっていたが、こういう広場でコスプレを眺めるような楽しみ方もあったのだと、今更ながらに気づく。
「Chikiさんとお知り合いだったんですか、瑞光寺さん」
「知り合いというか、モデル時代に同じステージで……」
「それはもう運命なんですよ!」
急に前のめりになり、Chikiの目がギラリと輝いた。
倉敷の肩を両手でがっしりと掴み、さらに一歩間を詰める。
「初めてのランウェイ、控室でガチガチに緊張していた私に、あかね様は温かいカモミールティーをそっと差し出してくださったの……その目は他者を慈しむ優しさと、背中を押す強さを兼ね備えた、私の見たことのない輝きをお持ちでした。そしてカモミールティーを飲んだ私に、金色に輝く飴をくださったのよ。その甘さを感じることで、ようやくリラックスできたの。そんな私にあかね様は『大丈夫。あなたは綺麗ですわ』とお言葉をくださったの……あの夢のような時間は私の一生の宝物。どこか別の場所でお会いできるかと思っていたのに、あかね様はそれ以来モデルの仕事をおやめになってしまって、あれは女神か天使かと思っていたところで」
圧倒される倉敷に構わず、Chikiはうるんだ瞳をあかねに向けた。
「こんなところでお会いできるだなんて、ああ、夢のよう。夢のようです!」
「あ、はあ……」
倉敷は辛うじて相槌を打った。
困惑する表情であかねを見ている。
あかねは母の知り合いの依頼で何度か雑誌のモデルはやっていた。
MMC自体は予定していたモデルが急に体調を崩し、その知り合いの懇願により急遽モデルに仕立て上げられただけで、それほど思い入れがない。
それだけに清川……Chikiがこれほどまで自分のことを持ち上げてくれていることに、どちらかというと申し訳なさを感じていた。それに、その日のカモミールティーも失敗してかなり濃くなってしまったものだ。恩に着られるような代物ではない。
なんと言葉をかけていいものか、考え込んでしまう。
キラキラと輝く表情であかねを見つめるChiki、そのChikiに掴まれたままの困惑の倉敷、考え込むあかね。
防災公園の一角は、異様な空気になっていた。




