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同人誌即売会と悪役顔令嬢  作者: 狐坂いづみ
C97冬編
47/171

第42話 3日目 そして開場を迎える

 倉敷千夏はダークネース様にお供しながら見本誌回収を続けている。


「瑞……光寺さん?」

「うわ、すご……ええ……」


 声がした方を見ると、ブロック長の桐宮と副ブロック長の江口橋が立ち尽くしていた。

 もちろん目線はダークネース様にくぎ付けだ。


「どうかなさいまして」

「お、おお……実はちょっと外周の雰囲気が悪くて、女性スタッフに対応してもらおうと思ったんだけど」


 こういう時女性スタッフが出ると、多少雰囲気が和らぐことがあるらしい。

 立ち止まるな集まるなと男性スタッフに言われ続ける中、変化球ともいえる女性スタッフが対応することで上手くいくことがあったと桐宮が言う。

 どうにも眉唾だったが、変化球というその説明には何となく納得できた。

 ちょうど見本誌のバッグも神崎に渡したタイミングだ。少し外周に行ってみよう。

 倉敷がダークネース様の方をちらりと見ると、彼女はゆっくりうなずいた。

 

「では、参りましょう」

 

 悠然と歩きだすダークネース様。倉敷も遅れまいと急いで歩く。

 まだ慣れない男性ふたりは、しばらく呆然とその姿を見ていた。


 

 歩くだけで空気が変わる。

 そんなことがあるのかと信じられない倉敷だった。

 さっきまで外周は、開場までまだまだ時間があるにもかかわらず、壁サークルにいち早く並ぼうと列のようなものが発生し、通路を埋めている男だらけだったのに。

 通路に立ち止まらないようにという呼びかけも、自分のスペースに戻るようにとの呼びかけも、全く聞く耳を持たなかった人たちばかりだったのに。

 歩いただけ。

 彼女は……ダークネース様は、歩いただけだ。

 一言も発していないのに。


「ダークネース様だ……」

「こっち見た……」

「本物じゃん」

「でもスタッフ?」

「これ注意しに来たんだよな」

「見てる……ヤバい……」

 

 彼女から半径五メートルが、不可侵の領域になっていた。

 だれもその場所で立ち止まれない。立ち入れない。

 ダークネース様に、近づけようはずもない。

 東4ホールの角で立ち止まると、ぐるりと周りを見回した。

 周囲の男たちは、また一歩後ずさる。


(ここにいてはいけない)


 百のスタッフの言葉で動かなかった彼らが、ただ立っているだけの女性スタッフに追いやられている。

 目が合うと消される。先週消された敵幹部のように……もちろんそんなわけはないと分かっているのだが、心の片隅で本能が警鐘を鳴らし続けていた。

 もう一度、周りを見回した。


「あ……」


 目が合ったひとりの心が、折れた。

 彼はリュックを床に置いて留まる気配を見せていたが、それをひっ掴むとそそくさとシャッター方面へ逃げて行った。

 それからは、あっという間だった。

 ひとり、またひとりと立ち止まっていた場所を離れる。

 その感情はあっという間に伝播し、敗走が止まらない。

 

「ふむ、こんなものですわね」


 随伴だけに聞こえた、ダークネース様のつぶやき。

 見違えるようにクリアになった外周通路を、ダークネース様が冷酷に眺める。

 ルレロのブロック長桐宮と副ブロック長江口橋、それに外周シブロックのスタッフも、その姿を呆然と見ていた。

 一部SNSで「東4にダークネース様がいる。助けてキュアプリ!」と助けを求める書き込みが散見されていたことは、後になって倉敷も知ることになる。

 


 ※

 

 江口橋誠司にとって、何度味わっても開場前後の緊張感は心地よいものだった。

 かくして、開場の時を迎える。

 今回江口橋はルレブロックだけでなく、外周シブロックの混雑対応も一部任されていた。

 特にホールの角、シ70から74まで内壁にあるまじきサークルが配置されているのだ。おそらく通路を狭め、息苦しい展開が続くと思われた。

 開場前に外周通路で立ち止まってはいけないが、開場後はもちろん列に並ぶために立ち止まって良い。一度退散した参加者たちが時計を見ながらおずおずと集まってくるが、幸いにしてダークネース様は気に留めていないようだった。このタイミングで先ほどのような威圧を始めたら、さすがに止めなければならないところだった。

 

『ただいまより、コミックマート97冬、3日目を開催いたします』

 

 ホールに流れるアナウンス。

 巻き起こる拍手、そして、列に並ぼうとする人の波。

 いつもは怒号に近いスタッフの叫びさえ聞こえるこのエリアに、秩序があった。

 中心に立つスタッフ。ダークネース様。

 瑞光寺は的確に人を見極め、アナウンスし、誘導し、列を整え、詰めさせていった。

 普段なら話を聞かない、受け流す、無理やり動くような参加者が混じり、そこがきっかけで混乱が生じるものだが、今日は全員が訓練された兵士のように静かに整列し、おとなしく指示に従っていた。


(恐怖政治……)


 江口橋の頭の中にその四文字が浮かんだが、すぐに消えた。

 彼女の領域は、おおむね半径五メートル。

 それを超えるとさすがに彼女の姿を認識しづらくなり、秩序が乱れ始める。

 そこはきちんとサポートしなければならない。

 スタッフ二回目の新人を、副ブロック長がサポートする。その構図自体はおかしくないのだが、まるっきり立場が反対だった。

 優雅に、鮮やかに人込みを捌くダークネース様。

 その振る舞いに、少し見とれてしまう。そしてそれは、多くの一般参加者も同じようだった。

 自信に満ちた表情。

 分かりやすい指示、アナウンス。

 誰もが彼女に従うことを当然と思い、言われたとおりに足を動かす。

 確かにひと通り混雑対応は教えていたが、ここまで混乱なく人を流せるものなのか。

 女性にしては長身の彼女は、人に埋もれることもなく、軽やかに立ち位置を変えながら声を出し続ける。


「前へ。後ろが詰まっていますわ」

「荷物整理ならば外でお願いしますわね」

「周囲を見ながらお歩きなさいませ。地図を見ているとぶつかりますわ」

 

 恐ろしい外見にそぐわぬ言葉に聞こえる。

 だが言われた方は背筋を伸ばし、そそくさと移動している。

 彼らは、我に返ったときどう思うのだろうか。

 

「江口橋さん、彼女何者ですか。次回からシブロックに下さいよ」

「それはちょっとな」

 

 外周シブロックのサイドヤードエリアリーダーの尾道が、半分本気、半分冗談で江口橋に笑いかけた。

 もう五年もこのエリアを見続けている尾道が、これまで見たことのない光景が目の前に広がっている。

 

(これで若葉マークだって。誰が信じるんだよ)


 普段ならキャパシティを超えているような人混みでありながら、水のように人が流れ、列は整然としている。普通のスタッフ三人分の働きに匹敵するのではないだろうか。

 列の維持にはこまめな移動が必要だが、ダークネース様はむしろゆっくりと歩く。

 なぜか、それで混雑対応が成立していた。

 彼女の足音を聞いただけで、列に並んだものはできるだけ前に詰め、荷物整理しようとしていた者はこの場を離脱する。横入りを試みるような輩もおらず、列を割って通り抜けようとする者もいない。

 ここにいるほとんどの人間が、ダークネース様の機嫌を損ねまいと注意を払っていた。


「こんな状況、初めて見た」

「俺もだ」

「江口橋さん今日だけ、しばらくシブロックで借りててもいいですか」

「ああ……」


 この日最も混雑すると目されていたシ71近辺は、予想に反して全く混乱が生じなかった。

 むしろ予想よりも人が集まったのだが、整理されてしまえばそれなりに簡単に維持できる。

 思えば、勝負は開場前についていたのだ。

 手厚く人員を配置していた尾道は、瞬時の判断で手薄なシブロックの他のエリアへと人を回していた。

 

(いや、本当に欲しいな。彼女……)


 どれだけ混雑が予想されても、全く混乱の起きないエリアが約束される。

 極めて苛烈な混雑対応を強いられるシブロック員、特に内壁の彼らにとって、そんな夢のような話があるなら是非にとお願いしたいと思うのは当然のことだ。

 だがそんな尾道に、江口橋が釘をさす。


「次は偽壁でもさせてみようかと思ってな」

「えっ、東5ですか? そんな。せめて4ホールに置いてくださいよ」

「色んなホールを経験させてみたくてな」

「それはそうかもしれないですけど……いや勿体ない。本気でシブロックに欲しい」


 ふたりの目に、外周で舞うように混雑対応するあかねの姿が映る。

 コミマ最終日の外周に、場違いな美しさを持った花が咲いたように見えた。

 この日、シブロックがあかねを知った。

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