第41話 3日目 お嬢様が注目を浴びる
想定よりも早くホールに降り立ったあかねは、ざわめきと共に迎えられた。
無遠慮な大勢の視線に少し驚いたが、あかねは背筋を伸ばしてゆっくり歩みを進める。
見本誌回収をしなければならない。
今自分に課せられている使命がある。それを全うしなければならない。
今日は倉敷と見本誌回収の予定だった。いま彼女はひとりで回っているはずだ。
神崎が本の運搬をしてくれると聞いているから、重い本を持ちっぱなしということはないだろうが、それでもサークルを回り、受付し、確認していくのは大変な作業のはずだ。
早くルブロックにいるはずの倉敷を見つけなければ。
「あの、写真よろしいでしょうか」
「申し訳ありませんが、業務中ですので」
ここで時間を取られるわけにはいかない。
サークルの男性に会釈をしてそう断ったのだが、雀田からダメ出しがあった。
「お嬢様、立ち振る舞いも合わせましょう」
「……」
立ち振る舞い。
尊大で冷酷な悪の女王。
あかねもキュアプリを見てはいたが、朝テレビで流しているだけという方が近かった。
そんなあかねであっても、ダークネース様のことは印象に残っている。ネットを見ていても大きな話題になっている。近年でもまれに見る魅力的で強大な敵だった。
少し顎を上げて、相手を見下すようにして口を開く。
「……写真はご遠慮ください」
「はっ、はい! 分かりました」
サークルの男性は背筋をピンと伸ばし、勢い良く頭を下げた。
これは一体どういうことだろう。どうしてこうなってしまったのか。
サークルからの視線を痛いほど感じる。衣装でこれほど違うのか。
「お嬢様、恥ずかしがってはダメです。ある程度失礼な振る舞いでも構いません。なぜならダークネース様なのですから」
「雀田さん」
熱に浮かれているような雀田を、低めの声でたしなめる。
一瞬ビクッとなった雀田は、しかし興奮した笑顔でうんうんとうなずいた。
「そ、それですその雰囲気です。そのままでお願いします! おじょ……いえ、ダークネース様」
色々と言いたいことはあったが、とにかく周囲の全員からの視線を集めている。
絶対に失態は見せられない。
自分のためにも、ダークネース様のためにも。
自分がキャラクターの看板を背負っているも同然だと気付いて、あかねは気持ちを新たにした。
ダークネース様は孤高の女王。自分がそのイメージを壊すわけにはいかない。
「それでは私はレブロックで児島さんと組みますので!」
ルブロックの入り口で、逃げるようにして雀田が去っていき、あかねはリブロックとルブロックの間の通路にひとり立った。
開場前の喧騒の中で、サークルからの声が聞こえてくる。
「ダークネース様だ……」
「えっ、ついこの間ビジュアル出たばっかりじゃね」
「衣装の完成度すごいな」
「めっちゃ顔似てない? 本物?」
「でもスタッフの帽子被ってるの可愛いな」
「あっ、こっち見た」
ちらりと見たサークルの女性は、あかねと目が合うとなぜか頬を赤らめてうつむいた。
隣のサークルの男性ふたりは、黙って一礼する。
ル09あたりに倉敷の姿を見つけ、つかつかと歩み寄る。
自分の足音が妙に大きく聞こえる。久しぶりの視線に、緊張しているのだろうか。
息を整え、力を抜く。
もうスタッフ業務を再開しているのだから。
見本誌をバッグに入れている倉敷を見て、あかねはどう声をかけたものかと考えた。
ひたすらに周囲からの注目を浴びている。
ただひとり気づいていない倉敷に注目が集まっていた。
(驚かせてしまうかしら)
仕方ない、と覚悟を決める。
この場所で期待されていることには、できる限り応える。
それがスタッフだ。
※
「倉敷さん」
見本誌をバッグに入れ終えた倉敷千夏は、自分の名前を呼ぶ声に顔を上げた。
「はあい……へぁっ!?」
素っ頓狂な声を上げて、倉敷が目を見開いく。
見たこともない女性が自分の横に立っていた。
コスプレ……のはずなのに、この違和感のなさはなんだろうか。
艶のある布で作られた衣装は、色合いが落ち着いているせいかとても品がある。
さらさらとした衣擦れの音が心地よく耳に届く。
その瞳は、冷酷さの中に激しさを持つダークネース様そのものだった。
「ダークネース様……? え、瑞光寺さん? え?」
「遅れて申し訳ありませんわ」
「はえ……」
返事ともため息ともつかない声を漏らし、倉敷は棒立ちになっていた。
同じブロックの瑞光寺あかね……のはず。はずなのに、纏うオーラがまるで別人だ。
よく見たらスタッフ証を下げている。ようやく瑞光寺であることに確信が持てたが、しかし何が起こったのかを飲み込むまで、たっぷり一分をかけた。
ようやく再起動した倉敷が、口元を抑えて後ずさる。
「って、ダ、ダークネース様と見本誌回収!?」
「少々袖の感覚に慣れておりませんので、後ろで本を確認いたしますわ」
「はい、あの、恐縮です!」
もはや倉敷にも、瑞光寺あかねに話しかけているのかダークネース様に話しかけているのか、切り替えができなくなっていた。オーラが凄い。もはや本物なのである。
次元の壁を越えたダークネース様が、東4ホールに現れた。
誰もが振り返り、息を飲む。
そんな人が隣に立って見本誌回収する。
想像もしたことがない状況だった。
「おはようございます」
「おっ、おはようございます」
サークルも一瞬声をなくす。
それはそうだろう。
なんせ今を時めくダークネース様が現れたのだ。あまつさえ自分の本を手に取り、内容を確認する。
そう、内容を確認するのだ。
この最終日、東4ホールに配置された男性向けの本の、内容を。
『一体、自分たちが何をしたというのか!』
倉敷には、サークルの声にならない叫びが聞こえるような気がした。
見本誌チェックする当人は、それほど気にせず淡々と業務をこなしている。
ダークネース様が成年向け頒布物のチェックをしている。
目を疑う光景だった。
「見本誌と参加登録カードの回収に参りました」
「あ、は、はい」
ずいぶんスムーズにチェックが進むと倉敷が気付いたのは、四つ目のサークルに差し掛かった時だった。
いつもは声をかけてから提出物を用意されることが多いのに、すでに机の上に一式が置かれている。
まるで供物のように。
「問題なしですわ」
「こ、これで受付完了ですので、今日一日よろしくお願いします!」
自分がまるでダークネース様の手下になったような、錯覚。
それほど隣に立つ彼女のオーラは凄まじい。
元々存在感のある彼女が目立つ衣装を着ると、こんなことになるのかと倉敷は目を閉じる。
「さすがキュアプリの知名度は高いですわね……」
「……ええ、もちろんです。ダークネース様。みながダークネース様にひれ伏しております」
もう「瑞光寺さん」と呼ぶ気もなくなっていた。
どこからどう見てもダークネース様なのだ。時折「瑞光寺さん」が顔を見せることもあるが、ほんの一瞬、それもこの近くにいる自分だけに分かる程度だ。もはや倉敷にとってそれすらも誇らしい。
随伴を許された付き人のような気持ちだった。
それにしてもこれほど視線が集まることがあるのだろうか。
通路の両側に配置されたサークルが、もれなく彼女を見ている。
それはまるでモデルが歩くためのランウェイのように思えたのだ。
「ダークネース様、お荷物お持ちいたします」
「神崎……」
「雀田がソワソワしていたのはこれだったのですね……お美しいです」
それだけ言うと神崎は見本誌の詰まったバッグを受け取って本部へと戻って行った。
神崎の働きはすさまじく、このルレロブロックだけでなくラリブロックの分まで見本誌を運んでいた。
重い本を持ち続けることがなくなって、想像以上に業務の負荷が減ったと倉敷は感じていた。
瑞光寺あかねの衣装も神崎の運搬係りも雀田の手配だろうか。
「雀田さん、ナイス……」
倉敷は小さく口にした。




