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同人誌即売会と悪役顔令嬢  作者: 狐坂いづみ
C97冬編
41/171

第36話 2日目 カルチャーと存在感

『「やおい」がお好きなのですか』

『アートだね。あれは国の友人たちも尊敬を込めて見ている』

『「やおい」を』

『そう、例えば……この作者とかね』


 男は自分の携帯を取り出すと、SNSで告知しているページを見せる。

 その告知には、妙に手が大きく描かれた男性のイラストが大きく載せられていた。

 いわゆるボーイズラブであるかは分からない。

 あかねは倉敷と顔を見合わせた。


『いいだろう、この「やおい」』

『ええ、繊細な線なのに大胆な構図のイラストですわね』

『さすがスタッフ。分かっているね』

 

 どうやらこの構図が決め手らしい。外国人の感性が違うのかと思ったが、そもそもイラストの作者は日本人のようなので国はあまり関係なさそうだ。

 アートと言われると、確かにそう見えてくる。

 倉敷が携帯で何かを調べていたが「あ」と声を上げた。

 

「瑞光寺さん、これ。手とか顔の大きさを極端に変える表現のことを『やおい』と呼んでいるみたいです」


 海外のスラングの紹介ページを見せる。

 なるほど、サブカルチャーのスラングのようだ。知らないのも道理だ。


「そうだったんですの。知りませんでしたわ」

「私も……」

「注意した方がいいかしら」

「念のためね」


 会話の中で「やおい」「やおい」と使われると、多くの人は誤解するだろう。

 男の指す「やおい」は、少数派……いや、方言のようなものだ。

 

『お節介かもしれませんが……日本では「やおい」というと、ボーイズラブを指すことが多いので誤解する方がいるかもしれませんわ』

『なんだって、そうなのかい。じゃあこういう「やおい」はどう言えばいいんだろう』

『適切な言葉が思い浮かびませんわね……』


 絵画の知見はあまりないため、あかねは言葉に詰まる。

 それに、知っていてもそれを英語でどう表現するのか知る由もない。

 いや英語でもそれに相当する言葉がないからこそ「やおい」と呼ばれているのかもしれなかった。

 黙ってしまったあかねに、男は笑いかける。

 

『まあ僕らはボーイズラブでも気にならないけどね。大っぴらにボーイズラブを表現できるのも素晴らしい自由だ。ここは表現が自由であることを、強く、何度も教えてくれる』

『自由、ですか』

『自由さ。その自由を守ってるキミたちには敬意を表するよ。おっ、彼が帰ってきた。話に付き合ってくれてありがとう』

『いえ、あなたが良い本に巡り会えますように』

『キミもね』

 

 西地区へ向かい去ってゆく二人を見送りながら、倉敷は感心するように息をついた。

 

「瑞光寺さん、すごい英語」

「すごくはないですわ。気の利いた言い回しもできませんし」

「意思疎通ができるだけでもすごいの。私『やおい』しか聞き取れなかった。ジャパニーズヤオイ」

「ええ、ジャパニーズヤオイですわ」

 

 今日もまた、新しい知識が増えた。

 まだまだ自分の知らないことがたくさんある。

 

 

 ルレロブロックの巡回がしっかり行われていることを確認した二人は、ちらほらと本来のブロック員が戻り始めたラリブロックも回ってみることにした。

 さすがに二時半を過ぎた館内は歩きやすい。しかし、人口密度の低さが気温の低さももたらしていた。

 これから終了時間に向けて、いっそうサークルの体調に気を使わなければならない。

 気を引き締めなおすあかねに、ラブロックのサークルスペースから声がかかった。


「こんにちは、お久しぶりです」


 口元のほくろが印象的な黒髪の美女がいた。

 真っ黒のコートが白い肌をより際立たせている。


「まあ。高村夏見さんではないですか」

「あら、覚えててくれたんですね」


『重なる夏の物語』の二次小説サークル『玉の宿』。あかねが前回の夏コミで担当したブロックにいたサークルだった。

 目を細めて笑うと、同性でも一瞬どきっとするような魅力がった。妖艶とでも表すのだろうか。

 

「実は朝からあなたが動き回っているのを見かけていたの。忙しそうだったから声はかけられなかったけど」

「そうでしたの。それほど忙しくはなかったのですが、余裕がないように見えてしまったかしら」

「細かい業務はあったもんね」


 もっと余裕を見せないと、と倉敷とうなずきあう。

 あかねのスタッフ証を見ながら、高村は可笑しそうに笑った。

 

「それにあなた……あかねさんは目立つから」

「あら、本当に」

「目立つ目立つ。え、自覚なかったの?」


 倉敷が驚きの声を上げる。

 身長は平均より高い程度の自覚はあったが、それほど目立つとは思っていなかった。


「そっちの方の言う通りとても目立つわ。背が高くて美人さんだし、存在感がある」

「そんなこと、初めて言われましたわ」

 

 それを言うなら高村の方がよっぽど美人なのだが。あかねは困ったように首を傾げた。

 そんなあかねを見て、倉敷と高村は顔を見合わせて笑う。自覚がないというのが信じられず、意外を通り越して面白くなってきたらしい。

 どこか疎外感を感じながら、あかねは机の上に目をやる。

 『玉の宿』のスペースは、前回と同じ黒の敷き布の上に頒布物が二種類。前回売れていなかった黄色い表紙の本『絶空の先へ』と、今日の新刊らしい。

 今日の新刊は見た目も華やかで、とても目を引くデザインになっていた。

 すっと横から参加者が来て「これください」と新刊を指して買っていく。

 前回と違ってかなり順調なようだ。

 

「素晴らしい……素晴らしいですわ、高村さん」

「あかねさんのアドバイスのお陰よ。ほんと、人から言われないと分からないことだらけね」

「何をおっしゃいます。高村さんのお力でしょう」

「次も売れたら、そうかもしれないわね」


 高村の言葉の意図が分からず、首をかしげるあかね。

 そんな彼女を見て、倉敷がフォローする。

 

「つまりね、お口に合わなかったら次は買いに来ないでしょ。普通の本は『面白かったー』で終わっちゃう。本当に気に入ってもらえて初めて『この本良かったから、次も買いに来よう』にまでなるってこと」

「分かりやすいわね。そういうことよ」


 そういう意味であれば、心配はないだろうとあかねは思っている。

 高村の筆力は疑いようがない。

 まっすぐな表現なのに、複雑で鮮やかな世界を書き出す。

 同じ日本語を使っているはずなのに、あかねの見たことのない世界があった。


「高村さんは、プロでいらっしゃいますか」

「……どうして?」

 

 高村の答えに、少し間があった。

 口元は笑っているが、その眼は真剣だった。

 それが答えなのだろうとあかねは思ったが、せっかくなのでその理由を伝えることにする。

 

「文章がとても洗練されていて、書店で売られている文庫本にも見おとりしないんですもの。それに」

「それに?」

「わたしの妹が『絶空の先へ』を読んだのですが、その後に家にあった本を持ってきて『この本を書いたのと同じ人だと思う』と」

「あら」


 あかねの妹のすみれは、受験勉強の合間に『絶空の先へ』を繰り返し読んでいる。相当気に入ったらしい。

 すみれへのお土産にもう一冊買って帰ってもいいかもしれない。


「そう言われてわたくしも読んでみたのですが、確かに高村さんの文章の味のようなものを感じましたわ。上の名前も同じでした……高村学海先生」

「あは。一冊目の同人誌で正体を見破られてしまうなんて思わなかったわ」


 高村夏見こと高村学海は楽しそうに笑う。

 高村学海は主に青少年向け新書で何冊も本を出しているプロ作家だ。時折大人向けの長編も出しており、何年か前には映画化もしていた。

 プロフィールは誕生日と出身県以外は一切公表されておらず、サイン会などのイベントにも顔を出したことがなかった。

 ネットの中では複数作家の共同ペンネームではないかとの憶測もあった。

 倉敷は作者の名前を覚えていなかったが、中学校の図書室にも蔵書があるし、読んだこともあった。

 正体を明かした高村は唇に人差し指をあてて声をひそめる。

 

「一応内緒ね。性別不詳の作家で通っているから」

「高村さんがおっしゃるのでしたら……しかし、あの文章を読めば誰でも感づくのでは」

「づかないづかない。あなたの妹さんが凄いだけよ」

「妹はあなたの本を繰り返し繰り返し読んでいましたから」

「へえ……そうなの」


 高村はそう答えると、そっと目を閉じて胸を押さえた。

 改めて、あかねの言葉をかみしめる。

 

「そう、かあ……」


 自分の本を、それほどまでに読みこんでくれている読者がいる。

 それなりに売れている以上、可能性としてはもちろんあった。ファンレターもたまにもらうこともあった。しかし、こうして面と向かって伝えられたことは初めてだった。

 面倒を避けるためにイベントごとには出ていなかったが、いつかサイン会ぐらいはしてもいいかもしれない。そう高村は思うのだった。


「今日の新刊と、前の本をもう一冊いただいてもよろしくて。妹に取られてしまったので」

「もちろん、ありがとう」

「あっ、じゃあ私も!」


 倉敷とあかねは本を受け取ると、愛おしそうに胸に抱いた。

 そんな二人を見ながら、高村が優しく笑う。

 

「コミマに来て良かったなあ」

 

 高村のつぶやきは、紛れもない本心だろう。

 天井から差し込む夕方の光のはしごが、ホールの中を優しく満たす。

 このホールの中で何千の作者と何万の読者が、一冊の本を介して結びつき、直接顔を合わせながら手から手へと本が渡る。

 高村は震える心を感じながら、この場所の意味を実感していた。

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