第35話 2日目 夏も冬も食べ分け
「食べ分け、ですか」
聞きなれない単語に、倉敷が首を傾げた。
桐宮が相変わらず笑いながら教えてくれる。
「つまり、ここに三種類のお弁当がある。全員が同じ種類のお弁当を食べるとする。万が一そのお弁当屋さんで食中毒が起こったらどうなる?」
「全滅、ですわね」
「その通り。だからブロック長と副ブロック長は同じものを食べられないし、ブロック員の中でもあまり同じものを食べない。そして誰が何を食べたか記録しておく。こうやってリスクコントロールをしているわけ」
「過去、何かそういうことがあったんですか」
倉敷の問いに、桐宮が短く答えた。
「あったよ」
その言葉に重い雰囲気を感じて、あかねと倉敷は息をのんだ。
「コミマのルールは、過去痛い目を見た結果だ。もちろんそうでないルールもあるけど、一見して無意味そうとか、考えすぎとか、そういったものには大体理由がある。社会もそうかもしれないけどね」
「シウマイ弁当美味しそうですわね」
「私、明日はカツサンドにしようかな」
休憩室の机で倉敷と二人で昼食をとる。
ラリブロックのスタッフが相変わらず不足しているようで、ルレロブロックは一度に二人ずつしか休憩を取れない状態だった。もちろん一番大変なのは休憩すら取れないラリブロックのブロック員なのだが。
ちなみに雀田は児島と一緒に先に昼食を済ませている。
「ラリブロックは元々今日不参加の人も多くて、大変だよね」
「人員の配置は難しいんですのね」
どちらが言うともなく早めに食事を終えると、二人はホールに舞い戻った。
「ああ、瑞光寺さん」
江口橋は狭いホール本部でシウマイ弁当を食べ終わったところだった。
「江口橋さん、桐宮さんには報告したんですけど……」
倉敷が先ほど東5ホールでの雲雀の話を伝える。
江口橋は難しい顔をしながらうんうんとうなずいていた。
「さっき瑞光寺さんのところの神崎さんからも報告があった。ガレリアの男子トイレで同じようなことがあったらしい」
「神崎が」
意外な名前にあかねは驚いた。
「仕事があるから、あとは雀田さんに任せると帰って行った。機会があったら改めてお礼を伝えておいてくれ」
あかねは「もちろんですわ」と笑った。
たった一度オンリーイベントのスタッフをしただけの神崎が、そこまでスタッフ視点を持てるのも面白い。
そういう人が多ければ、コミマはもっと良いイベントになるかもしない。
「それから、トラックヤード側のシャッターの脇に、女子トイレがある。あそこは本来ラリブロックの巡回場所なんだが、人が足りていない状態だ。すまないがうちのブロック員で見てもらいたい」
「承知いたしました。雀田さんにもお伝えします」
その時、ホール本部に東4ホールのスタッフが駆け込んできた。
少し焦った様子で本部のスタッフに報告する。
「ガレリアで吐しゃ物あり。連絡をお願いします。現場確保済みなので」
「了解、詳しい場所教えて。あと現場確保の応援はいる?」
「公共さんも見てくれてるので人数は足りてます」
「了解」
そのやり取りを見てから、あかねは江口橋の方を向いた。
「ノロ、かしら」
「決まったわけじゃないが、今回のような事態は経験がないな」
二十年近くスタッフを続けている江口橋が、深刻な顔をしている。
「とにかく巡回ですね」
「頼む。何かあったらすぐに携帯に連絡してくれ」
「承知いたしました」
あかねは倉敷とともに、さっそく女子トイレを巡回する。
短い列ができる程度に混んでいるが、利用者が入れ替わるタイミングで個室をチェックしていく。
利用者は特に何も文句を言わず、黙って待っていてくれている。必要な業務だと理解してくれているのだろう。ありがたいことだ。
「女子トイレ、異常ありませんわね」
「床も綺麗だったし、問題ないね」
すべてのチェックを終え、倉敷をうなずきあう。
男子トイレの惨状を聞いていただけに覚悟していたが、拍子抜けだった。
女子トイレを出たふたりはさらに巡回を続けるが、
「あ、男子トイレが封鎖してる……」
「東5と同じということでしょうか」
ホールの角にある男子トイレが封鎖されていた。
赤コーンが建てられており、スタッフが立って案内をしている。
「会場のトイレがどんどん使えなくなってる感じ、あんまり良くないね」
「生理現象ですものね」
我慢にも限界がある。
清掃は準備会スタッフがするわけではないので、どのくらいの時間がかかるのか、どんな作業をしているのかは分からない。
今どのトイレが使えて、どのトイレが使えないのか、すべてを把握しているスタッフはほとんどいないだろう。
「すみません」
「はい」
あかねは思わずその参加者の顔を見つめてしまった。
声をかけられた倉敷は気づいていないが、前の夏コミの朝に地元の駅で見た若手俳優だ。軽い変装なのか少し色の入ったメガネをしている。
あかねは少し驚いたが、会場の中にいるのであればこういうこともあるだろう。
彼はあかねを見て少し眉を動かしたように見えたが、すぐに倉敷に目をやった。
「このトイレいつ頃使えるようになりますか」
「えっと……ちょっと分からないです、すみません」
はっきり分からない旨を伝える倉敷。
そういえば1日目のミーティングで桐宮が『分からないことは、はっきり分からないというように』と言っていた。こういうことかとあかねは納得する。
「代わりのトイレでしたら、あのガレリア側にあるトイレか、トラックヤードにある小さいトイレが近いです」
「あー、分かりました」
近いのは近い。ただそこの封鎖されていないかも分からないのだが。ただガレリア方面なら、トラックヤード側に比べてトイレの選択肢は多い。
さっき聞いた東5ホールのトラックヤード側の男子トイレの封鎖は解けているといいのだが。
若手俳優にトイレを案内することもある。不思議なものだ。
「切羽詰まってると、この距離も大変だよね」
「そうですわね。我々もお手洗いはまめに行った方が良さそうですわね」
「普通、トイレが使えなくなるなんて思わないものね」
倉敷は最後まで相手の正体にも気づかず、その背中を見送っていた。
今日のスタッフ業務はトイレの案内が一番多いのかもしれない。
男子トイレ前で案内を続けるスタッフを見ながらそう思った。
『すみません』
二人が巡回を再開しようとすると、後ろから話しかけられた。
明らかに日本語ではない。
振り返ると、これまた二人組の男性の外国人がいた。昨日も中国からの参加者がいたが、彼らは欧米からの参加者だろうか。一人は背が高く痩せ気味で、もう一人は身長こそ標準だがややふくよかだった。着ぶくれしているだけかもしれないが。
日本人でもこんな雰囲気の二人組をよく見かけるな、と倉敷は考えていた。
「え、英語、かな?」
一歩引く倉敷の前に、あかねが歩み出た。
『どうかされまして』
流暢な英語に、ふくよかな方が満面の笑みを浮かべる。
『ああ、トイレを探しているんだけど、ここは使えないのかい』
『一時的に。しかしいつ再開するか分からないので、あちらのトイレか外にあるトイレを代わりにご案内しております。外は小さいので、あの見えているトイレの方が良いかと思いますわ』
『そうなのか。分かった。ありがとう』
ふくよかな方が背の高い方に何事か話すと、一人速足でガレリアの方へと向かっていった。
どうやら彼の方は緊急らしい。
残された背の高い方はちらりと時計を見ると、腕を前に伸ばしてハァッと息をついた。
『キミは英語が上手いね』
『光栄ですわ』
『キミみたいな人がいて助かるよ。日本人はそこそこ話せるのに逃げちゃうからね。そっちの彼女のように』
『恥ずかしがり屋なのです』
『そうらしい』
くつくつと笑う。
話しかけてくるということは、ここで待っているつもりなのだろう。
男子トイレ近くの柱の周囲はあまり人通りもなく、立ち止まっていてもそれほど邪魔にはならない。
『もうお買い物は終わられたのですか』
『まあね。あとは西のエリアに行こうと思っているんだけど』
『西のエリアですか』
今日は何のジャンルが配置されていたかと記憶を探る。
男はガレリアの方を見ながら、うんうんとうなずいた。
『日本の「やおい」は面白い文化だよ』
「今『やおい』って言った……」
倉敷は聞き間違いかと思ったようだが、あかねにも確かにそう聞こえていた。
高身長の外国人から発せられる単語であるとは思いもしなかった。
C102お疲れ様でした。




