第32話 1日目 倉敷さんとの巡回
「なんか、嫌な感じだね」
倉敷がストレートに言った。
直線的な表現がどこか君堂に似ている。
「瑞光寺さん練馬なんだ。私江古田だからまあまあ近いかも」
空気を変えようと倉敷が少し明るめに言った。
江古田であれば同じ沿線だろう。すれ違ったこともあったかもしれない。
「ええ、大泉学園ですの」
「大泉学園!」
思ったより大きな声だったので、あかねの方が一歩退いた。
「どうか……なさいまして」
「どうかするでしょう。大泉学園って東英があるアニメと特撮の聖地じゃないですか」
そういえばこの間の打ち上げで根岸も似たようなことを言っていた。
そもそも練馬区自体がアニメ発祥の地として売り出している。
撮影所ではドラマや特撮のシーンを撮影しているようで、たまに見覚えのある街並みがテレビに映っているのを見かけていた。
たまに撮影クルーが道路を止めていたり、建物や公園にスタッフがたくさんいたりするのを見かける。だから大泉の住人は、映像作品が俳優以外のたくさんの人たちの努力で作られていることをよく知っている。
「えっ、じゃ、じゃあもしかして俳優さんとか見たことが……」
「何度かありますわね」
「すごい! じゃあ写真撮ったりとかできるの?」
「それはしませんわ。あの方たちも仕事中ではないのですから」
「冷静……これが聖地住民の余裕……」
はしゃいだり感心したりと忙しい倉敷。
あかねも初めこそ物珍しくて、小学生の頃に撮影帰りであろう俳優にはしゃいで声をかけてしまったが、当時のお世話係だった人に諭されたのだった。もっとも、その時声をかけられた俳優はにこやかに対応してくれたのだが。
今思えば時間外労働をさせてしまったことになる。幼かったとはいえ苦い思い出だ。
「あ、じゃあ私と瑞光寺さん、同じ電車で来たかも」
「始発で来ましたわ」
「えっ、始発!?」
また倉敷を驚かせたらしい。
最寄りの始発はかなり早い方で、四時台半ばから電車が動いている。
池袋五時の地下鉄に間に合い、かなり早く会場に到着することになる。
「そんなに早いのに乗らなくても……三本目ぐらいので間に合うよね」
ちなみに三本目も三十分程度しか変わらない。
だが、始発の混雑に比べると全然違う。
「コミマの日の始発の雰囲気が好きなのです」
「ああー……それはちょっと分かる気がする」
倉敷が同意してくれた。
まだ夜も明けきらぬ時間帯から、沿線のオタクをこれでもかと拾っていき、目的の駅に着く頃には階段や改札に近い車両に密集することになる。
扉が開いたと同時に我先にと改札へと突撃し、乗り換える先のルートをまるでマラソン大会のように人が流れていく。
おそらく昨日まではガランとしているような時間帯、駅員の表情が緊張にこわばり、事情を知らない一般客が何事かと振り返る。
『いかなる時も優雅たれ』と、あかねは走るようなことはせず早歩き程度に留めているが、あの期待感が抑えきれない走りを見ていると、祭りが始まっているのだと実感できる。
みんなあの時間を経て、この場所に来ている。
自分の『好き』を探しに、あるいは守りに。
※
倉敷千夏は混雑の収まって来た会場を満足げに眺めていた。
大多数の人が目的を達成して、表情に余裕の出るこの時間帯が好きだ。
児島と雀田が合流し、のんびりトラックヤードを歩いて東4ホールまで戻ると、シャッター近くに副ブロック長の江口橋がいた。
倉敷から見ると年上の男性である江口橋は少し怖かったのだが、年下である瑞光寺が気おくれせず話しているのを横で聞いていて、それほど怖くはないと理解できた。
相変わらず薄手の長袖を羽織っているだけだが、寒くはないのだろうか。今度それを聞いてみてもいいかもしれない。
その江口橋は四人を見つけて安心したように見える。ホールから長く離れすぎていたかもしれない。
「ちょうど良かった。これからの残り時間なんだが、四人で『ラ』ブロック以降のホールの半分を見てもらいたい」
「ラリルレロってことですか。どうしてまた」
四人を代表して、児島が質問をする。
ラリブロックにも同じようにブロック員がいるはずだ。
「ラリブロックの連中が傷病者対応で出払ってしまって、ほとんどいないんだ」
「傷病者? 冬なのに珍しいですね」
「ああ。なのでルレロでカバーすることになった。二手に分かれて回っておいてくれ。俺はこれ以降、定点でルの外周にいるし、桐宮も本部に常にいるようにする」
「分かりました」
どうしたものかと考えた結果、ラリルを倉敷、瑞光寺で。レロを雀田と児島で回ることになった。
つまり、先ほどまでのペアそのままだ。
倉敷も瑞光寺には興味があったのでもう少し話をしてみたいと思っていたところだ。手洗いに行くという児島が戻ってきてから、別行動を開始することになっている。
「おじょ……瑞光寺さん、寒くないですか」
「ええ、問題なくてよ。ずっと歩き続けているんですもの」
「『お嬢様』って言いかけた……」
倉敷がぼそりとつぶやく。
雀田は肩で切りそろえた髪を少し揺らして、口元に指をあてた。「内緒」と言いたいのだろう。雀田は間違いなく大人なのだが、そのしぐさが妙に子供っぽく見えた。
倉敷としては、おそらくお金持ちであり品があってキツめの美人である瑞光寺と並ぶと、全てが十人並みの自分が並んで歩くとどこか気後れしてしまうところがある。せめて背筋を伸ばそうと気を付けて歩いていた。
三人の前を、有名格闘ゲームのキャラが二人通り過ぎていく。
倉敷もプレイしたことは無かったが、名前ぐらいは知っている。
ゲームの衣装を忠実に再現し、かつ自分の体形に合わせて……もしくは自分の体形をキャラに合わせているか。とにかく多大な努力を払ってコスプレという表現をしている。とても自分にはできない。
そういえば、と隣に立つ瑞光寺を見る。
艶やかな長い髪、はっきりしたまつ毛。すらりとした鼻筋。何より背の高さ。
先程6ホールのスタッフとモデルをしていたような話をしていたが、納得しかない。
「瑞光寺さん、とても美人だしコスプレしてみたらいいんじゃないかな」
「コスプレ、ですか」
「絶対似合うと思う。大人気になれますよ」
「大人気……」
雀田が小さくつぶやくのが聞こえた。
倉敷自身、コスプレを見るのが好きというのもあるが、美人の瑞光寺にぜひコスプレをしてもらいたい。
同じブロックなら常に目の保養ができる。素晴らしい業務環境だ。
「今だったらそうだなあ、スターキュアプリの悪役のダークネースなんか似合いそう。威厳と美しさを兼ね備えた瑞光寺さんにぴったりだと思うんだけど……あっ、ごめんね。もちろん瑞光寺さんが嫌だったらやらなくていいんだけど、私が瑞光寺さんのコスプレ姿を見たいだけなの」
思わず早口になってしまった。
瑞光寺は少し距離を取って倉敷のことを見ており、雀田は誰かと電話で話していた。一人だけ熱くなっていたようで恥ずかしい。
「コスプレ……考えたこともありませんでしたわね」
素直にもったいない、と倉敷は思った。
少しでも興味があればしてみればいいのに、とも。
「気軽に参加すればいいっていうけど、でも綺麗な人多いしどうしてもためらうよね」
「倉敷さんも、コスプレをしてみたいのですか」
「興味がなくはないんだけど、でもスタッフの方が楽しいかなあ。両方やる人もいるけど、衣装を作ったりする時間も、買うお金もないから……」
そこまで話したところで、視界の端に違和感のある光景が見えた。
広い中央通路に面してずらりと並んだサークルの机。そこにある誰もいない、椅子すら机の上に置きっぱなしのスペース。
「どうされました」
言葉が途切れた倉敷の目線を追って、瑞光寺が何事かとサークルの机を見る。
「あのスペース……青紙が貼られているのに荷物が置かれてる」
倉敷が感じた強烈な違和感。
それは青紙の上に置かれたスポーツバッグだった。
「それが、何か」
「不審物として扱った方がいい気がする。瑞光寺さん、江口橋さんに連絡を。ラの……22bかな」
早速江口橋へ電話をかける瑞光寺。行動が早い。
「お隣のサークルの荷物なのでは?」
雀田が言うが、どうも様子が違う。
机の下や椅子の後ろの空間に余裕があるのに、他人のスペースに荷物を置く理由がない。
「いや、分からない……それならそれでいいけど、聞いてみないと」
思った通り、両隣のサークルは心当たりが無いらしい。
倉敷は不審物の対応に入っていた。
まずは現場の確保。これはできている。
次に応援を呼ぶ。これは瑞光寺に頼んでいる。
あとは……周囲に持ち主がいないか呼びかけ後、できる範囲で中身の確認か。
「こちらのバッグの持ち主の方はいらっしゃいませんか!」
視線が集まるのを感じるが、それ以上の反応は無い。
忘れ物か、もしくは……
とりあえず、中身を確認してみるしかない。
「どれだ瑞光寺さん」
「江口橋さん、あちらの……」
少し先で二人の話す声が聞こえる。
外周に立つ江口橋に、電話をしながら合図を送っていた瑞光寺が戻って来た。
これで任せられる……と思ったその時、突然倉敷が男に突き飛ばされた。
「倉敷さん! こら待て!」
雀田の焦った声が聞こえた。
無理な体勢で床に手をついたせいか、手首に痛みが走る。
コンクリートの床に座り込んだ倉敷の視界の端に、バッグを持った男の後姿が見えた。
「瑞光寺さんは倉敷さんを。俺は雀田さんとあいつを追う」
「承知いたしましたわ」
「お嬢様」
「安威、雀田と江口橋さんについて犯人を追って。神崎はここで待機しなさい」
「はっ」
江口橋と瑞光寺、それと瑞光寺に付く男性の会話が聞こえて、ようやく何が起こったのか理解し始めた。
ズボン越しに、コンクリートの冷たさがじわじわと広がって来る。
まっすぐ伸びた中央通路の先、トラックヤードへのシャッター。
そこから見える空を、いつの間にか灰色の雲が覆っていた。
その日、警戒レベルを引き上げる通知が全スタッフに出される中、閉会後になっても江口橋は戻ってこなかった。




