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同人誌即売会と悪役顔令嬢  作者: 狐坂いづみ
浜松町オンリーイベント編
29/171

第26話 宴もたけなわ


 フロアの空気もひと段落している。

 相変わらず食べる者、アルコールに移行するもの、デザートを食べる者、ひたすら食べる者。

 あかねはデザートのチーズケーキを食べながら、面倒を見てくれた君堂と話をしていた。

 

「君堂さんは館内ではないところに登録されるのですね」

「そ。前から更衣室に誘われてたから、レイヤーさんを見ながらコミマを味わうのも悪くないかなって思ってね」

「スタッフにも色んな楽しみ方があるんですのね」

「そういうこと。館内が一番刺激的だと思うけど、たまには距離を置かないと飽きちゃうかもしれないし」


 あかねはそういう楽しみ方もあるのかと思ったが、自分がスタッフをしている理由を思い出して気を引き締めた。

 自分はもっと館内のことを知らないといけないし、どうにかしてあの事件を防がなければいけない。

 今はまだ、知識が全然足りない状態だ。

 

「神崎さんはコミマスタッフどうです? 館内東1に来てくれたら心強いんですけど」

「私はあまりゲームやアニメを知らないので……」

「そういう人多いですよ! 大丈夫、今日バッチリやれたんだからやれますって」

「いや、しかし……」


 神崎が北原に猛烈な勧誘を受けている。

 コミマスタッフは割と人手不足に悩んでいるらしい。

 神崎が困った表情でこちらを見ているが、あかねは助けず面白そうに眺めていた。


「そういえば瑞光寺さん、練馬なんでしたっけ。今日は池袋のイベントの方が近かったのではないの?」

「……ええ。でも誘われたのはこちらでしたので」


 隣のテーブルから聞いてきた冷泉の声に、あかねは少し身体を固くした。

 正直なところ、まだ昼食時のことが引っかかっている。

 

「こないだのコミマのときから私が予約してたからね」

「ふうん、さすが手が早い」


 君堂がニヤリと笑ってあかねの手を取った。温かい。

 助けてくれたのだろうかと思っていると、北原が質問してきた。

 

「練馬かあ、俺三鷹だからちょっと近いけど、練馬のどの辺?」

「大泉ですわ」


 北原は「練馬の中でもまあ近いほうだ」と笑った。

 確かに三鷹ならあかねも何度か行ったことがある。比較的近所という感覚だ。

 

「大泉学園……キュアプリの最速上映……」


 大泉と聞いて、根岸が入って来た。

 それまで静かにケーキばかり食べていたので、意外だった。

 最速上映というのは、映画公開初日の零時ちょうどに映画館で上映する、文字通り世界最速の上映イベントだ。もちろん毎日やっているわけではなく、一部の作品で、限られた映画館で行われる公式イベントのようなものだ。

 

「東英アニメーションがありますわね」

「おお……聖地!」

 

 今日一番力強い声に、あかねは思わず笑ってしまった。

 あかねの問いに、根岸が大きくうなずいた。

 

「根岸さん、最速上映をご覧になるのですか」

「毎回行ってる……いい街……」

「あら、ありがとうございます」


 思わぬところで自分の街が褒められ、あかねは嬉しくなった。

 

「わたくしも一度は最速上映に行きたいと常より思っているのですが、条例が」


 区の条例で十八歳未満が深夜に外出することは制限されている。

 つまりあかねは今年になってようやく堂々と最速上映を鑑賞できるようになった。

 女児向けアニメであるキュアプリ自体にそれほど興味はなかったが、自分の町で行われているオタクイベントであることは気になっていた。


「条例……」

「そういえば十八歳だった! 若っ!!」


 根岸の唸るような声と、君堂の悲鳴のような声が響いた。

 


「聖地かあ。うちは川崎の新丸子なんだけど、印刷所の受付が近いから、割と作家さんと会ったりしたなあ。最近ネット入稿だからそういう機会も減ったけど。聖地といえば聖地だなあ」


 カシスオレンジを空けた君堂が、しみじみと言った。

 机に置いてあるカシスグレープを手に取る。

 ちなみにあともう一杯カシスオレンジが控えている。

 

「それは面白そうですわね」

「うん、作家さん同士同じタイミングで入稿して、駅の近くの居酒屋で入稿打ち上げしてて、それに混ぜてもらったことがあったなあ。それからも仲良くしてもらってるんだ」

「有名な方ですの?」

「『神谷晩天堂』の摩耶真矢さん」

「シャッターサークルじゃないですか! ゲーム原画!」

「ねー、大きくなったねえ……」


 頭を抱える北原のことを気にせず、君堂はしみじみとカシスグレープを煽った。

 シャッターサークルというのは、コミマでシャッター前に配置され、外に大行列を作るようなサークルのことだ。その日トップクラスの混雑が予想されているということになり、一万を超えるサークルのうち十数サークル、つまり上位0.1パーセントの人気サークルということになる。

 

「練馬も漫画家がたくさんいるって聞くし、同人作家も多いかもね」

「そこはあまり実感がありませんわね」

「見た目じゃ分からないもんねえ」

「いいなあ練馬。俺も三鷹じゃなくて練馬にすればよかった……」

「練馬というより大泉なのですが」

「あー、ちょっと違う感じ? うちも武蔵小杉みたいなもんだから川崎ってひとくくりにされるとちょっと違う感じがあるなあ」


 そもそも君堂の言う新丸子が武蔵小杉かどうかはよく分からないのであかねは黙っていた。

 テーブルの端で、ろれつの怪しい溝沼と根岸が夢の世界に旅立とうとしていた。


「練馬には、こんな深窓のお嬢様みたいな人がいるんだねえ……そういえば冷泉さんも『練馬のお嬢様』って言ってたねえ……」

「瑞光寺さんはお嬢様……お帰りなさいませ……」

「溝沼ちゃんはともかく、根岸ちゃんも酔ってる? メイド喫茶じゃないんだから」

 

 返事はない。

 ふたりはテーブルにあるグラスへ手をかけたまま突っ伏していた。

 

「寝た。噓でしょ」


 仲良く寝入るふたりのことを、冷泉が写真に収めていた。

 後で共有するらしい。

 

「でも根岸さんの言うように、メイドにかしずかれるお嬢様って感じだな」

「そうかあ?」

「俺も自然に膝をついちゃうね」


 言うや北原は床に膝をつくと、恭しく頭を下げた。

 演技がかった仕草だが、どこか様になっている。

 

「誠心誠意、お仕えいたします……ほら、神崎さんも」

「ええ……」


 いわれるままに膝をついた神崎だったが、あかねから向けられる冷たい視線に身を固くした。


「神崎」

「……はい」

「楽しそうね」


 ニコッと笑ったつもりかもしれないが、周囲には何か報復を企む顔にしか見えなかった。

 君堂がボソッとつぶやく。

 

「お嬢様、怖いな……」

 

 


 今日は朝香のおごりということで、『春日文化祭』の面々の打ち上げは無料だった。

 あっという間に時間となり、最後の挨拶があって流れ解散となる。

 結局朝香とはゆっくり話をする機会が持てなかった。代表というのは本当に多忙なのだろう。

 最後の最後で何度も頭を下げられ握手を求められ、とても助かった、挨拶できず申し訳なかったと繰り返していた。

 

 あかねはもちろん神崎と大泉まで帰ることになるが、駅までの途中で君堂に声をかけられた。

 

「あー、瑞光寺さん。今日は本当にありがとう。神崎さんも。助かったよ」

「いえ、君堂さんとのお約束でしたから」

「楽しめた?」

「少し大変でしたけど、楽しめましたわ。後は全ルートクリアしておきたかったですわね」

「あー、それはね。ネタバレも回避しないといけないしね」


 今日のイベントの原作『かのきせ』のことだ。

 あかねは時間がないからと途中までしか進められていなかったが、最後までクリアしていれば今日のイベントはより楽しめただろう。

 

「冷泉さんには後でちゃんと話をしておくから。なんか瑞光寺さんへの態度だけ不自然なんだよね」


 あかねは答えなかった。

 普段の冷泉のことを知らないが、居住地の話になる前、作品について語っていたあれがそうなのかもしれない。

 これ以上は考えても仕方のないことだと思い、とりあえず冷泉のことは横に置いておく。


「あ、そうだ。江口橋さんの連絡先教えとくね」

「えっ」

「あの人コミマでも女性スタッフとは連絡先を交換しないからさ。頭固いよね」


 君堂は酔っているのかご機嫌だ。

 

「さっきも言ったけど、次も瑞光寺さんと一緒にスタッフしたいって言ってたから、登録の時に一緒に仕事をしたい人のとこに名前書いといてあげてよ」


 君堂にメモを渡される。

 あかねにとっても、江口橋のことは苦手ではない。

 次に違うホールでスタッフ参加するとすれば、全く知らない人だらけよりも、前回同じブロックだった江口橋と一緒になるほうがやりやすそうでもあった。

 

「だから直接話して安心させてあげて。向こうも同配希望で瑞光寺さんの名前書くだろうし」

「承知いたしましたわ」


 君堂と別れ、冷たい夜の風に銀座の雑踏の音が耳に心地よい。

 年末の影が少しちらつき始めた町は、どこか浮かれている。

 傍らに立つ神崎に電話をする旨を伝えると、あかねはメモに書かれた番号へと電話をかけた。

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