第24話 冷泉という人
「瑞光寺さんお疲れー。大変だったでしょ」
「いえ、冷泉さんに良くしていただいたので」
「そっかー。次に頼みたいことなんだけど、ちょっとこれ見て」
君堂が本部に置いてあるノートパソコンの画面を見せた。
そこにはSNSの画面が表示されている。
「『遅刻の為、今から一時間後に頒布開始予定』ですか」
「そう。あー、こういうの『時限販売』っていって、よく爆発するんだよね」
「そうなんですの」
あまりしっくりこないあかねに、君堂が説明する。
「つまりね、普通は開場してからどこを回るか、一般さんはみんな優先順位をつけながら回っていくわけ。で、ひと段落ついた時間にここだけ遅れて頒布を開始すると、どうなるかというと……」
「そこに集中しますわね」
「そう。しかも人気サークルだったら手に入れたい人も多い。開始時間前に列ができちゃったら、動かない列ができあがっちゃうわけ」
さっきの動いている列を思い出す。
あれが動かなかったらと想像すると……
「それは、邪魔ですわね」
「そう、ストレートに言うと邪魔なの。でも列を作らないと、一気に人が押し寄せて危険になる」
「あまり良いことはありませんのね」
「遅刻はね……でも強く言えないしね。この『格子庵』はそれなりの人気サークルなの」
君堂はそれなりに人が集まってしまう事態を想定しているようだ。
昼休みにゆっくり休めなさそう、とぼやいた。
「そんなわけで、瑞光寺さんにも時限列の作成に協力してもらうと思うので、よろしくね」
君堂からお昼が届いたので食べるようにと指示があった。
ホール本部をパーテーションで区切ってスタッフの休憩場所を作っているので、その中で食べるという。
「あらお疲れ様、瑞光寺さん」
「冷泉さん、お疲れ様です。ご指導ありがとうございました。お手を煩わせてしまいましたわね」
「いいのよ。初めから何もかもやれる人なんていないんだから」
冷泉は唐揚げ弁当を上品に食べている。
優雅な所作のわりにメニューがガッツリしている。
あかねは机に置かれたお弁当を見てそれも仕方ないと納得した。
唐揚げ弁当とかつ丼弁当しかない。
あかねはせっかくなので唐揚げ弁当にした。
「冷泉さんも君堂さんに誘われてのご参加ですか」
「ええ、そうなの。元々このゲームが好きだったのを、覚えてもらってたみたいで」
「わたくしはこのイベントに誘われてから『かのきせ』を始めましたが、確かに面白いですわね」
「でしょう? あ、まだやっていないルートはあるかしら。ネタバレは避けたいわ」
「リンカとコマとムツミはクリアして、ミオリの途中ですわ」
「ミオリ途中! それはそれは。そこのルートの後半はドキドキするからお楽しみに」
「まあ、そうだったのですね。少し無理をしてでも進めればよかったかしら」
その後二人は、ネタバレを配慮しつつ、ひとしきりゲームの魅力について語り合った。
特に音楽のクオリティが高いことについて、あかねはフルートを、冷泉はチェロでそれぞれ耳コピして演奏を楽しんでいるという共通点もあった。
普段こういった話をしないあかねは、その会話が楽しくて仕方がなかった。
ふと会話が途切れ、冷泉が尋ねた。
「そうだ。瑞光寺さんはどちらにお住まいなのかしら」
「練馬区の大泉ですわ」
「あら……練馬。うふふっ」
一瞬驚いた後、あかねを見て可笑しそうに笑った。
特に笑うところに思い当たらないあかねは、首をかしげる。
「どうかなさいまして?」
「いえ、練馬なのにそのようなお話のされ方なので面白くて」
「面白い、ですか」
さっきまであれほど近くに感じた冷泉のことが、急にどこか遠くの国の人間のように思えた。
理解できないままでいるあかねに、冷泉は笑いかけた。
「キャベツの千切り、お口に合わなかったでしょう」
「そんなことありませんが……」
仕出し弁当のキャベツの千切りの味にどうこう言うつもりは無い。それほど苦くもなく極端に鮮度が悪いわけでもなさそうだ。文句を言うようなレベルではない。
「でも普段はもっといいキャベツを食べるでしょう」
「それはそうですわね」
うなずくあかねを見て、またクスクスと笑う。
「遊びに誘おうかと思ったけど、私は高輪だから少し遠いわね。練馬のお嬢様」
その言葉の中に、明らかに馬鹿にするような響きを感じた。
これまで住んでいる場所で何か言われた経験が無かったあかねにとって、冷泉の態度は非常にショックだった。
仲良くなれたと思った分その失望は大きく、あかねは言葉を失くす。
『いかなる時も優雅たれ』と教育されたあかねは、マイナスの感情を表に出すことは無かったが、ただ先ほどまでの柔らかな表情はお面のように固まってしまった。
そこへ助け舟のように、君堂から声がかかった。
「冷泉さん食べ終わった? ごめんだけど『格子庵』の列、エレベーターホールで作りに行って。もう集まり始めてる」
「はーい。それじゃあね」
空になった弁当箱をゴミ袋に入れ、控室を去って行く冷泉に、あかねは声をかけることもできなった。
残った弁当を食べる気にもならなかったが、ただ空腹は感じていたので機械的に箸を動かした。
「悪かったね、瑞光寺さん」
ため息交じりに君堂が言った。
あかねはご飯を飲み込んでから、君堂に返事をする。
「何のことでしょうか。君堂さん」
「冷泉さんのこと。あんな風に言うなんてびっくりしちゃったよ」
「聞こえてらしたんですね」
「楽しそうだったから。途中まで」
楽しそう、ではなく間違いなく楽しかった。
それだけに、冷泉のあの言葉が理解できなかった。少し冷静になった今、あかねは悲しみよりも気味の悪い不可解さの方が大きい。
「何か気に障るようなことを言ってしまったのでしょうか」
「そんなことないよ。あんな風に言う人じゃないと思ってたんだけど、練馬に何か嫌な思い出でもあったのかな」
「どう、なのでしょう。わたくしも驚きましたわ」
「今日はもう業務も少ないし、冷泉さんと一緒に仕事をしてもらうつもりはないからね。少なくとも、さっきの発言の真意を確認するまでは」
君堂は少し怒っているようだ。
その理由もよく分からないが、あかねはまだ少し混乱していて思考が追いつかないのだと思った。
まだ表情の硬いあかねに、君堂は苦笑いの表情をしてみせる。
「あたしも川崎だからさー、たまに微妙な顔されるんだよね。まあ確かに治安は良くないけど。住んでるところがどうとか、あまり気にしないで。どうせ同じ穴のオタクなんだし」
「……ええ、そうですわね」
少し心配そうな君堂に、あかねは何とか笑って見せた。
君堂が思わず目を逸らす。
「……やっぱり怒ってる?」
「怒っていませんわ」




