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同人誌即売会と悪役顔令嬢  作者: 狐坂いづみ
浜松町オンリーイベント編
26/171

第23話 混雑対応というもの

 代表の朝香がシンプルな挨拶をして、あっさり開場した。

 その時あかねは最初の配置場所についていて、まだ朝香の声しか聞けていない。

 しかし、その後は大変だった。

 コミマのように一度人の流れを外に流して……といった制御を一切せず、入口まで誘導した後はお好きにどうぞという放ち方だった。

 普通に考えれば、入場といえば入場口をぐぐるまでで、コミマのようにその後の方向をある程度制限するほうが特殊なのだろうけど。

 とにかく、入口近くの濁流は凄いことになった。

 推定三百人が階段を使ってぞろぞろと四階まで上がり、そして目の前に『かのきせ』サークルだらけの会場である。

 気がはやらないわけがない。


「走らないでください!」

 

 近くから北原の声が聞こえるし、遠くで内間も同じように叫んでいる。

 そしてあかねは、列と列の間に挟まれて身動きが取れなくなっていた。


(困りましたわ。想像以上の圧力ですわね)

 

 遅れてあかねは理解した。

 この会場は、コミマと違って列を会場の外に出すということができない。

 一部バックヤードやエレベーターホールを使って列を逃がすことができるが、それだけだ。

 ひたすら通路に並べておかなければならない。


「瑞光寺さん、何をしているのっ」


 どこからか冷泉の声が聞こえ、あかねは背中をどんと押された。

 挟まっていたあかねはスポンと抜け出し、振り返ると身軽な姿の冷泉がいた。さすがにピーコートは脱いだらしい。暑さもあるかもしれないが、この人混みで揉まれたくはなかったのだろう。

 とにかく助かったとあかねは胸をなでおろした。

 


 ※

 


 呆然とする新人スタッフに、冷泉美弥子は少し早口に語り掛けた。

 

「混雑対応は習っていなかったの? まずは圧縮から!」


 瑞光寺が答えるよりも早く、冷泉美弥子は動き出した。

 こういう人混みの間を縫うときは、細身で良かったと思える。


「圧縮というのは、列の前後の隙間を埋めること。これによって列が短くなるし、横入りや列を割って通り抜けられるトラブルを予防できるのよ。前から……すみません、少しだけ前に詰めてください。少しだけ前に詰めてください、前の人との間隔を詰めてください」


 手を振って前に進むよう促していく。

 十人並んでいるとして、10センチずつ前を詰めれば一メートルも空間が稼げる。もちろん、会計している人にも協力してもらう。


「やり方が分かったら隣のサークルの列を同じようにお願い」

「承知いたしました。では、前へ少しずつお詰めくださいませ。少しずつで結構ですので前へ……」


 やや優しい言い方になっているが、列自体は詰められているので問題はないだろう。

 瞬時に頭を切り替え、他に混雑しているところを探す。

 内側の通路は概ね問題なし、やはり外側、それも奥か。

 人の流れをある程度作るため、混雑サークルを奥の方に配置する傾向がある。この『春日文化祭』もセオリー通りの配置だった。


「瑞光寺さん、奥の列を確認しに行きます」

「はい、参ります」


 冷泉の読みが悪い方に当たった。

 入口から見た右奥のエリアの混雑は混沌としており、スタッフの手が届いていないことが明らかだった。

 当然か。君堂はバックヤードに列を流すのに必死だったし、根岸はエレベーターホールに伸びた列と入場がかち合わないように立ち回って。混雑対応のできない神崎は相変わらず入口の番人をしていたし、北原と内間は逆のエリアにいる。

 一般参加のいら立ちも伝わってくるようだ。

 

「すみません、いったん整理します! 『ゲナウ!』さんにお並びの方は手を上げてください!」

 

 人混みの中から手が上がる。

 参加者はお互いその様子を見てはっきりした列になるように動いていた。

 瑞光寺はその光景を見て息を呑んだ。

 その一本ができたことで、通路の流れが見違えて良くなったのだ。

 

「ありがとうございます。狭いのでこのまま通路の真ん中に一列で!」


 冷泉の見立てでは、この『ゲナウ!』の列の整理さえつけば、これ以上の混乱はない。

 とはいえ、サークル『ゲナウ!』の列はL字に折れてしまっていて、通行に支障が出ている。


「瑞光寺さん『パケット』は知ってるかしら?」

「パケット……」


 復唱する瑞光寺を見て、冷泉は即座に『知らない』と判断した。


「では教えるのでよく聞いて。今列はL字になっていて、このカーブの内側に人が流れにくくなっています。そこで列を一旦区切って人が通れるように空間を開けておいて、前が進んだら列の続きの数人に移動してもらう……という形式の混雑対応のことよ」

「なるほど『パケット』と呼ぶのですね。名前までは知りませんでしたわ」

「素直でよろしい。ではまた手本を見せるから、よく観察して。少ししたらここをあなたに任せるわ」

「承知いたしました」


 冷泉はL字になっている『ゲナウ!』の列の、ちょうど折れているところに立った。

 手を遮断機のように下ろし、列を切ることを伝える。

 

「一旦列を区切ります。前の部分で人が通れるように空けておいてください」


 続きの先頭になった男は黙ってうなずき、数センチ後ろに下がった。

 意図が伝わったことを確認した冷泉は、前の列の後ろにつく。途切れた部分になるため、最後尾と間違いやすいところだ。

 

「最後尾あちらになりますのでお並びください。ここは列の途中です」


 並ぼうとする人がいると、冷泉がそう声をかける。

 一人に伝えるのには少し大きめの声だったが、周囲にいた同じ目的だった人たちも最後尾へと向かう。

 

「では前のお二人、手を上げてこちらへお進みください! 後ろの方はそのままお待ちください!」

 

 混雑の中、冷泉が良く通る声を上げる。

 言われた二人は小さく手を上げながら移動し、前の列の続きに付いた。

 それを確認した冷泉は、改めて後ろの列に呼びかける。

 

「それでは後ろの方も二歩前へ……はいそこでストップ、ここを人が通れるように空けておいてください」


 これが一連の作業となる。

 この作業のおかげで、L字でせき止められていた部分に人が流れるようにもなっている。

 冷泉は数回同じ作業を見せて、瑞光寺の様子を窺っていた。


「よし、それじゃあ瑞光寺さん、あとはお願いできるかしら」

「承知いたしましたわ」


 冷泉は瑞光寺と交代をする。

 この新人は、思った通り飲み込みが早い。

 それに、周囲にレクチャーであることをアピールしながら教えたので、少なくともこの前後にいる人たちは瑞光寺のことを新人だと認識してくれるはずだ。

 オンリーの参加者は場慣れしている人間も多い。瑞光寺が新人であることも十分考慮に入れて行動してくれるだろう。

 

 

 ※


 

 瑞光寺あかねは、しっかりと声を張るよう心掛ける。


「こちら最後尾ではございませんので、あちらへお並びくださいませ!」

 

 冷泉からのレクチャーを受け、混雑の中で理解していた。

 一番大事なのは、前の列の途中の区切りに間違って人が並ばないようにすること。

 あとは人を動かすとき、前に進む人の範囲を明確に伝えること。

 後ろには一旦待っていてもらい、落ち着いたら改めて前に来てもらうこと。

 他には、なぜ空けるのか説明を加えておくことと、列の途中であるアナウンスは大きめにすることに気を付けることだろうか。

 

「それでは先頭のお二人、手を上げてこちらへお進みくださいませ! 後ろの方はそのままで!」


 ほとんど冷泉の真似だったが、確かに思った通りに人が動いてくれる実感がある。

 ずっと同じ場所で声を出し続ける必要があるが、確かにこの業務は無視できない。

 

「こちらは最後尾ではございません。あちらへお並びください!」


 身振り手振りを駆使して、周囲の数人にも伝える気持ちでアナウンスを行う。

 列が人の流れを邪魔していないか確認しながら、前の列の進み具合と人の流れを見て、アナウンスもしながら列の切り貼りをしていく。案外油断ができないなとあかねは思った。

 

 三十分ほど続けていただろうか。

 明らかに場内の人の密度が減り、雰囲気にも少し余裕が出てきた。


「お疲れ様……瑞光寺さん、私が交代します……」


 あかねは背後から名前を呼ばれてぎょっとしたが、すぐにスタッフ仲間だと理解した。

 首から下げられたスタッフ証には「根岸」と書かれている。


「君堂さんの、指示だから……一度本部へ……」


 根岸は聞き取れるギリギリの声であかねにそう伝えると、スッと続きの列の横に立ち、びしっと手を上げた。

 遮断機のように列を切る仕草をして、何やら切った列の後ろの人と会話をする。

 前の列に間違って人が並ぼうとするが、音もなく近づいて優しく肩を叩く。知らされた方は大人しく最後尾に向かっていった。

 これが根岸のやり方らしい。


(やり方はそれぞれですのね)


 あかねは心から感心し『ゲナウ!』の列を根岸にお任せして本部へ戻った。

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