第22話 それぞれの理由
外は相変わらずの秋晴れだ。
雨が降ると来場者が減るらしいので、イベント側からすると恵まれた天候と言えた。
あかねは外の空気を大きく吸って、吐ききる前に声を掛けられた。
「あっ、瑞光寺さん、カタログありがとう!」
溝沼はそう言って丁寧にカタログを受け取ると、手早く梱包を解いて机の上に広げた。
重さを感じさせない早業だ。
多少斜めになっていても気にせず、溝沼は待たせた人たちに向かって声を上げた。
「では頒布を再開します! お待たせいたしました。五百円ですのでなるべくお釣りのないようご準備ください!」
元々列のようで列でないような人の集まりだったが、溝沼のアナウンスで自然ときちんとした列になる。参加者の練度の高さがうかがえる。
一列だと列が長くなるように思えたが、どのような形でも会場の敷地に収まるのであれば問題いとのことだった。それよりもさっさと販売を開始したいらしい。
「私がお金のやりとりをするから、瑞光寺さんはそれを確認したらカタログを手渡してもらえる?」
「承知いたしましたわ」
それから目まぐるしい忙しさだった。
溝沼のアナウンスが効いたのか、五百円玉が次々と溝沼に手渡され、あかねはそれを見てカタログをどんどん手渡していく。
なるほど、これは列を綺麗に作る手間を省いて、さっさと頒布してしまうのが正解だろう。
とにかく早い。流れるようにお金のやり取りが行われ、行きつく暇もなくカタログを手渡していく。
たまに千円札が出され、お釣りのやり取りの間に少し休めるタイミングもあったが、それ以外はずっと動きっぱなしだったような気がする。
あっという間にカタログが一束が無くなり、二束目が半分ほどになったところでようやく人が途切れた。
「ありがとう瑞光寺さん。助かったわ」
「いえいえ、大変でしたわね……あともうひとりの方は」
「浜崎は列の整理をしてる。思ったより伸びちゃってて他のイベントの人にも手伝ってもらっているけど。外は割とイベント関係なく共同作業なのよ」
「そうですのね」
「多分うちの列の最後尾あたりについているはずだけど」
外のスタッフは、参加者にとって初めて会うスタッフになる。最後尾あたりで質問される場合が多いらしいが、そこは他のイベントのスタッフに任せるわけにはいかない。
それにしても、今日のイベントはそこまで参加者が多いとは思わなかった。
あかねは自身がオンリーイベントに参加したことがないということもあって、過小評価していたらしい。
「少しその列を見てきてもよろしいでしょうか」
「あー、もうこっちは落ち着いたから平気かな。カタログ三百ちょっと出てるから、思ったより多いね」
ということは、列に三百人程度いてもおかしくないということか。もちろんカタログだけ買っておいて他のイベントから先に入るという人もいるだろう。
敷地前の端に五十人程度の列がある。これは三階のイベントの物らしい。
真ん中にはその倍以上の列があって、どうやらこれは五階のイベントのようだ。
四階のイベントは敷地に沿った道路に並べられているというから、相当多くの人が来ている。
あかねは敷地を出て列が並べられている道路をたどる。長い。
なるほど三百人の列とはこんな規模になるのか……
正面入り口の裏側のその先に、ゆらゆらとした足取りの女性スタッフがいた。
恐らくあれが浜崎だろう。
あかねが近づくと浜崎の方もこちらに気が付いたようだ。
「ああ、えっと……君堂さんの友達」
「瑞光寺と申します」
「浜崎です……」
浜崎はあかねを見て目を細めると、ふっと笑った。
ヘアバンドで髪をすべて後ろに回しているが、垂れた目細められてまるで寝起きのように見える。
不思議とやる気が無いようには見えないので、前向きに考えるのならば、イベントに何も問題はなく平和なのだというアピールになっているかもしれない。
「あの、失礼ですがとても眠そうでいらっしゃいますね」
「朝が弱くて……ふあ」
眠そうに見えるのではなく、本当に眠いようだった。
もうしっかり日が昇っているので、浜崎の朝の定義は午前中を表しているのかもしれない。
「館内は暖房してて、快適でしょ? 動きが鈍くなって寝ちゃうんだよね……」
「そうなのですか」
「そうなの。外は人の目もあるし、寝るわけにいかない厳しい環境だから、この通り目が覚めるってわけ……」
そう言われても、覚めていないように見える。
適度な日差しと風の流れもあって、快適な秋の日にはむしろ外の方が眠くなるような気さえする。
あかねがコメントに困っていると、他のイベントの男性スタッフから声を掛けられた。
「『春日文化祭』の人?」
「はいー」
浜崎が首から下げている名札を確認すると、男性は少し声のトーンを抑えた。
「代表同士が入場順のことを相談して、三階、四階、五階の順で入れることになったらしい」
「うちが二番目かあ……あ、三階って一番少ないとこ?」
「そう。だから最初に放り込んで、あとは四階のそっちがA階段、五階のうちがB階段でゆっくり上げる。うちは開場時間後ろ倒し対応で行くから焦らなくてもいいよ」
「りょーかーい」
頼りなさそうに見える割に、他のイベントとの話し合いは円滑に済んでいる。
ギャップ萌え、という言葉があかねの頭をよぎった。
会話が終わるとまた目を細め、あくびをかみ殺すような表情をする。
「瑞光寺さん、今言われたこと、溝沼に伝えてきてもらっていいかなあ。向こうも聞いてるかもしんないけど……」
「ええ、戻るついでにお伝えしますわ」
「頼んだよー……」
そう言うと浜崎はまたふらふらと列に沿って歩き始めた。
少し話しただけでは掴み切れない人だ、とあかねは思ったのだった。
「……というわけですわ」
「了解。まあ大体予想通りってとこね」
溝沼はカタログを整理しながらうなずいた。
少し前に代表と話をして、そうなるんじゃないかと言っていたらしい。
「そういえば代表の方にお会いしていませんわ」
「あれ、そうなの? たまにふらふらしてるけど、今日は他のイベントの代表との調整が多そうだから」
「お忙しいんですのね」
「複数のイベントが絡むと特にね。君堂さんが中を切り盛りしてくれるから安心してふらふらできるんだろうけど」
「君堂さんもお忙しそうでしたわ」
「やっぱりね。こっちはカタログ販売がひと段落したら気楽なもんだから。特に今は季節がいいからね」
「季節、ですか」
溝沼が空を見上げ、あかねもつられて空を見る。
さわやかな秋の空が広がっていた。今日は快晴だ。
あかねの住まいの周辺なら鳥の声でも聞こえてきそうだが、イベントの会場を待つ人々のざわめきと、首都高の車の音がわずか。
「真夏や真冬は死にそうになるのよね」
溝沼はそう言うと、力なく笑った。
確かに、今は一番いい季節になる。
「溝沼さんは、いつもカタログ販売なのですか」
「大体そうかな。朝一で一般さんの顔見るのは楽しいし」
そう言って、敷地内に待機するオタクの列を眺める。
携帯を見る人、カタログを見る人、連れと会話する人、本を読む人。
思い思いに過ごしているが、根底にはイベントへの期待を持っているのを感じる。
「分かるような気がしますわ」
「でしょ」
しばらく溝沼と話していたが、新しくカタログを購入する人はやはり少ない。
蒲田のイベントの開場が早いので、先にそちらへ行く人が多いのではないかという溝沼の見解だった。
「瑞光寺さんはそろそろ上に戻っていいよ」
「少し名残惜しいですわね」
「ふふ、瑞光寺さんも館外スタッフとして活躍してみる?」
勧誘はこの季節に限る、と溝沼は手の内を明かしながら笑った。
そこまで本気ではないようなので、あかねは笑顔を見せるだけにとどめた。
「瑞光寺さんの笑顔は迫力があるね」
「よく言われますわ」
よく言われれるが、あまりピンときていない。
コミマでも何度かそう言われたような気がする。
「そういえば、溝沼さんもコミマでスタッフを?」
「ううん。私はコミマではやってないの。サークルと一般で」
「あら、意外ですわね」
「そう? オンリーの人はコミマスタッフじゃない人も多いよ。ジャンルにくっついてる人とか、代表にくっついているパターンが多いね」
「朝香さん、ですか」
「そう。浜崎と朝香と私は大学時代につるんでて、君堂さんは朝香のいたサークルの先輩。北原さんもそのサークルの繋がりだったかなあ」
この界隈は縁故で成り立っている部分が大きいようだ。
漫画研究会とかそういったサークルなのだろう。
「開場に合わせて、私が列を引っ張って上まで持って行くからね」
「面白そうですわね」
「楽しいよ。自分の後ろに行列がついて来るの」
静かに列を作っている参加者を見ながら、溝沼は本当に楽しそうに言った。
その言葉にあかねもうなずく。
「分かりますわ。わたくしも夏コミの三日目にやりましたもの」
「そうなんだ。でも、夏コミより今日の方がいいと思うよ」
「そうですわね」
あの日のことを思い出しながら、あかねは溝沼の方を見た。
溝沼もあかねの方を見て、にやりと笑う。
二人は同時に息を吸って、
「「臭くない」ですもの」
示し合わせたようにぴったりと合った声。
二人はこらえきれず、笑い声をあげた。




