第19話 オンリーのお手伝い
決して予定やお誘いがなかったわけではないが、お世話になった君堂の頼みを断るわけにはいかなかった。
都立産業貿易会館浜松町。
頭文字を取って『都産貿』と呼ばれたり、単に『浜松町』と呼ばれたりするこの建物は、二階から五階までのイベントスペースでよく同人誌即売会が開かれている。
あかねは正面に立ち、秋晴れの青空を映すガラス張りの外観を眺めていた。
休日の朝とあって山手線の混雑もなく、コミマに比べるとずいぶん楽であるように感じた。
君堂から指定された集合場所は、建物の横の道路になる。
すでにぽつぽつと人が集まり始めた正面から離れ、集合場所へと向かう。
少し時間は早いが、天気もいいので待つのも苦にならないだろう。
ただ……
「お嬢様、お飲み物はお持ちですか」
「大丈夫です。神崎、何度も言いますが目立つ行動をするようなら即帰らせますからね」
「しかし、旦那様が……」
「お返事」
「はい……」
「よろしい」
どういうわけかお目付け役が一人ついてきてしまった。
安心といえば安心だが、どうにも過保護で困る。
「朝のうちはそれほど危険もないでしょうから、離れていなさい」
「そういうわけには」
「スタッフしかいない時間帯です。どう危険だと思うのですか」
「逆にどう安全だと旦那様にご説明するおつもりですか」
言い合いになりかけたところで、鏡のごとき輝きの黒い高級車が会場横に乗り付けた。
後部座席から降り立ったのは、高級車に勝る艶やかな栗毛をなびかせた女性だった。
ウェーブのかかった栗毛は丁寧に梳かれ、上品で穏やかに揺れる。
すらりとした鼻筋はあかねに似ているが、印象的な糸目からは表情が読めない。
高級ブランドのピーコートはいかにもお洒落だが、少々場違いでもある。
こんな古い展示場よりも銀座あたりが似合いそうなものだが……
と、あかねは自分の無遠慮な視線を自覚し、心の中で恥じると改めて神崎に向き合った。
「ともかく、神崎は一般参加の時間に一般参加に入って来なさい。きちんとカタログを買うんですのよ」
「はあ……」
「お、瑞光寺さん! おはよう!」
トレードマークのポニーテールをなびかせて、君堂莉子が元気に挨拶をする。
あかねが時間通り到着していることにご満悦だ。
「君堂さん、おはようございます」
「いやー、今日は本当に助かったよ。ありがとうね。そちらは?」
「ああ、父の会社の人と申しますか……」
「へえ、そうなんだ。もしお時間あったらスタッフ参加しませんか? なんて……」
「やらせていただきます」
「ひえっ」
前のめりになる神崎に、君堂は思わず二歩ほど後ずさりした。
神崎も安威ほどではないが体格が良い。小柄な君堂と並べると事件の香りがする。
「よろしいのですか、君堂さん」
「あー、男手は助かるよ。ここの机は大きくて重いから設営が大変で」
「では……」
「よろしくお願いします。神崎です」
あかねは渋々神崎のスタッフ参加を認めた。
どうにも気が進まなかったが、神崎のやる気に満ちた表情を見ているとあまり強くは言えなかった。
比較的無表情な神崎がこんな表情をするなんて、珍しい。
今日のところは許してあげようと、無理に笑って見せる。
「……瑞光寺さん、何か企んでる?」
「そんなことありませんけど」
「そう?」
君堂から不審な目を向けられ、若干傷つくあかねであった。
顔の作りはどうにもならないので、所作と言葉でカバーすることを改めて心に誓う。
今日も一日、どうか優雅でいられますように。
「じゃあ今日の四階の『春日文化祭』のスタッフ、集まってください」
あまり大きな声にならないように気を付けながら、君堂が呼びかける。
周囲にいた六人ほどが集まってきた。あかねと君堂、それに神崎を含めると九人になるようだ。なるほど、神崎以外は男性が二人しかいない。女性の方が多いとは意外だった。
そして意外なことに、ふわふわ糸目の女性もその中に入っていた。どうやら君堂の知り合いらしい。
「今、主催の朝香さんは鍵を開けに行ってるので、代わりにスタッフ統括の私、君堂がお話します」
今日の君堂の役割はスタッフ統括というものらしい。
ブロック長をやっているときも経験が豊富そうに見えたが、オンリーイベントでも責任者をやっているところを見ると間違いないようだ。
名前だけで簡単な自己紹介を全員が済ませると、早速業務の開始となった。
「浜崎さんと溝沼さんは外の列形成を始めてください。上と下のイベントには話し通してあって、逆サイドの歩道を今日うちが待機列で使わせてもらうことになってます」
「はあい」
「分かりました。カタログの販売開始はどう案内します?」
「九時半目標で十時までにはって感じです。よそが販売開始したときに混乱しないように上手く調整してください」
「了解ですー」
少し眠そうな浜崎と生真面目そうなメガネの溝沼のふたりの女性スタッフは、簡単な確認を済ませると早速列の形成に向かった。
それにしてもてきぱき答える君堂は有能だ。
「今の時点で四十人ちょっとだったから、ふたりで大丈夫だと思うし、残った我々は四階に上がりましょう。もう会場の鍵は開けたから、バックヤードの荷物エレベーター使っていいって」
「はーい」
一階の事務室横から搬入口にある荷物エレベーターへとぞろぞろ歩いていく。
「そういえば瑞光寺さん浜松町は初めて?」
「ええ、オンリーには来たことがありませんでしたので」
「そっか。初めての場所でスタッフは大変かもしれないけど、作りは複雑じゃないからすぐに覚えられると思うよ」
あかねは確かに緊張はしていたが、君堂の心配とは少しずれていた。
今日開催される『オンリーイベント』対になる言葉はコミマなどの『オールジャンル』となる。つまり、特定の作品やシリーズのみのサークルが参加するイベントで、参加者の愛や熱意が飛びぬけて高い。
自分の好きな作品がひとつのフロアに密集していて、買いに来る一般参加者もその作品のファンという濃度の高さ。
フロアにはその作品関連のBGMが流れ、聞こえてくる会話もそれ一色。
普段孤独に過ごしがちで、ネット上で文章でしかやり取りしない人たちにとって幸せな情報の濁流。
それがオンリーイベントというものなのである。
「作品をやり込みきれなかったので、他の方々に比べると知識が浅く心配なのです」
「なんだ、そんなことか。誰だって最初はニワカから始まるんだから、そんな心配しなくていいよ。何なら作品やったことないスタッフもいるし。さっき外の列を作りに行った溝沼さんは、ただここでやるイベントが好きなだけだし。北原君は好きなサークルが出るっていうから手伝ってくれるだけだし。つまりニワカにすらなってない」
「いきなりバラさないでくださいよ」
「隠すようなことでもないでしょ」
けらけら笑う君堂に、北原は肩をすくめた。
縁のないメガネをかけた北原は温和そうな風貌で、インドアな雰囲気が漂う成人男性だった。雰囲気にそぐわない神崎を見て怯えていたが、慣れてもらうしかない。
あかねは不要に気負っていた自分に気がついて、ふっと肩の力が抜けた。
今回の対象作品は『遥かの季節』通称『かのきせ』というゲームで、世にいう美少女ゲームなのだが男性キャラの人気も高く、メーカーも意図しなかったようだが女性ファンが多い。今日のサークル参加も半々だという。
その作中のイベントである『春日文化祭』の名を借りたイベントとなる。
あかねは君堂に誘われた当時は、ネットを通じてその作品のキャラの姿と名前ぐらいは知っていたが、詳しい内容までは知識がなかった。
誘われてからの一か月の間に時間を見つけてはプレイし、5人のキャラのうち3人とエンディングを迎えるところまではたどり着けた。それ以上は学業に支障が出る恐れもあったので自制することになった。
『私生活あっての趣味』
とはあかねの心得であり、同時に約束でもあった。
学業で結果を残しているからこそ、趣味で好き勝手に振舞うことが許されている。監視役はついているが。
キャラクターの表情が豊かで魅力的だし、BGMのクオリティも高い。ストーリーの解釈の余地が大きいため二次創作も活発でもあった。単発のゲームでオンリーイベントが開催できるというのは実はなかなか珍しいらしい。
四階に到着。
ブザーのような音が鳴って、荷物エレベーターの重厚な扉が開く。
薄暗いバックヤードが目の前にあった。
「じゃあ降りて……こういうエレベーターは、閉まるボタンを押し続けないと扉が閉まらないから、瑞光寺さんも覚えておいてね。締め忘れると開きっぱなしになって他のフロアが使えないから」
「なるほど。初めて見ました」
「いい経験になるでしょ」
この先の人生で役に立つかは分からないけど、少なくとも今日は役に立つよと君堂は笑った。
君堂は両開きの扉に手をかけると、あかねを見てまた笑った。
「さあ、ここが今日の会場です」
そう言って開かれた扉の先には広い空間があった。
今はもうない架空の会場です




