第153話 3日目 感謝の言葉
「「瑞光寺さん!」」
周囲の参加者が何事かと一瞬こちらを見る。
三島と風間、ガタイの良いふたりに迫られてなお、あかねは泰然としている。
あかねの悪役顔も相まって、姐さんに礼を尽くす舎弟のように見えた。
後ろに控える雀田と高村もコスプレ姿であり、どうしても目立つ。
「事情はお聞きしました。とにかくご無事で何よりでした」
「本来であれば荒事こそ我々の出番だというのに……」
「まあ。なんてことをおっしゃるの。コミマに荒事は無縁ですわよ」
「そ、そうでした」
首をかしげるあかねに恐縮する。
とても先程まで気持ちよく混雑を捌いていた男たちとは思えない。
あかねもまた、心配をかけてしまったことを申し訳なく思っていた。
「ご心配をおかけいたしましたわね。長らく留守にしてしまって」
ようやく戻って来たネノブロック。
人の流れはあるが、目立った列はなさそうだ。
残っていたブロック員の尽力あってのことだろう。
「いえ……その、お体はもう大丈夫なのですか」
「ええ。お陰様で。残りの時間をしっかりと楽しみますわ」
あえて「頑張る」は使わなかった。言外にふたりも楽しんで欲しいと伝えたかったのだが、どうやら理解してくれたらしい。
「あまりスタッフが固まっても邪魔ですわね。巡回を続けてくださるかしら」
「もちろんです」
気持ちの良い笑顔でうなずくと、また巡回へと戻っていった。
あかねは改めてネノブロックを眺める。
東5と東6の間に配置された、少し広い通路を持った混雑するブロック。
雀田はいつの間にかまた巡回に戻り、あかねはトシヤとふたりで人の流れを眺めていた。
「瑞光寺さん、高村さん」
「児島さん、ごきげんよう」
「ごきげんようじゃないよ。大丈夫なの。その……色々と」
「ええ。お陰様で」
興味はあるようだが、深くは聞いてこない。
そもそも、通路上で話せる内容ではないと感じているのかもしれない。
「お疲れ様、瑞光寺さん」
「倉敷さん、ごきげんよう」
今日ネノブロックのトラックヤード側を統括していた倉敷だ。
さすがに疲れの色が濃いが、ピークを乗り切れた達成感の方が強そうに見える。
「トラックヤード側は問題なさそうですわね」
「えっと、うん。いくらか混雑はあったけど、全部記録表に残したよ」
そう言って掲げられた混雑記録表はなんと7枚。1枚で3サークル分の記録があったはずなので約20サークル分の情報になる。
時間ごとの列の長さが記入され、次回配置の参考資料となる。
概算とはいえそれだけ記入するのは並大抵のことではない。
「さすがですわ。やはり倉敷さんにお任せして正解でしたわね」
「あの、朝日さんと雲雀さんにも助けてもらえたし……」
「では改めてお礼をお伝えしなければなりませんわね」
ここまで助けてくれていたとは思わなかった。
ハパブロックの方に目をやろうとしたとき、児島が声を上げた。
「あ、何だろう、人が集まってる。じゃあ瑞光寺さん、また後で!」
「ええ」
児島は返事を待たず、人の集まるヌブロックのサークルへと向かっていく。
東6ホールのニヌブロックの担当のはずだが、児島にとってあまり関係のないことなのだろう。
そしてそれはあかねにとっても些細なことだった。
「児島さんの視野の広さはさすがですわね」
「本当に。三奈ちゃんには私も助けられてばっかり」
目を細める倉敷。
自身のイベントでも色々とあったのかもしれない。
「あ、高村さん、イベントご参加ありがとうございました」
「いえ。こちらこそ色々と」
トシヤの「色々」に、倉敷が反応を見せる。
スタッフ中にサークルの手伝いに回ったことだろう。
「あー、瑞光寺さんにはちゃんと怒ったので大丈夫です」
あかねはそっと目を閉じて口を開かない。
そのあかねの様子と倉敷の言い方に、トシヤが小さく笑みを漏らす。
「ああ、でも、打ち上げに参加させてもらったのはさすがにちょっとやりすぎたかなって」
「そんなことないですよ。仲間じゃないですか」
「仲間……」
「ほら、コミマだと疲れ果ててブロックで打ち上げもできないですし、ちょうど良い機会だったと思いますよ」
気遣い半分と本音半分、といったところだろうか。
たった一度だけでも同じブロックを担当したのは確かだ。
そしてこのブロックは、不思議とブロック員同士の結びつきが強くなる気がする。
「……倉敷さんにそう言ってもらえると」
「だからまたここでスタッフやりましょう。待ってますから」
「うん、ありがとう」
児島の手伝いに向かう倉敷を見送ると、後ろから声をかけられた。
「あ、高村さんか」
「瑞光寺さんお疲れ様」
リョリョと探花が並んで手を振って合図をしてくれる。
当然のようにコスプレをしているが、今回併せのためにあかねと同じ悪の組織のコスプレだ。
あかねと同じように混雑対応に圧力をかけられると思っていたようだが、それは思うようにいかなかったらしい。
「体調は、もういいの?」
リョリョのハスキーボイスを聞くとなぜだか安心する。
「ええ。お陰様で」
「そっか……良かった」
あっけらんと言ったが最後の一言だけは心からの言葉に聞こえた。
探花も同じように、元気そうなあかねを見て安心している。
ふたりとも何があったのかは深くは聞いてこない。
姿を見せなかった副ブロック長のことを責めるようなこともない。
「昨日は顔見せれたの?」
「いえ……結局見守るだけでした」
「そうなんだ」
声を潜めて話していたリョリョと高村だったが、その会話はあかねにも届いたようだった。
「あら。昨日もおいででしたの?」
「え、いや」
「あっ、AKANEさん!」
慌てて間に割って入った探花からお願いがあった。
「あっ……あっちでジメジメしてるお姫様に声かけてもらえますか?」
指差す先で、ひとりの女がぼんやりと人の流れを眺めていた。
作り込んだ敵幹部の衣装は人混みに揉まれたせいかシワが目立ち、朝に丹念にセットした髪も乱れていた。
まるで主人公との戦いが終わったシーン。
あまりにも儚げなその立ち姿に、道行く人がちらちらと振り返っている。
彼女はそんなになってもしっかりと地面を踏みしめ、背筋を伸ばして立っていた。
モデルとしての矜持だろう。そのにじみ出る芯の強さは、言い表せない魅力があり人目を引く。
そんなChikiが不意にあかねの方を向いた。
「……!」
声にならない声を押しとどめ、走らないように注意を払いながら歩み寄る。
今にも壊れそうな表情のまま、Chikiは黙ってあかねに手を伸ばした。
あかねはそっとChikiを抱き止める。腕から伝わるその体は、震えていた。
「……ご無事で、良かったです」
「ええ。ご心配をおかけしましたわ」
「本当、ですよっ!」
あかねの身を案じながら、混雑対応と不審物への警戒をずっと続けていたChiki。
抱きしめる腕の強さは、その思いの強さそのものだろう。
衣装の皺も気にせず、あかねの存在を確かめるように抱きしめるChikiに身を任せる。
「……今日は併せられませんわね。申し訳ないわ」
「そんな、こと、どうでも、いいです……」
自身のことを優先してChikiをないがしろにしてしまった。
この記念すべきC100夏は今日で終わりだというのに。
「もし次に良いイベントがあったら、教えてくださるかしら」
「はい……はい!」
ようやく腕を解き、顔を上げたChiki。
示された『次』を思うその表情は明るいものだった。
リョリョ、探花、そしてはその様子を温かく見守っていた。
ようやく戻ってきた定点であかねを迎えたのは君堂だった。
トレードマークのポニーテールを揺らして、あかねの方を見る。
「おかえりー。おや、高村さんも来たね。お疲れ様」
「ただいま戻りましたわ」
「お疲れ様です、君堂さん」
小さな体の中に秘められた力強さ。
隣に立つだけで安心感をくれる彼女には、感謝しきれない。
今日も、最後に背中を押してくれたのは君堂だった。
「こっちは何事もなかったよ。ハパも手伝ってくれたし、東6にも投げちゃったし、ああ、サークルさんの列整理要員がすごく多かったのも大きいね」
事も無げに言う君堂だったが、そう簡単ではなかっただろう。足元の箱に乱雑に入れられた最後尾札と混雑記録表がすべてを物語っている。
何より、明るく振舞う君堂の姿から隠しきれない疲れが見える。
いつも余裕を見せる彼女にしてはとても珍しいことだった。
「本当に助かりましたわ」
そんな君堂はあかねをじっと見上げる。
この雄弁な上目遣いに、また心配をかけたのだと心苦しくなるあかねだったが……
「……言いたいことはたくさんあるけど、多分みんなから言われたろうから、あたしはいいや」
「君堂さん……」
それすらも見抜いたのだろう。
君堂はひとつ大きく伸びをした。
伸ばしたその両手があかねの身長を超えたのを満足そうに見ると、『よし』と気合を入れ直した。
「ほんじゃあ、江口橋さんが戻って来るまでもうちょっと頑張ろうか」
「……承知いたしましたわ」
にっこり笑いかける君堂を見て、胸にこみ上げるものがある。
そう、まだコミマは終わっていない。
「トシヤさんも、手伝ってくださいますかしら」
「ああ、もちろん」
トシヤは右手の赤い紐を見せながら力強くうなずいた。
そこからの巡回も、決して楽なものではなかった。
突発的に起こる渋滞の整理。
座り込んで荷物整理をする人に外への案内。
サークルの忘れ物と思しき日傘をインフォメーションへ持って行く。
細かいゴミ拾い、非常口の確認。
トイレの案内。
ゴミ箱の案内。
トシヤと並んでの写真を求められ、外に出て撮影に応じる。
「外の方が涼しいですわね」
「そうだね」
気温はピークを過ぎ、風も出てきたようだ。
幾分柔らかくなった日差しに、目を細める。
「守れた、かな」
「……そう、ですわね」
まもなく閉会のアナウンスがあるだろう。
会場を返す本当の終わりまで気が抜けるわけではないが、ひとまずは使命を果たせたと思っていいだろう。
「じゃあ、そろそろ着替えてネノブロックに戻ろうか」
「ええ」
差し出された手を、そっと掴む。
トシヤは手袋をしていたが、心が触れ合ったような気がした。
少し前から、会場中が耳を澄ましている。
会話しながら、歩きながら、あるいは何もしないまま。
次の放送は、閉会を知らせるそれだ。
この会場にいる全員がそれを待っている。
そして、その時が来た。
『これにて、コミックマート100夏、3日目を終了いたします。お疲れ様でした!』
割れんばかりの拍手が、東京ビッグサイトを包み込む。
ガレリアで、トラックヤードで、バス乗り場、タクシー乗り場、エントランス、そして何より、ホールの中で。
参加者は口々にねぎらい合い、どこからか万歳の声も聞こえる。
「あー、今回も楽しかったね」
「何か色々企画あって面白かった」
「めちゃくちゃ疲れたねえ」
参加者は一様に笑顔を見せる。
過酷な環境の中、精一杯に好きなものを追い求めた結果。
限界を超えた体にはもう、晴れやかな笑顔しか残らない。
そんな声を聞きながら拍手をし、新たに気合を入れ直すスタッフたちの姿があった。
「撤収のご協力お願いしまーす!」
「集積場作りますので! 荷物置き場は大きな柱の周りでーす!」
「椅子ひとつでも構いませんので!」
「机シールもはがしていってくださーい!」
その声を聞き、撤収の手伝いに回る参加者の姿もあった。
当然あかねもトシヤもネノブロックを中心に撤収作業を手伝う。
椅子を畳んでは運び、机を畳んでは運ぶ。
床のテープをはがす人を見守りながら、サークルへ撤収は急がなくても良いとアナウンスをする。
そんな中、半分ほど机の消えたネノブロックに最後の待ち人が現れた。
「江口橋さん。おかえりなさいませ」
「ああ、ただいま」
交わす言葉は少なかったが、お互いに理解し合っていた。
ひとまずC100夏を無事に乗り切れたと見ていい。
だが、今は言葉を交わす時ではない。
閉会時間を過ぎても、スタッフの業務は終わらないのだ。
「よし、俺も撤収に入る」
「承知いたしましたわ」
聞きたいこともある。
話したいこともある。
だがそれはまた、次の機会に。
今はただ、感謝の言葉だけを。
「ありがとう、ございました」
※
C100夏来場者数
1日目 12万人
2日目 22万人
3日目 26万人 (過去最多)
合計 60万人 (過去最多)




