第152話 3日目 ご心配をおかけしましたわ
東5ホールに戻ったあかねを真っ先に迎えたのは、ホール長の和泉だった。
飲み物が必要か尋ねられるが、救護室でしっかり飲んだあかねは首を横に振った。
和泉は険しい表情を崩さず、本部へと招き入れる。
「俺はまず、瑞光寺さんを叱らないといけない」
「はい」
あかねもそうだろうと理解していた。
これはホール長としての責務だ。
「経緯はどうあれ、スタッフが運ばれる事態になった。しかも副ブロック長だ。これは褒められたことじゃない」
「はい」
拡大集会やホールのミーティングでも繰り返し言われてきたことだ。
スタッフひとりが倒れることで何人もの手が取られる。それなら休んでもらった方がマシだと。
だから、スタッフが倒れて運ばれるということは恥じるべきであり、叱責されて当然なのだ。
「今後は気を付けてくれ」
「はい」
言い終えた和泉は小さくうなずくと、話は終わったとばかりに肩の力を抜いた。
一方で身構えていたあかねは拍子抜けする。
「……あの、それだけですの」
「ああ」
和泉は乱雑に頭をかいて目を閉じた。
「とにかく無事で良かったよ、本当に」
「ご心配をおかけしましたわ」
東5ホールのトラックヤードで、何があったか聞いているのだろう。短い言葉に複雑な感情と気遣いがにじむ。
隣で仮面を小脇に抱えて立つトシヤに目をやると、和泉はようやくふっと笑った。
「高村さんも、気が向いたらまた登録してくれ」
「ありがとうございます」
何も聞かないし言わない。
もし言いたくなったら聞いてくれるだろう。
和泉のその距離感が心地良い。雑に見える和泉がホール長として慕われる理由かもしれないとあかねは思った。
「お、瑞光寺さん、お疲れ様……とりあえず大丈夫そうで良かった」
地区本部から顔を出した矢原が大げさに胸をなでおろす。
こちらも情報担当。あかねに関する話が上がっていないはずもない。
「矢原さん。ご心配をおかけしましたわ」
「いや……俺の方こそ申し訳なかった。調子に乗って無計画に情報を垂れ流してしまった結果だ」
矢原は視線を落としながらそう言った。
「いくら情報を掴んでも、それを生かす人間がいないと意味が無い。そして、情報は生かしてもらってこそだ。俺はネノブロックで何を見ていたんだか」
自嘲する矢原。
だがあかねにはどうして矢原がそんなことを言うのか理解できない。
「今回、矢原さんのお力が無くては成しえませんでしたわ。それは明らかでしょう」
「……それは」
「コミマを救ってくださって、ありがとうございます」
あかねは優雅に膝を折り、矢原に敬意を示した。
目を閉じて数秒考えた矢原は、小さくうめいて「こちらこそ」とあかねに頭を下げた。
ガレリアへ出るシャッターは一方通行が解けたのか、出入りする参加者でごった返していた。
左側通行を呼びかけるスタッフの声を聞きながら、人の流れをすり抜けていく。
もう終盤だというのにあまり人が減っていない。100回目の節目、せっかくなので閉会までいたいという心理だろうか。
出入口の奔流を抜け出した先は少し人通りがおさまっていた。
そしてそこに、見慣れた男ふたりが待ち構えていた。
「お嬢様」
「安威、神崎。心配をかけました」
「本当です」
「今回ばかりは」
遠慮がない。
それだけ余裕がなかったのだろう。
あの時、どういうわけかこのふたりに助けを呼ぶという考えが抜け落ちていた。
本当に、体調不良ではまともな判断ができないことを思い知らされる。
「反省しておりますわ」
「……」
「本当に」
「……」
ふたりからじっと見られるが、あかねは逃げずにふたりに向き合っていた。
申し訳ないと思うのは本当だ。だからこそ、今後ろめたいことは無い。
危険ではあったが、それを後悔してはいない。
「ご無事で何よりでした」
「ええ。わたくしもそう思いますわ」
安威の声はいつもより硬い。
彼らの本業は不動産業だが、この場所での任務は何よりあかねを見守ることだ。
ここにいると本業を忘れそうになるが。
「高村さん」
「あ、はいっ」
後ろにいたトシヤの驚いた声が聞こえた。
神崎と安威はふたり並んで、綺麗に頭を下げる。
「ありがとうございました」
「感謝申し上げます」
「えー……えっとその、恐縮です」
トシヤは居心地悪そうにしていたが、ふたりの気が済むまで数秒そのままにしておいた。
外周通路でやるには少々邪魔だったが、通行量がそこまで多くないことから黙認したのだった。
次にあかねを捕まえたのは、椎名と雲雀のハパブロックの責任者メイド服コンビだった。
「瑞光寺さん! わあ、高村さんも!」
「お疲れ様、大変だったみたいで……」
嬉しそうに声を上げる椎名。トシヤとは前回の冬コミ以来となる。
雲雀は安心したように表情を緩める。
やはりふたりとも責任者。大まかに話は聞いていたのだろう。
「椎名さん、雲雀さん。ごきげんよう」
「すごく心配しました! でも高村さんも来てたとは知りませんでした!」
「その格好って……本物?」
「ええ、そうですよ」
ほほ笑む高村。
雲雀は「すげー……」と言いながらしげしげとヒーロースーツを見ている。
「ハパブロックには今回もお手間をおかけしてしまって」
「そんなことは良いんですよう!」
「こっちこそ、一番大事な時に助けられなかった。申し訳ない」
「何をおっしゃるの」
このふたりがハパブロックを率いていたからこそ、安心してネノブロックを離れることができたのだ。
雲雀は謝るが、あかねの方こそずっと助けられっぱなしでいる。
「わたくしが花火師の追跡に注力できたのは、ネノブロックを助けて下さるハパブロックあってのことですわ」
「あ……」
「瑞光寺さん……」
ふたりは目配せをする。
小さくうなずき合うと、居住まいを正した。
「コミマを救ってくれて、ありがとう」
「ありがとうございます!」
後ろにヒーローを従えた敵の女幹部に、ふたりのメイドが頭を下げる。
実に奇妙な光景だが、不思議な思いやりに包まれている。
ネノブロックにたどり着いたと思ったが、とても強力な視線を感じて思わず振り向いた。
東6ホール本部。
小さな雀田こと一条佐奈枝があかねのことを凝視している。
ばっちり目が合ってしまった以上、挨拶しないわけにもいかない。
「……瑞光寺さん」
「一条さん、ごきげんよう」
「良くない」
「えっ」
思いもしなかった返事に、あかねが声を漏らす。
一条は普段以上に厳しい目であかねのことを見ていた。
「ご心配を、おかけしましたわね」
「……ちゃんと周りを頼って」
言葉もない。
分かっているだけに、あかねは黙ってうなずくしかない。
反省することばかりだ。
「一条、やめなさい」
後ろから現れたのはホール長冷泉だった。一条と同じように厳しい表情をしている。
一条は一歩下がって冷泉を見る。
「冷泉さん、ごきげんよう」
「私も良くないわよ」
糸目だがその視線が鋭いことは分かる。
東6ホールからすれば、隣接する偽壁のブロック長と副ブロック長が同時に離れたのだ。文句を言う権利は十分にある。
だがふたりは、友人として心配をかけたことに怒っているようだった。
だからこそあかねは申し訳なく思う。
「……でも、どうせ和泉さんにしっかり叱られたんでしょう」
「しっかりとは思えませんが、叱られましたわ」
それを聞いた冷泉は思わず苦笑する。
「あなたね……本当にもう」
こみ上げる何かを抑えるように、冷泉が奥歯を噛む。
「本当に、心配したわ」
その糸目からは感情が読みにくいが、その声はほんの少しだけ震えていた。
「心配で心配で、ホール本部から何度飛び出しそうになったか」
「冷泉さん……」
仕方なかったとはいえ、心が痛む。
不安と責任の間で揺れながらホール長を全うする。とても真似できない。
それだけではない。隣り合う東5ホールのことも助けてくれる。
椎名たちと同じように、助けてもらってばかりだ。
「東6のシブロックの方が、江口橋さんにご協力いただいたと聞きましたわ」
「まあね。うちのシブロックは優秀だから。江口橋さんはちゃんと頼ってきたわよ……なのにあなたは」
その時、あかねと冷泉の間に割って入った影があった。
「その辺にしておいてください」
「ひっ」
一条の小さな悲鳴が聞こえる。
突然自分の推しキャラが目の前に現れれば、誰でもそうなるだろう。
るいに扮する雀田が、待ちきれなくなってネノブロックから迎えに来たらしい。
東條アストリッドとその部下るい。今回のコミマでも屈指の完成度のふたりは、揃い踏みするとさらなる存在感を示している。
少し距離を置いて見守るトシヤも目を丸くしている。
「おじょ……瑞光寺さんにはまだ副ブロック長としての業務が残っていますので」
「そうだったわね……」
まだ閉会にも時間がある。
ネノブロックから離れていた分、しっかりやり遂げなければならない。
「瑞光寺さん、今度私の家に泊まりに来なさいな。そこでゆっくりお話ししましょう」
「まあ。よろしいのですか」
「よろしいから言ってるのよ。そこのふたりを並べて眺めながらお酒を飲みましょう」
楽しそうな冷泉。一方並べられる提案をされたふたりは……
「チッ」
「何ですかそれ……」
聞こえるように舌打ちをする一条と、同じように眉を顰める雀田。
コスプレをしてもなお、そのふたりの姿は似ていた。
「相変わらず似てるわね。あ、一条も『るい』のコスプレをすれば……いえ、身長が足りないわね」
「冷泉……」
「きゃっ!!」
一条が冷泉の太ももをはたく。
さらにわき腹をつねり始めた。かなり容赦がない。
「痛い痛い痛い、一条ごめん、ほんと! ごめん!」
「……おじょ、瑞光寺さん今のうちに」
「ええ」
微笑ましいふたりからそっと距離を取ると、優雅に膝を折って敬意を表した。
そしてあかねは、みんなが待つネノブロックへと帰還する。




