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同人誌即売会と悪役顔令嬢  作者: 狐坂いづみ
C100夏編
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第151話 3日目 ヒーロー

「この、負け犬が」


 言ってから、気が付いた。

 そもそも日本語が通じる相手かどうか分からない。

 だが、相手に反応があった。

 馬鹿にされていることぐらいは通じたのだろう。


「ふっ」


 あかねはさらに顎を上げ、ようやく聞こえる程度の声を漏らす。

 侮蔑を込めた笑い。これができる最大限だ。

 

 緊迫した時間は、そう長くはなかった。


「ッ!」

 

 少し身をかがめ、足に力が込められるのが分かった。

 ああ、成功した。

 男のベクトルは真っ直ぐこちらに向かっている。

 手にした白刃もまたこちらに届くだろう。


 跳ねるようにして、男が距離を詰める。

 世界がスローモーションのように見えた。


(なるほど、これが)


 話には聞いていたが、本当にこんな風に見えるのかと他人事のような感想を抱く。

 不思議と避ける意思が湧いてこない。

 ジリジリと照りつける夏コミの太陽に影を縫い付けられたように。


(うまく腕に刺されば、誰か取り押さえてくれるかしら)


 胸元に手を寄せる。

 致命傷だけを避けられればそれで良いと思った。

 味方は多いはずだ。

 ただのスタッフがひとりやられたところで、このコミマは止まらない。

 それよりも、ちゃんと危険物を回収できたかどうかが気になる。

 

(どうか、この場が継続しますように)

 

 男がその息遣いすら聞こえてきそうな距離まで迫ったところで、


「えっ」


 影が、差した。

 

「フッ!」

 

 その影は踏み込んだ足を軸にして、気合と共に鮮やかな上段蹴りを男に繰り出す。

 風を切るような音の後、硬いものがぶつかるような音が響いた。


 辺りから音が消える。

 

 次に聞こえてきたのは、男が灼熱のアスファルトに倒れ込んだ音だった。

 あかねは影を見る。

 その後ろ姿は、テレビで見たそのままだ。

 全身スーツに身を包み、素顔を隠した仮面。

 その右手に、赤い紐が見えた。味方。

 そして、その背格好に覚えがあった。


「トシヤ、さん?」


 かすれたような声。

 そんなあかねの声に、影が反応したかどうかは分からなかった。

 急に意識が遠ざかり、その影が振り返ったのだけが見えた。

 

 




「う……」

 

 思わず体を起こしたあかねは、手首に巻かれた何かに目をやった。

 冷たい。保冷剤だろうか。

 そういえば首筋にも冷たい感触がある。


「気が付いた……良かった」


 しっかりと冷房の効いた部屋。

 簡易的に床に敷かれた布の上に寝かされていたらしい。

 ふと隣を見れば、自分と同じように転がっている参加者が何人かいる。

 

「救護室……」


 何度か案内はしたが、実際に足を踏み入れるのは初めてだった。

 つまり、自分は運ばれて来たということだ。

 救護室の一番奥、他の人と離れた場所に横たえられていたようだ。

 そして……

 

「トシヤさん……」


 見守ってくれていたのだろう。

 仮面を脱いで目の前の椅子に座る彼は、スーツ姿のままであかねのことを見ていた。

 

「良かった」


 トシヤの声。

 毎週テレビで聞いていたはずだが、ずいぶん久しぶりに思える。

 

「わたくし、倒れましたのね」

「そう。熱中症自体は軽いものだったけど、あんなことがあったからね」

「どう、なりましたの。今の時間は……」

 

 段々と思い出し、取り乱しそうになる。

 ゆっくり寝ている場合ではなかった。


「落ち着いて。今は二時前。あかねさんは一時間も眠っていないよ」

「二時……」

 

 救護室の机に置かれた時計に目をやり、その言葉が本当であると確認する。

 それから、トシヤは自分の見た範囲での顛末を教えてくれた。

 

 トシヤが蹴り倒した『花火師』は、すぐに駆け付けた警察に確保されたこと。

 江口橋が追った男も無事に捕らえたこと。

 確保したリュックは、時間になると可燃性の液体を撒き散らして発火する恐ろしい装置だったこと。

 東4でも同じものを見つけ出したこと。

 それらは無事に集積所に預けられ、警察によって処理されたこと。

 江口橋は一旦本職に戻り、今は君堂がネノブロックを采配していること。

 

 トシヤはネノブロックの君堂からこれらの話を聞いた。

 倒れたあかねは、遅れて駆け付けた安威とトシヤによって救護室に運び込まれ、そして今に至る。


「ほとんど休憩していなかったでしょう。休まないとダメだったのに」

「面目ありませんわ」


 副ブロック長である自分が倒れるなど、本来あってはならないことだ。

 スタッフがひとり倒れれば、その対応に三人のスタッフの手が割かれる。

 これまで何度も聞いた注意だったはずなのに。


 扉の向こうに、コミマの喧騒が聞こえる。

 隔絶された救護室には、冷房の音だけが静かに聞こえる。

 

「コミマの危機は、去ったのかしら」

「多分ね。まだC100夏は終わってないけど」

「そうですわね」


 色々と話したかったはずなのに、言葉が出てこない。

 最後に会ったのは川崎のオンリー。ほんの2か月前なのに、ずいぶん長く会っていなかったような気がする。

 それまでは毎週のように顔を合わせていたからだろうか。

 あかねの気持ちはぐるぐると渦巻いているが、トシヤは涼しい顔をしている。

 言葉にするよりも前に、頭を下げた。

 

「え、ど、どうしたの急に」

「トシヤさん、ご迷惑をおかけしました」


 急に頭を下げたあかねに驚く。

 

「わたくしが油断したばかりに、写真を」

「ああ、そっちか。写真週刊誌の……いや、あれはもう大丈夫だから」

「ですが」

「実際、ほとんど話題にならなかったよ。喜ぶべきなのかどうか迷うところだけどね」

 

 自嘲気味に笑うトシヤ。

 速やかに回収された例の雑誌は回収されたことが少し話題に上った程度で、内容についてネット上でも触れられることはほとんど無かった。

 実際にはあちこちからの圧力がかかった結果なのだが、知名度が上がっていたと思っていたトシヤにとっては素直に喜べない状況であった。


「事務所からも軽い注意で済んだよ。そもそも不倫でも犯罪でもないし。だから、気にしなくても大丈夫」


 じっとトシヤを見るあかね。

 彼の言葉が嘘かどうかを見抜く術はない。

 

「むしろこっちこそ迷惑をかけてしまって。申し訳ない」

 

 まるでお互い様なのだと言うかのようにトシヤが頭を下げた。


「いえ……」

 

 これだけの言葉で済ませて良いものか迷ったが、これ以上のこの話題を続ける気はないようだ。

 

「それより、どうしてあんな無茶を」


 先程のことだろう。

 どうしてと言われても、困る。

 

「周囲に助けを求めるとか、逃げるとかできたでしょ」

「他の参加者の方に危害が加わるかと……」


 トシヤのため息が聞こえた。

 呆れられている。

 あかねは妙な居心地の悪さを感じながら、ふいと目を逸らす。

 分かっている。今から思えば、他に取れる選択肢はあった。

 それこそ、自身の安全を確保しながら花火師の身柄を抑えることはできただろう。

 あそこで挑発せずもう少し待っていれば、後ろからスタッフなり警察なりが駆けつけたかもしれない。

 だが同時に、周囲の人に危害が加わるリスクもあった。

 それは間違いない。

 

「もう、あんなことはしないで」


 また同じ状況に立たされた時、どうするかは分からない。

 そもそも、もうあんな状況になることは無いと思うが。

 

「ご心配をおかけしました」

「本当に……」

 

 その言葉には、えも言われぬ力が込められていた。

 少し怒っているのだろう。本当に申し訳ないことをしたと思う。


 だがトシヤもあかねからの連絡に反応せず無反応だった。

 あかねも心配したのだ。

 できれば返事はしてほしい。それは我儘だろうか。

 それを伝えようとしたが、トシヤの言葉が耳に届いた。

 

「本当に……無事で良かった」


 その声は、少し湿り気を帯びていたように聞こえた。

 

 


 それから少しの間、トシヤと他愛もない話をする。

 あかねがペットボトルのスポーツドリンクを飲むまでの間だったが、主にトシヤのこれからの仕事についてだ。

 はたから見れば特撮のヒーローと敵幹部が仲良く会話しているのだが、コミマにおいては特段珍しいものではない。

 ただ、ヒーローが俳優本人というのはなかなかない。

 

 トシヤの準主演作は無事にクランクアップ。次に向けてのオーディションも概ね好感触。

 トシヤの俳優人生は順調のようだ。


「サークル参加は、難しいかもしれないけどね」

「あら。歌手の方や声優の方が、ご自身のサークルで参加なさっているそうですわよ」

「それはそうだけど、ジャンルが難しいなあ……」


 特撮俳優が特撮の本を作っていると、公式だと誤認されかねない。

 もちろん制作会社の許可を得ている活動ではない。非常に難しい。

 

「しばらくは本業に専念したいかな」

「そうですの……トシヤさんの本、大変興味深く拝見いたしましたわ」

「ありがとう」

「昔の特撮のロケ地の研究、ご近所のご高齢の方にお見せしたところ色々と……」

「ええっ!?」


 食い気味に声を上げ、トシヤが身を乗り出す。

 豹変したトシヤに驚きながらも、あかねは手で制する。


「落ち着いてくださいませ」

「あ、ああ……ごめん。そう、そうか……」


 落ち着かない様子のトシヤを見て、ふっと笑う。

 やはりオタクなのだろう。知的好奇心を抑えることはできない。

 そして得た知識を本にして世に送り出す喜びを知ってしまった以上、またいつか戻って来るだろう。

 

「今、本を出すのは難しくても、研究は続けられるのではありませんこと」

「そうかもね……あの、良かったら」

「ええ。ご紹介いたしますわ」

 

 トシヤがどんな本を作るのか、今から楽しみだ。

 少し先の約束。

 これが何より力になることを知った。

 だから今回も、この場所が継続できるように全力を尽くす。

 

 そろそろ戻ってもいいだろう。

 貴重な開場時間に、救護室でずっと休んでいることがひどく勿体ないように思える。

 

「ああ、そうだ。君堂さんから言われたんだった」


 トシヤに言われたあかねは、そっと無線と手に取った。


「東5瑞光寺より各所、ご心配をおかけいたしましたわ。これより復帰いたします。以上」

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