第15話 3日目 入場失敗
江口橋誠司は君堂莉子と一緒にサークル参加登録の状況を確認し終えた。
UVブロックのサークルはほぼ皆勤で、青紙の発行もほとんどなかった。
ブロック長の君堂は本部でゆっくり麦茶を飲んでいるが、江口橋の表情はどこか晴れない。
ちなみに、君堂はいつの間に着替えたのか、メイド服を着ている。麦茶のペットボトルはどうもミスマッチに見える。
いわく、遅刻するかしないかの賭けで負け、メイド服を着ることになったらしい。
「あとは黄紙を一件処理したら終わりかあ。優秀だねえ」
「ああ」
「江口橋さんや、もっと嬉しそうにしたらどうなのさ」
「一般入場前だからこそ気を引き締めるんだ」
「いやいや緩急は大事だよ」
「ああ……」
江口橋には、言い表しにくい悪い予感があった。
最終日の疲れからか、はたまた夏の湿度がそう思わせたのか。妙に人数の多い開場前の参加者のせいなのか、それとも本部の緩みきった雰囲気のせいか。
何事もなければいいが。
半分ほど飲んだエネルギー飲料の缶を見つめながら、気持ちを切り替えようと頭を左右に振る。
「あたしが黄紙の処理もやっておくから、江口橋さんは現場をお願い」
「ああ」
杞憂ならいいが。
江口橋はエネルギー飲料を一気に飲むと、ゆっくり本部からホールの中へと歩き出した。
君堂はそんな江口橋を横目に麦茶を飲み干して、空になったペットボトルをゴミ袋に放り投げた。
「君堂ォ! ゴミ袋に入ってねえよ!」
「ごっめんなさーい」
誰かが咎める声と、笑い声で謝る君堂の声が聞こえた。
「江口橋さん」
「ああ、瑞光寺さんか。異常はないか」
「はい。万全ですわ」
怪しく笑って見せる瑞光寺。
今日は艶やかな黒髪をハーフアップにまとめ、動くたびに軽やかに振られている。加えて輝くような白いワンピースで周囲の注目を集めている。
今日も昨日と同じように前髪をピンでとめているため、キツめの目つきでもおでこが出ていてどこか愛嬌がある。
瑞光寺の出で立ちを見ながら、江口橋は表情を硬くしていた。
「……何か、気になることでもありまして?」
「いや」
顔に出ていたらしい。
新人に心配されるとは、自分もまだまだ修行が足りない。
何事も起こらなければいいが。
「何が起こっても、わたくしが何とかしてみせますわ」
虚を突かれた江口橋は、目を見開いた。
目の前の二十歳に満たない新人スタッフの、どこからこの自信が湧いてくるのだろう。
強気。自信。結構なことだ。弱気で自信のないスタッフに、誰がついて来る。
「そうだな。よろしく頼む」
「承知いたしましたわ」
「もうすぐ開場だから、そろそろ通行規制のアナウンスを始めてくれ! 入場周りはSTとUVの皆さんで宜しく頼む! とにかく今日も入場を止めないように!」
今日も声が大きい菊田は、それだけ言うとトラックヤードの方へと向かっていった。
同じく腰から無線機を下げており、耳にはイヤホン、襟元にはマイク。三日間同じ服装だったが、あれが菊田の勝負服らしい。
珍しく青紙業務もない江口橋は、一般入場の受け入れを補佐することにした。
ホールに入ってすぐ左右の通路に散らさず、直進して正面のシャッターまで流れてもらう重要な役割だ。今日も貸し出し人員でこの業務にあたる。
『ただいまより、コミックマート96、3日目を開催いたします!』
最終日開場のアナウンスが、高らかに流れた。
盛大な拍手がホールを包み、時を同じくして大勢の足音が耳につく。
来た。
一般入場だ。
ガレリアの担当者がそのまま先頭を引き、シャッターまで導く手はずになっている。
「前に続いて歩いて進んでください!」
「走らないでくださーい!」
いつもより流れはゆるい。
圧力は高めだが、十分制御できる範囲だ。
入口シャッター周囲は問題ないと判断し、先の流れを確認するためにVブロックのあたりまで後退した。
「おかしいですわ」
隣で声がした。
「出口シャッターの辺りで人が停滞していますわね」
「瑞光寺さん」
瑞光寺は、出口シャッター方面を凝視していた。
同じように入場列の進んでいく先を見る。
見たくないものが、そこにあった。
シャッターに出ていくはずの人の流れが、止まって見える。
「……確かに詰まってるな」
言うや否やホールの中央あたりまで渋滞が伝播する。
その時、同じ光景を見ていた瑞光寺が、強い声で言った。
「では、ここから横に流しましょう」
「瑞光寺さん、何を言っ……」
「先が詰まっているのです。こちらへ逃がすしかないでしょう。私では負けてしまいます。江口橋さん、お願いできますか」
強い意志を持った瞳。
その真っすぐな目でこちらを見つめてくる。
もう一度出口シャッターを見る、状況を把握するのに1秒もかからなかった。
すでにあの場所は失敗している。入場者の足がほぼ止まっているのだ。
これ以上の失敗もない。瑞光寺の言う通り、この流れを止めるよりはマシだ。
「くそっ、じゃあ瑞光寺さん、引っ張るのは任せたぞ」
ひとりでは荷が重い……誰かいないかと探してすぐ、藤崎の姿を認めた。
「藤崎! 瑞光寺さんに付け!」
「……えっ?」
「入口シャッターから切ってこっちに流す! 早く!」
「……!」
「くそっ」
悪態をつきながらホールの入口へと逆流していき、シャッター脇から入場列へと体を滑り込ませていく。
ちらりと瑞光寺を見る。
微塵もうろたえる様子を見せず、隙のない出で立ちで静かに入場列を見ている。
どんな胆力だ。どんな新人だ。
一方、今になってもホール本部の動きはない。何が起こっているのか分かっていないようだった。
入場列はその四分の三ほどが止まりそうなほど渋滞……いや、停滞していた。恐らく出口近辺は完全に停止している。
「瑞光寺さん! 左に曲げるぞ! 東3に持って行けえ!」
「承知ーっ、いたしましたわあー!!」
答えと共に、しなやかに伸びる手。
瑞光寺の声が聞こえた時、不思議と戦える気がした。
一般入場の密度がほんの少しだけ下がった部分を見極め、間に入る。
「みーなー様ぁっ、ホールに入ってええ! ひ、だ、り、に、曲がりまあああすっ!!」
江口橋が、ありったけの声で叫んだ。
両手を上げて、一般入場の群れに合図を送る。
入場列に対して斜めに立ち、3ホール方面へと一気に誘導をかける。
一般入場のベクトルが、無理やり捻じ曲げられた。
入口近くにいたスタッフたちも一瞬で事態を察し、援護に出る。
「ここから、ひ、だ、り、へー!!!」
「左です左!」
「曲がります!」
もう少しここで曲げなければならないだろうか。
いや、すぐに瑞光寺を助けに行かなければ。
人の圧を感じながら、江口橋は必死に持ちこたえていた。
※
藤崎慎吾の目に、純白のワンピースが輝いて見えた。
曲げられた一般入場を受け止める瑞光寺には、恐れも緊張も無いように見える。
まるで、これが当然だとでも言うかのように。
瑞光寺は大きく息を吸って、通路を踏みしめ両手を挙げた。
「こちらへ、お進みくださーーーーーーーい!!」
大きな身振りで自分の方へ誘導する。
まるでオペラ歌手のような声量だと思った。
このお嬢様のどこからこんな声が出ているのか。
その甲斐あってか、ホールに入って直後のベクトルが、はっきりと90度横を向いた。
突然先頭となった入場列から若干の戸惑いは伝わって来たが、流れの方向は思い描いた通りに動いてくれた。
「藤崎! 瑞光寺さんと頭を引っ張れ!」
人混みの中から江口橋の声が届く。
「りょ、了解です!」
「三山は入口近くでアナウンス継続!」
「ええっ!? ホ、ホールに入ったら、左へ曲がって下さーーい!」
江口橋からの指示が飛ぶ。瑞光寺さんと頭を引っ張る? どこへ? どこまで?
戸惑う藤崎だったが、横目に微笑む瑞光寺は戸惑うことなく、すらりと優雅に右手を上げて一般入場を導く。
一般入場は、早すぎてもいけない。遅すぎてもいけない。
確かに彼女は1日目2日目と一般入場列を見ていたが、その速さをほぼ再現している。
「焦らないで、わたくしに合わせてお歩きください!」
「あ、焦らず、スタッフに合わせて歩いてください!」
突然一般入場の先頭になった人たちも初めこそ戸惑ってはいたが、次第に自分たちが先頭であることを実感してきたようで笑顔になる。
群衆……いや、入場の列を導く白いワンピース。
それはまるで絵に描かれたジャンヌ・ダルクのようだったとこれを目撃したサークル参加者が述懐している。
藤崎は、自分の胸がこれまでにないほど打ち震えているのを感じていた。
昨日の事件の嫌な緊張とは違う。はっきりとした高揚感。
隣を歩いている今回新人の彼女は、きっとすごいスタッフになる。
そしてこの入場列は、きっと伝説になる。
自分が歴史に立ち会っているような気さえしてくる。
「ゆっくりついてきてください!」
藤崎は息を吸うと、これまでにないはっきりした声でアナウンスをしていた。




