第143話 3日目 総力戦ですもの
国際展示場の駅に着く前から、周囲の乗客のざわめきで事態を察していた。
「今日手荷物検査があるらしいぞ」
「え、告知してた?」
「ついさっき。ほぼ抜き打ちじゃん」
「マジかよ……」
人の流れに乗って駅から出ると、そこにはすでに大勢のオタクがごった返すイーストプロムナード。
遠くに見えるビッグサイトの会議棟が心をざわつかせる。
入口担当のスタッフが拡声器を使って案内をしている。
コミマの朝だ。
「手荷物確認の前と後では完全に隔離されまーす! お連れの方とは離れないようにしてくださーい!」
「待ち合わせの方は手荷物確認をまだ受けないでくださーい!」
突然実施されることになった手荷物確認。
もちろんあかねは実施されることを知っていた。
昨日の夕方のホール長ミーティングで正式に決まり、すぐさまプロック長、副ブロック長に降りてきた。
ブロック員を割り当てていた『仮貸し出しA』の業務がそれだった。
このコミマの来場者ほぼ全員の手荷物を確認し、危険物の持ち込みを防ぐ。
「手荷物確認って何をするんですか?」
「中身を確認します」
「開けるってことですか」
「そうです」
「嫌だと言ったら?」
「今日は入れないですね。警察からの指示ですので」
「カタログ買ったのに?」
「カタログにも『手荷物確認等実施する場合があります』と書いてますので」
「ええ……うわ。本当だ……」
カタログの該当ページのコピーを見せる入口担当のスタッフは毅然としている。
最も混乱が予想されるはずだが、恐らく綿密な打ち合わせをしていたのだろう。
それにしてもおの手荷物確認の情報が今日まで一切漏れていないところに感心する。
館内はブロック長クラスにしか聞いていないが、実働の入口担当スタッフはそのほとんどが聞いていただろう。
その上で、小さな噂すら流れていなかった徹底ぶりには感心する。
「あっ、ちょっとよろしいですか」
「え、俺?」
その入口担当が、体格の良い男性参加者に声をかけた。
特に問題はなさそうに見えるが、あかねはついそちらを見てしまう。
「ええ、これからお伝えする業務を手伝っていただければですね」
入口担当が声のトーンを下げる。
「優先入場できるんですが……」
「あ、もしかしてこれ?」
「ええ、そうです」
男性が右手を出すと、赤い紐がちらりと見えた。
「やります」
入口担当のスタッフは意味深にうなずくと、声を潜める。
「では逆三角形の下に受付がありますので、七桁の番号と紹介者の名前等確認して、臨時のスタッフ証を出しますので……」
なるほど、赤い紐の準スタッフを一時的にスタッフとして業務……恐らく手荷物確認を手伝う人員を確保するということか。
十万人単位の参加者全員の手荷物を確認するのに、窓口がいくつあっても足りない。
そう、全員。
この施策は穴があっては意味が無くなってしまう。
また違う場所で入口担当にスカウトされている参加者を横目に、あかねは東地区へと進む。
優先入場する準スタッフは数百人規模になるだろう。
これは開場前から混雑すると思っていた方が良い。
「おはようございます、あかね様」
考えながら歩いていたあかねは、後ろから声に足を止めた。
「Chikiさん、お早いですわね」
「目が覚めてしまって」
Chikiは「でもちゃんと六時間は寝ました」と付け加えて小さく胸を張った。
年の割には子供っぽい仕草だが、あかねの前ではどうしてもこういう振る舞いになってしまうらしい。
「あかね様は、よく寝られましたか」
「ええ。しっかり睡眠は取りましてよ」
そう答えるあかねをじっと見ているChikiは、どこか心配そうだ。
そんな彼女を見て首をかしげる。
「Chikiさん?」
「最終日は少し疲れが残りますよね」
「そうですわね」
「ちゃんと、休憩を取らないといけませんね」
一般論のように言うが、自分に向けられた言葉だろう。
少し疲れが残っているのを見抜かれただろうか。
あかねはChikiの心遣いを感謝しながら小さくうなずいた。
「なんだか、すごいことになってますね」
蒸し暑い朝のやぐら橋。
イーストプロムナードの人混み、案内に尽力する入口担当、スカウトされる準スタッフ。
これまでにない規模の参加者のコミマが、経験したことのないオペレーションで回っている。
熱気をはらんだ興奮が、この場所に渦巻いているのを肌で感じる。
「今日は、総力戦ですもの」
「総力戦……」
スタッフ、サークル、一般、企業、形態を問わないすべての参加者が、今日のこの場所で全力を尽くす。
そんな日。
特に今回の運用が、ただならぬ緊張と警戒の下で進められていることはスタッフであれば誰でも気付いているだろう。
入口担当の気迫が、あかねを後押しする。
まるで『外は任せろ。中は任せた』と言ってくれているようだ。
「入口担当の方があれほど頑張っていらっしゃるんですもの。わたくしたちも頑張らないといけませんわ」
「そうですね。今日の偽壁も大変そうですけど、きっとあかね様の力で乗り切れます」
「わたくしの力だけではありませんわ」
若手の気持ちが、ベテランの経験が、責任者の判断が。
すべてが揃ってこそ、コミマが動く。
「Chikiさんも、頼りにしていますわ」
「はい!」
ふたりでやぐら橋の階段を上る。
その先に、準スタッフが受付を待っている行列があった。
ぱっと見て100人は超えている。
いつか小竹が『民兵』という言葉を使っていたのを思い出す。
今日のこれはさしずめ『徴兵』だろうか。
「……え、これって」
「手荷物確認は、準スタッフの方にお手伝いいただくようですわ」
「こんなに……」
予想外の光景に、Chikiが目を白黒させている。
一応昨日の夜の時点でブロック員には知らせてはいたが、準スタッフを使うとまでは思っていなかったのだろう。
実際あかねもこの有明に着いてから知ったことだ。
「確かに時間がかかってしまうと大変ですもんね。入口担当だけじゃ無理なのは分かるけど……一般参加者の反発も凄そう」
「でも、必要なことですわ」
十万人単位の参加者の手荷物検査。
危険因子を取り除くためには、非常に有効な手段だろう。
だが、スタッフに文句を言っている参加者もいるようだ。
「でもこれじゃあ、スタッフが悪役になっちゃいます」
「そうかしら。入口担当の方は、警察からの指示と言っていらしたわね」
スタッフは『警察からの指示』一点張りで切り抜けられる。
普段のスタッフからの『お願い』とはレベルが違う。ごねて素通りしようにも、今回はあちらこちらに警察の姿が見える。
その警察に直接苦言を呈している参加者もいるようだ。
もしかして、警察が悪役を買って出てくれたのかもしれない。
「それに、スタッフは正義でも悪でもなくてよ」
もちろん法律は守る。だが、それだけだ。
その範囲の中で使命を全うした時、見方によっては善とも悪とも言えない。
「ただ、コミマの継続を求めるのみ、ですわ」
その時、携帯が震えた。
雀田からの『もうすぐ到着する』という連絡だった。
思った以上に早い。
あかねの衣装を車のトランクに乗せて、この有明まで持って来てくれた。
そう、今日のコスプレ衣装を。
「それに、今日のわたくしたちはまさに『悪役』ですわ」
「あっ、そうでしたね」
Chikiが自分のキャリーケースに目をやる。
色々と思うところはあったが、あかねたっての希望に沿いたいと思った。
そのあかねは、真剣な表情で準スタッフの列を見つめている。
「……あかね様、少し緊張されていますか」
「そう、ですわね」
Chikiに声をかけられて初めて、少し力が抜けたように見える。
だがどこか強張った表情が、いつも通りにまだ遠いことを示している。
「Chikiさんに心配をかけてしまうようでは、いけませんわね」
「そ、そんなことないです!」
Chikiは慌てて首を振る。
心配していたのは事実だが、それがいけないということはない。
むしろ、出会った頃を思い出す。
ハッとしたChikiが、ごそごそと荷物を探る。
「そうだ。ちょっとお待ちください……ああ、端に寄りましょう。人が通ります」
言われるまま端に寄る。
あかねは早くゲートを通って更衣室へ行かなくてはいけないと思っているが、そんなことはChikiも承知のはずだ。
次々にスタッフがゲートを通ってエントランスホールへと吸い込まれていく。
「こちら、どうぞ!」
「これは……」
差し出されたのは、水筒のコップに注がれた一杯のお茶。
特徴的な香りは、忘れるはずもない。
「はい、カモミールティーです。家でいれて持ってきました」
「そうですの……あら」
あの時は温かかったが、今日は夏コミということもあって冷やしているようだ。
それなのにこれほど香りがするということは……
ひと口。
「ふふっ」
思った通り、濃い。
通常では考えられないほどの濃さ。
温度こそ違うが、あの時を思い出す。
「あかね様、少しお茶の時間にしましょう。集合まではまだ時間があります」
用意の良いChikiは紙コップに自分の分のアイスカモミールティーを注ぐ。
蒸し暑い空気の中で飲むそれは、格別の味がした。
多くの人々が忙しく行き交い、熱気と湿気が立ち込めるメインエントランスの一角。
場違いなほど優雅なティータイムを楽しむふたりの姿があった。




