第141話 2日目 悪役になりますわ
閉会後作業が早めに終えられたからだろうか。
ホール本部ではいつもより人が少なく見えた。
この後コミ印チェックをする人員は車両の誘導に出ているようだ。
これまで閉会後の時間はとてもリラックスした空気になっていたが、今日はどこか緊張の糸が張っている。
公式に伝えられていないが、非常事態であることを肌で感じているのだろう。
冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出したところで、後ろから声をかけられた。
「あっ、ず、瑞光寺さん」
「藤崎さん、ごきげんよう」
「ごっ、おっ、お疲れ様、です……」
藤崎は地区本部から出てきたようだ。ということは、ホール長ミーティングが終わったのだろうか。
「先ほど、東2ホールのスタッフが赤い紐の準スタッフと協力して不審物を見つけられたと聞きましたわ」
「あっ、はっ、そうです。よく、ご存知で」
東2ホール長補佐の藤崎は当然聞き及んでいたのだろう。目を丸くしてあかねのことを見た。
相変わらず前髪はあかねからもらった髪留めでまとめている。
向かいのホールとはいえ、なかなか顔を合わせる機会が無い。
先程東2ホールに行ったときは忙しそうに作業をしていた。開場時間中……とりわけ今回はさらに忙しいことだろう。
「とても頑張っていらっしゃるのですね」
そう言って藤崎に笑顔を向ける。
「ひえっ」
小さな悲鳴を上げて、藤崎が目を逸らす。
顔が赤いように見えるが、大丈夫だろうか。
「あの、いえ……あの紐、瑞光寺さんの考えだと、聞きました」
「あら。確かにアイデア出しはしたような気がしますが、実現できたのは他の方たちのお力ですわ」
「アイデアでも、凄いです……」
「まあ。ありがとうございます」
実際、あかねは江口橋とのチャットでアイデアを話したに過ぎない。
それを江口橋が拾い上げ、恐らくホール長の和泉や地区長の山城、館内統括の播磨らに話をしてくれたのだろう。
実現してくれたのはその人たちだと、あかねは思っている。
「2ホールも……いえ。123ももっと良くなるように、頑張ります」
「それは頼もしいですわね」
「きっと、僕らが不甲斐ないから……明日の456に混雑するサークルを集中させてしまって」
「それは違いますわ。単純にスペースが大きく取れただけのこと」
あかねはトラックヤード側のシャッターから見える外の景色に目をやる。
まだ明るい夏コミの空は、昨日の嵐が嘘のように静かに晴れている。
明日の天気予報は、どうだっただろう。
たくさんの人を、避難させなければならないのだろうか。
「物理的な空間がありますもの。こちらに人が集まるよう配置されているのは道理というものですわ」
「そう、でしょうか」
「ええ。明日は……」
また『命に代えても』と口にしそうになるが、君堂にたしなめれたことを思い出す。
「明日は、何があっても……いえ、何も起こさせませんわ」
「そうですね。が、頑張りましょう」
遠慮がちだが、声に芯がある。
その様子に、藤崎も大きく成長したのだと感じさせた。
東2ホールも、以前よりは良いホールになっているようだ。
※
雀田しのぶは車両誘導を任されたものの、ベテランの保谷と朝日に比べて自分の視界がまだ狭いことを実感していた。
車両搬入のピークは過ぎ、たまにホールから出る車両がいたらシャッター外の搬入部に引き継ぐ程度だ。
女である自分を気遣ってか、朝日が『休憩しても良いですよ』と声をかけてくれる。
体力的にまだ余裕があるし、コミ印チェックにはまだ時間がある。
どうしたものかと考えていると、見知った副ブロック長が近づいてきた。
「お疲れ様です、瑞光寺さん」
「雀田さんはまだ車両誘導かしら」
「いえ、ひと段落ついたところです」
「少し外を見ませんこと」
「お供します」
車両に気をつけながら、トラックヤードへと出る。
車両誘導のための搬入部のスタッフと警察官の姿が目立つ。
当然だが今はすっかり歩行者天国も解除され、道路へのゲートも閉じられ通常の広さのトラックヤードになっている。
雀田は昼間の巨大みなし館内運用は少ししか見ていない。
一般参加者が楽しそうにその様子を口にしていたので、彼らにとっても面白い体験だったようだ。
外のエリアを見渡すお嬢様に、閉会後の開放的な雰囲気は全く感じられない。
逆に緊張感を持ってこの場所に立っているように見える。こんな調子で明日まで持つのだろうかと心配になる。
お嬢様の目には、何が見えているのだろうか。
一陣の風が吹きつけ、目を細める。
すると後ろから女性の声がした。
「アラ、また会ッタね」
「メイニュイ、ごきげんよう」
外国人らしい訛りだが、お嬢様の知り合いらしい。
雀田は頭を下げて一歩下がる。
「疲れアル?」
「ええ、少し」
「また悪者ト戦うカ?」
「そうですのよ。わたくし、このイベントを守るためにおりますの」
ビッグサイトの関係者らしいパスをぶら下げているが、恐らく清掃員といったところだ。
スタッフでもなければ搬入員でもない。そんな人と気さくに話すお嬢様はやはりただ者ではない。
「……」
メイニュイと呼ばれた女性は、じっとお嬢様を見ている。
品定めをしているような、何かを考えている表情。ふたりの関係はよく分からない。
「どうかなさいまして?」
「……イヤ」
お嬢様もじっと見返す。
また少し強い風が吹きつけ、お嬢様が口を開いた。
「メイニュイも、このイベントを守ってくださる?」
知り合いだというのに、緊張感を保ったまま。
意外な言葉だったのだろうか。女性の顔も強張ったように見える。
「私カ?」
「ええ。以前おっしゃいましたわ。このイベントがお好きだと」
「それは給料イイから」
「いいえ。それだけではありませんでしたわ」
お嬢様の落ち着いた声が、夏の夕暮れのトラックヤードに溶ける。
遠くでトラックのエンジン音と搬入部の誘導の声がする。
台車を転がす音、スタッフと警察の談笑。そして外の車道の車の音。
それらの合間を縫うように、お嬢様がすっと息を吸う音が聞こえた。
「……わたくしは、メイニュイがどのような役目を負っているのかは存じません」
核心だったのだろう。
女性の、息を呑む音が聞こえてきた。
雀田はなるべく気配を殺し、見守ることに徹する。
「こうして、わたくしと言葉を交わすことが許されているのかどうかも」
雀田には言葉の意味が理解できなかった。
だがお嬢様の緊張した声の中に、間違いなく相手を慈しむ響きを感じた。
「でも、ここは自由ですもの。そうでしょう?」
静かに、相手の言葉を待つ。
不思議なほど搬入の車両が無い時間。
ホール内は明日に向けての準備が進められている中、トラックヤードの時間だけが停止しているようだった。
どれくらいの時間が流れただろうか。
「……ソウ。自由ネ」
不意に表情が崩れた。
笑みを浮かべているが、それは自嘲しているようにもどこか悲しそうにも見えた。
「私ガ誰と何話スも、自由ネ」
一歩、女性がお嬢様へと近づく。
害意は無いように見えるが、雀田はいつでも踏み出せるよう半歩足を引いて構えた。
気配を察したのか、お嬢様が手のひらをそっとこちらに向ける。
「……明日の13時、私はお姉サンにココから逃げてテ欲しい思テル」
思ってもみない言葉だった。
具体的な時間。
逃げていてほしい。
それが意味することは、雀田にもすぐ理解できた。
心中は大いに動揺する雀田だったが、かろうじて声を出さずお嬢様を見る。
泰然としているお嬢様は、その長髪を風に踊らせる。
「わたくしは、逃げませんわ。スタッフですもの」
女性は小さく「ソウネ」と答えると、くるりと背を向けて去って行った。
お嬢様はその背中が見えなくなるまで、ずっとその場所から彼女を見ていた。
※
矢原が詰めている地区本部の一角。
ただでさえ暑い夏コミで、膨大な熱を出し続ける相棒……大型コンピュータ。
その大型コンピュータを気遣いながらも散々にこき使った矢原は、小竹研究室の学生との意見交換を終えてひと息ついていた。
相棒はメーカー技術者(東3のスタッフらしい)のメンテナンスを受けていて、今は特にやれることがない。
「さあ、どうするかな……」
先程、非常に重要と思われる情報を拾ったが、上げるべき相手が席を外している。
誰かに話したい気持ちはあるが、雑に広めるべきでもない。
座ったままでストレッチをして体をほぐしていると、場違いなほどの美人が現れた。
「矢原さん、ごきげんよう」
「ああ、瑞光寺さん」
その後ろには前回同じブロックを担当した江口橋が控えている。
「お元気そうですわね」
「おかげさまで」
「……で、どうしたの? そこで怖い顔してる江口橋さんと関係が?」
「ああ。瑞光寺さんが重要な情報を掴んだ」
「へえ……」
目の前に立つ美人をまじまじと見上げる。
わざわざ地区本部に来たということは、明日に関係していることだろう。
矢原が目で促すと、瑞光寺が口を開いた。
「明日の13時」
「ほらやっぱりだ!」
底が知れないとは思っていたが、まさか同じ答えにたどり着くとは!
矢原は思わず立ち上がる。
面白い。面白い! 思わず笑いがこみ上げる。
「俺も同じ情報を掴んだんだ」
あまり言えない方法で『13時』が何らかの決行時間だと突き止めた。
だが、目の前の美人は一体どうやって掴んだのか。
「さすがですわ、矢原さん」
少し驚いた表情を見せ、矢原のことを称賛する。
そんなことより、瑞光寺がどうやってこの情報にたどり着いたのか知りたくて仕方がなかった。
分かりやすい表情をしていたのか、江口橋がフォローする。
「瑞光寺さんは奴らの一員から手に入れた情報だそうだ」
「それはすごいな……吐かせたのか」
「いえ。結果的に教えてもらったと申しますか……」
「どういうことだ?」
それは、矢原が理解できない方法だった。
ビッグサイトの職員と仲良くなっていて、実はその職員が奴らの一味だった?
それで機密情報ともいうべき「決行時間」を教えてくれた?
捕まえて締めあげたと言われた方がまだ信じられる。
「矢原の方は非合法な……」
「技術的な実地検証の副産物だ」
「……だそうだ」
失礼な物言いの江口橋に、途中で訂正を入れる。
しかし結果的に、別ルートから同じ時間情報が得られたと見ていい。
それぞれがダミーの情報という可能性も捨てられないが、今の時点で播磨たちに共有しておく価値はある。
これで勝ちが見えてきた。
戦略は偉い人たちが一晩で考えることになるだろうが、そこまでは知らない。
今日はよく寝て、明日の朝から全力で監視するだけだ。
「ところで、矢原さんはどうやってこのような知識を」
自分のことを聞かれると思っていなかった矢原は、数秒ほど考えた。
正確には思い出していた。
遥か昔、この場所で見た無限の可能性と底知れない知識の集まり。
その上澄みを掬い上げた部分、あるいは沈殿物を押し固めたもの。
形容はしがたいが、それらが今の自分を形作っていることは間違いなかった。
「同人誌で読んだんでね」
家の本棚に今も刺さっている、もうボロボロになった技術系同人誌たち。
あれが自分の人生を決定づけたといっていい。
いくつものサークルはいつの間にか姿を消したが、その思いと知識は自分の中に息づいている。
「コミマで得た知識で行われる、正当防衛というわけだ」
「そういうのは正当防衛と言っていいのか?」
「法的なところは判断いたしかねますが、コミマが救われるのでしたら」
江口橋はどこまでも無粋だ。
だが隣の美女はこちら側らしい。
思わずニヤリと笑う矢原。
「ああ、正当な防衛だとも」
「悪役みたいな顔になってるぞ」
「悪役でも構わんさ。へへへ」
これが笑わずにいられるか。
善悪など立場の話でしかない。
ならばコミマの敵にとっての悪にでもなってやる。
「悪役……」
そしてそれもまた、目の前の美女に響いたらしい。
口元に妖艶な笑みを浮かべる様は、どこかで見た悪役そのものだ。
「わたくしも、悪役になりますわ」
「悪役?」
「ええ、敵に立ちはだかる、悪役に」
地区本部の一角で怪しく笑い合うふたり。
その様子を、若干引いた表情で江口橋が見ていた。




