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同人誌即売会と悪役顔令嬢  作者: 狐坂いづみ
C100夏編
156/171

第140話 2日目 明日に備えて

『これにて、コミックマート100夏、2日目を終了いたします。お疲れ様でした!』


 昨日とは比べ物にならないほどの拍手が巻き起こる。

 何人かのスタッフは天を仰ぎ、息をつく。

 まだ通過点に過ぎないが、達成感は確かに感じられた。

 

 あかねはノブロックの近くで呆けている倉敷を見つけて声をかけた。

 

「倉敷さん、ごきげんよう」

「ああ、瑞光寺さん……お疲れ様」

 

 笑って見せる倉敷だが、保谷の言う通り疲れが濃い。

 今日は見通しよりも混雑が多かった。それに暑さもある。

 ベテランのサポートを受けられたとはいえ責任者の重圧も要因としてあるだろう。

 

「少しお疲れのようですわね」

「うう……ん、そうかも」


 一瞬誤魔化そうとするが、すぐに正直にうなずいた。

 

「さすがに混雑対応しながら不審物に目を光らせるのは大変かも」

「まだ明日がありますわ」

「そうだね。最終日がピークだもんね」


 サークルの配置を考えると、確実に今日より明日の方が混雑する予想だ。

 今日と同じようにシブロックがみなし館内を最大限に活用しても、結局偽壁の混雑は自分たちで捌かなければならない。


「赤い紐の仲間もおりますわ。もう少し気を楽に」

「うん……」


 油断して良いというわけではない。だが、ずっと気を張っていても最後まで持たない。

 倉敷は大きく深呼吸をすると、遠く東4ホールの方へ目を向けた。


「私ね、自分でイベントを開いてみて改めて分かったんだけど……作るのは本当に大変で、壊すのなんて簡単なんだなって」


 主催をしたことのないあかねには分からない。

 だが、言いたいことはよく分かる。

 何かを守ることは、基本的に不利なのだ。

 

「川崎で自転車が置かれていたでしょう? あれは結果的によそのイベントの参加者だったけど、もしあれが自分のイベントの参加者で、しかも何人もいて指示に従わなかったりしたら……あのイベントは失敗していたと思う」


 最悪の想像だが、無いとも言い切れない。

 誰もが自由に参加できるというのはそういう側面もある。

 

「もし、悪意のある誰かが本気でイベントを潰そうと思ったら、簡単。犯罪にならないようなつまらない嫌がらせを続けて主催者を消耗させて、一気に事件を起こせばもう再起不能になる」

「倉敷さん……」

「だから今、私は……今のコミマがそうなんだって、そう思ってる」


 確信を持った目で、あかねのことを見る。

 元々頭の良い彼女がその結論にたどり着いても、何ら意外に思わなかった。

 

「私はブロック長でもないし、上の人とも話したこともないから分からないけど、今回の体制はそういうことなんだよね?」


 赤い紐の準スタッフ、警察、緊急車両、巨大みなし館内、仮貸し出し人員……すべてが異例の対応で、節目の祭りだからでは到底説明しきれない。緊急事態だと考えればそれらすべてに筋が通る。

 

「はい。その通りですわ」

 

 返事を期待していなかったのか、目を丸くする倉敷。

 数秒の後、ぷっと吹き出した。


「ふふ、あはっ!」


 何事かと周囲の参加者が一瞬目を向けるが、特に気にされた様子はない。

 サークルは撤収作業に戻り、スタッフはゴミ拾いと少し早いがおはよう紙の準備を始めている。


「言って良かったのかな、それ?」

「仲間に隠す意味はありませんもの。倉敷さんだからですわ」

「ありがと。うん、無秩序に広める話でもないよね」

「ええ」


 これほど疲労しながら、そこまで考えている。

 あかねは倉敷の冷静さに感心する。


「あんな小さなイベントを開くだけでもとっても大変だった。これだけ大きなイベントを継続して維持するって途方もない労力だなって」

「だから、これだけスタッフがいるのではないですか」

「うん……そうだね」


 三千人のスタッフ。そして今回は、万に近いであろう準スタッフもいる。

 善意のサークル参加者もいるし、一般参加者も赤い紐が無くても協力者は現れるだろう。

 多くのオタクは善を抱えていて、コミマ会場ではそれがさらに増す。

 一部失礼な参加者もいるにはいるが、君堂の言う通り「鉄アレイで殴れば死ぬ」のだ。

 そう言った君堂は今ネブロックのゴミ拾いをしている姿が見える。


「でも、無理は禁物ですわよ」

「えっ」

「倉敷さん、明らかに無理をなさっています。今日は早めに帰ってお休みくださいませ」

「で、でも」


 素直にうなずかない倉敷。だがここは休んでもらいたい。

 もしかして、初めてのコミマC96夏であかねを諭した江口橋はこんな気持ちだったのだろうか。

 

「ふふっ」

「えっ?」


 急に笑みを見せたあかねに、倉敷が不思議そうな顔を向ける。

 

「わたくしも、江口橋さんに同じことを言われたことがありましたの。それを思い出して」

「え、そうなんだ」


 あのふたりがいてくれたから、ここまで来られた。

 そして目の前の倉敷も、初めて出会ってから共に成長してここにいる。


「明日が、一番大変ですわ」


 まだ今日が終わったわけではない。

 だがこれ以上倉敷を動かすと、明日に支障が出ることは明らかだ。

 

「その時、万全の倉敷さんにご協力いただきたいのです」

「……うん、分かった」


 真剣な気持ちが伝わったのだろう。倉敷は神妙にうなずいて答えた。




 先行しておはよう紙に着手していたこともあり、閉会後の作業はかなり圧縮された。

 コミ印チェックはかなり念入りに実施する予定だが、ネノブロックからは体力に自信がある雀田、体の丈夫さは誰にも負けないという保谷、近くのホテルに泊まるという朝日が手を挙げてくれた。

 疲労の色が濃かった倉敷、児島、Chikiは早く帰らせ、昨日居残った格闘ゲームの四人組も明日に備えて早めに撤収してもらった。


 残ったネノブロックは江口橋と君堂。

 C96夏のUVブロックを思い出す。

 

「それじゃあ巡回しよっか」

「ああ」

「そうですわね」


 今本部には仕事はない。

 三人で今回担当するネノブロックを見て回る時間はありそうだ。

 撤収が長引いて残っているサークルは片手にも満たない。

 少し早いがチラシ撒きも始まっており、手搬入で置かれた明日の荷物もちらほら見える。


 あかねは周囲を確認してから、少し声を下げてふたりに聞いた。

 

「夫婦水入らずでなくともよろしかったのかしら」

「いやいやいや。ねえ?」

「……」


 君堂は嬉しそうに笑い、江口橋は口を開かず遠くを見つめている。

 公表していないということは、誰からも聞かれていないのだろう。

 まだ慣れていないのか君堂の挙動も若干怪しい。

 笑いながら江口橋の背中を何度か叩いている。


「ねえねえ、何照れてるのさ!」

「あのな……」


 江口橋が「勘弁してくれ」と目で訴える。

 最初はとっつきにくい印象だったが、今ではすっかりそんなことは無くなった。

 初対面は二年前。たった二年だ。

 このスタッフ参加という苦難を共にするだけで、これほどまでに絆が深まるとは思ってもみなかった。

 

「今日の予定はブロック長ミーティングだけでしたかしら」

「ああ。まだ始まりそうにない。地区本部でのホール長ミーティングが長引いてるんだろう」

「ということは……」

「ああ」


 大きな決断があった、とみていいだろう。

 ブロック長、副ブロック長には前もって「可能性」として伝えられていた緊急体制。

 明日の3日目に、抜き打ちで実施するつもりなのだろう。

 

「え、何?」

「明日分かる」


 何も聞かされていない君堂が首をかしげる。

 一応今日の時点では知らせないことになっていたが……

 勘の良い君堂は思い当たることがあるらしい。

 

「もしかして『仮貸し出しA』のこと?」

「……ああ、恐らくな」

「はあー、あれかあ」

 

 君堂には話したのだろうか。

 基本的にブロック長、副ブロック長、一部の本部スタッフにしか知らされていないはずだが。

 

「江口橋さん」

「ああ、いや。こっちから話したわけじゃない」

「あっ、あたしが勝手にウェブ会議を聞いちゃったの。狭い家だからね」


 じっと見るあかねに、慌てて弁明するふたり。

 そんなふたりを不思議そうに眺めながら、あかねは口を開いた。

 

「もう一緒に暮らしていらっしゃるのね」

「そこかー」


 君堂は大げさに天を仰ぐと、心底可笑しそうに笑う。

 何と江口橋の方も口元を緩めて笑みを浮かべている。

 これが夫婦というものだろうか。


 

 二周ほどしたところで、場内が騒がしくなってきた。

 車両での搬入が始まったらしい。

 

「サークルさんの撤収が早いから、搬入も前倒ししたのかな。もう車両が入って来た」

 

 君堂の言う通り、予定の時間よりも早い。

 コミ印チェックの時間を確保するためだろうか。

 コミマの準備会は大きな組織にもかかわらず、こういう柔軟性がある。

 

「いったん本部に戻ろうか。そろそろホール長ミーティング終わってるかもしれないし」

「そうですわね」


 すべてが前倒しで進んでいる。

 明日への疲れを最小限に抑えるためだろう。

 

「江口橋さん、君堂さん」

 

 ふたりがこちらを向く。

 あかねは、明日の為にここまで来た。

 

「明日は、命に代えても守り抜きますわ」

「本当に命に代えられると困るけど、その意気で頑張ろうね」

「頼りにしているが、瑞光寺さんも俺たちを頼りにしてくれ」


 若手もベテランもなく、頼り合い協力しあってイベントを作り上げている。

 それを教えてくれたのは目の前にいるこのふたりだ。

 

「承知いたしましたわ」


 あかねは優雅に膝を折り、ふたりに頭を下げた。

ブックマーク本当にありがとうございます。もう少しお付き合いください!

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