第139話 2日目 熱さと暑さ
東2ホールに来た目的はもうひとつあった。
それほど迷うことなく東3ホール側へと移動すると、目当てのふたりを見つけて声をかける。
「シバイヌさん、七太さん、ごきげんよう」
「AKANEさん、こんにちは。お疲れ様です」
「お、お疲れ様です」
サークル『SA大明神』ともすっかり見知った仲だ。
特に絵描きのシバイヌとは偶然顔を合わせる機会も多かった。
「シバイヌさんが表紙をお描きになった本、買いましたわ」
「えっ、本当に? ありがとうございます」
最近商業レーベルで出た青少年向けの新書小説。
その表紙イラストをシバイヌが手掛けたことをSNS経由で知ったあかねは、近くの本屋で予約して購入した。
同人イベントがきっかけで知り合った人の商業出版本を手に取るのは思いのほか楽しい。
「迫力があって、描き込みが細かくて、目を見張りましたわ」
「あー、ファンタジーはからっきしで自信なかったんです。七太が参考資料をたくさん貸してくれて」
「ただの布教だよ」
隣でぶっきらぼうに言う七太。どうやら照れ隠しのようだ。
熱量が感じられるイラストは、ふたりがかりの仕事だったからかもしれない。
「実は合作ですのね」
「一応奥付にクレジットしてもらってます」
気持ち背筋を伸ばして、七太があかねに言う。
シバイヌはそうでもないが、七太には若干の緊張が見えた。
スタッフと話すという状況に慣れていないのかもしれない。
「俺が無理言ってお願いしたんですよ」
「そうでしたの。帰ったら確認いたしますわ」
奥付までは見ていなかった。
どういったクレジットがされているのか楽しみだ。
「七太さんも、お元気そうですわね」
「ええ。スタッフさんも。何度かシバイヌから『あの時のスタッフさんに会った』って話は聞いてたんですが……ご無沙汰してます」
丁寧に頭を下げる七太。
そして、ふたりとも赤い紐を手首につけている。
「ご協力いただけてとても嬉しいですわ」
「直接声をかけられたら、協力しないわけにはいかないですよ」
シバイヌは目を細めてホールを見渡した。
熱気あふれる節目の夏コミは、2日目にも関わらず参加者が多い。
祭りのような騒がしさを味わうように息を吸う。
「俺もシバイヌも、この場所が好きですしね」
「できることは何でも協力しますよ」
「だな」
屈託なく笑い合いふたり。
初めて出会った時は険悪な雰囲気だったことを思うと感慨深い。
「おふたりが揃ってC100夏に参加なさるなんて」
ふたりの間には色々あったのだろうが、今この場所で時間を共有できていることは素直に嬉しかった。
「素晴らしいですわ」
あかねが笑う。
それは『SA大明神』のふたりの胸を大いに打ち、一瞬呼吸を忘れさせた。
「うわ……」
「おう……」
辛うじて絞り出した声は言葉にならず、改めて目の前のスタッフが有名なコスプレイヤーであることを思い出した。
昨日の女性向けゲーム『刀心都市』の敵キャラのコスプレは、会場へと足を運べなかったコミマのファンによって大いに拡散された。
同人世界の中でも有名人と言っていい。
そんな彼女が自分たちのことを気にかけてくれるというのが、未だに飲み込めていないシバイヌだった。
「『ブライトンの砂』さんとはその後いかがなさっていますの」
「Reikaさん達とは合同本を出しますよ。Keigoさんも挑戦するみたいで、来年夏……だからC102夏にやろうって」
「来年夏……」
彼らは、先のことを見据えている。
平安文学サークル『静海の宴』と同じように、この夏コミが平穏に終わってまたこのイベントが連綿と続くと信じている。
「まあまずは今回だな」
「だな」
そう言いながら、お互いに手首に巻いた紐を胸に掲げて見せる。
彼らの持つ七桁の数字は、もちろんあかねのものだ。
「ええ。その通りですわ」
彼らは、危機が迫っている状況を認識してくれている。
その上で、それをどうにかするために協力する表明をしてくれている。
先程スタッフと赤い紐の準スタッフが共同で不審物を発見したことも聞いた。
たくさんの人の協力がある。
決して油断はできないが、何とか乗り越えられそうな気がしていた。
東5ホールに戻ったあかねを最初に迎えたのは、意外なことに神崎だった。
ガレリア側の外周通路に面したトイレの近く。
少し前まで人の流れが激しかったようだが、今はかなり落ち着いてきている。
そのせいか少し暑さも和らいだように感じる。まだまだ蒸し暑いのだが。
ちなみに安威は少し後ろをずっとついて回っているはずだが、先程のように傷病者の対応をしていることもあるようだ。準スタッフとして大活躍である。
「お嬢様」
「神崎、状況は」
「問題はありません。見ている限り不審物もないようです」
「そう。ありがとう。この後はまた搬入でしたわね」
「はい。ですので閉会と同時に456を離れます」
「ええ。構いませんわ」
今回もいつも通り西地区の荷物を搬入するらしい。仕事熱心で感心だ。
好きな人と一緒に何か作業をするのはどういう心境になるのか想像しかできない。
いつもより頑張れるのだろうか。
ネノブロックに戻ろうかと顔を上げると、体格のいい男がこちらを見て頭を下げた。
「瑞光寺さん、お疲れ様です」
「保谷さん、ごきげんよう。トラックヤード側はいかがかしら」
「順調ですとも。ただ、ガレリア側の倉敷さんが少しお疲れのようです。少し長めに休んでもらうべきかと」
「なるほど、承知いたしましたわ」
重要な報告だ。
コミマというお祭りの雰囲気の中、自分の体調を見誤ることは多いと聞く。
まだ明日も残っている以上、今日無理をしてほしくはなかった。
「ところで」
「はい?」
保谷は体の向きを変え、神崎と正対した。
身長は神崎の方がやや小さいが、肩幅は負けていない。
夏の薄着は、ふたりのよく鍛えられた体のラインを主張する。
「神崎さんはいつスタッフ登録されるのですか」
「はい?」
神崎が全く同じ声で聞き返した。
「あら。初耳ですわ」
「ははは、ご冗談を。以前お伝えしたはずですよ。神崎さんの筋肉を生かせる場所があると。それに、私にも搬入作業のバイトを紹介していただくと」
「ああ……え? そう言いましたっけ」
保谷の勢いに若干引いている神崎。
似たようなことを話したかもしれないが、少々盛りすぎである。
「いえ、そこまでは言っておりませんでしたわ」
「ですよね……」
「伝わるでしょう! それほどの筋肉があるのですから」
自信満々だ。
あかねは筋肉業界のことをよく知らないが、一応神崎に確認してみる。
「そうなのですか?」
「いえ……そこまでは」
「そんな。しっかりしてください」
「と言われても」
「保谷さん、あまり神崎を困らせないでくださいまし。それにここでは目立ちますわ。せめて閉会後に……は搬入でしたわね」
あかねに注意された保谷は、ハッと驚いた顔をすると居住まいを正した。
「失礼いたしました。もうひと息頑張りましょう。そして神崎さん、この夏コミを無事に終えられたら、次の選択肢に目を向けてみてください」
「え、ええ……」
戸惑う神崎に右手を差し出す保谷。
気圧された神崎がその手を取ると、保谷は満足そうにうなずいた。
「こうして自分に新しい希望を抱かせることで、不思議な力で筋肉が動くのですよ」
「ああ、それは分かる気がします」
「……」
全く理解できないが、最後には通じ合ったようだ。
神崎がスタッフ登録することは無いような気がするが、ひとまずこの外周通路でのよく分からない会話は切り上げられたようだ。
「なんだか暑苦しい……」
「あら雀田さん」
雀田が怪訝な表情で神崎と保谷を見ながら現れた。
暑苦しい原因は夏コミの熱気ではなさそうだ。
「江口橋さんが明日のことでシブロックと打ち合わせをするそうで、おじょ……瑞光寺さんに定点について欲しいそうです」
「承知いたしましたわ。無線で知らせてくださればよろしいのに」
「近かったものですから」
確かに無線ではこのホールの全員に連絡してしまう。
近くにいるのなら直接声をかける方が合理的だ。
「それでは、残りの時間もしっかり見て回ってくださいませ」
「「「はい」」」
保谷、神崎、雀田の声が綺麗に重なった。
閉会まで、もうひと息。
これまでも閉会前に狙われることが多かった。これから一層巡回を強化しなければならない。
まだまだ心が休まりそうになかった。




