第137話 2日目 不審物対応の顛末
「あー、これは不審物だな……こちらの持ち主の方いらっしゃいますかー?」
あっさり断言し周囲に呼びかける桐宮をちらりと見たあかね。
妙に大げさな表現に見えたが、それはふたりに追いついた発見者の男性に聞かせるためだったのかもしれない。
ベンチに置かれたままのカバン。
周囲に持ち主らしき人影はなく、明らかに放置されたものだと分かる。
「ご協力、ありがとうございます。今無線で応援を呼んでいますので」
「あっ、はい!」
桐宮は再び無線で連絡を入れると、男性の名前を聞き取った。
これで1ポイントということらしい。
一般参加者がこのコミマで、不審物を2回見つける……つまり2ポイント貯めると、次回のコミマで優先的に入場できる「通行証」が与えられるらしい。
ちなみにサークル参加者の場合は必ず当選する「青封筒」がその代わりになる。
いずれも、参加者からすれば喉から手が出るほど欲しいものだ。
『さすがに……やりすぎではありませんこと』
『まあな。だが今回を無事に終えられなければ、次回がないからな』
『一体何人の方に通行証をお渡しすることになりますかしら』
『100回記念だ。大抵のことは許される。それに、瑞光寺さんの発案だろう』
江口橋との会話を思い出す。
確かに、何か景品で協力を引き出す提案をしたのはあかね自身なのだが。
考え込んでいたその時、後ろから男の野太い声がした。
「泥棒!」
「は?」
男は桐宮の肩を引っ張り、カバンに手をかけた。
そのまま力づくで持ち去ろうとする。
「ちょっとなんだよ、あんた」
発見者の男性がカバンに手をかけ、それを阻止。
さらに桐宮も加勢して、三人でにらみ合うような形になった。
「返せ泥棒!」
「おいおい、怒鳴るなよ。というか『泥棒』ってなんだよ」
力を入れながら、笑って余裕を見せる桐宮。
とはいえ、発見者の男性も桐宮も体格は標準にやや不足。対して声を上げた男は非常にふくよかな体形をしていた。
ふたりがかりでも負けてしまう可能性がある。
あかねは努めて冷静に携帯を取り出し耳に当てた。
「安威、今どこかしら」
『傷病者の搬送をお手伝いしており、東4に』
「……そう。感謝します。そのまま業務にあたりなさい」
『いかがなさいま……』
安威との通話を途中で打ち切る。
タイミングが悪い。他の誰かに助けを求めるしかない。
「これは、ここに俺が置いてた荷物なんだよ!」
「証明できるの?」
「はあ? なんでそんなもんが必要なんだよ!」
カバンを離さない桐宮の額に、汗が浮かぶ。
もっとも、相手の男も汗だくなのだが。
「あのね、お兄さん。今準備会で不審物対応を強化してるの知ってるよね」
「知らねえよ!」
「何回もアナウンスしてるけど……聞いてもらえてないってこと?」
「不審物なんて俺に関係ねえだろ!」
あかねは内心ため息をついた。
どうも本心らしい。
いくら呼びかけたところで、こういう参加者は一定数いる。
気付くと、男の大きな声で注目を集めたせいか数人の参加者が遠巻きにこちらを見ていた。
良く見れば右手に赤い紐を巻いている人も数人いる。
その中の何人かが、わざと聞こえるように声を上げた。
「いやいや、ここで不審物作りだしちゃってんじゃん」
「マジで客観的に見れない人か」
「うるせえな!」
「一番うるせーのはお前だし」
名も知らぬ一般参加者が、男を口々に煽る。
彼らはスタッフではない分、容赦がない。
「ぶっ殺すぞ!」
「わー、逆ギレこっわ」
「スタッフさん、他のスタッフの人とか呼んできますか?」
「あー、その必要は……」
そう言って一瞬視線を外した桐宮に向かって、男は引っ張っていたのを逆に押し込むようにして体を投げ出してきた。
「泥棒が!!」
「っ!」
不意に突き飛ばされよろける桐宮だったが、その目は何かを確信していた。
そして、少し下がって俯瞰していたあかねにも瞬時に理解できた。
「はいはい、ちょっとストップストップ」
「大丈夫ですか?」
そこに現れたのは、制服の警察官だった。しかもふたり。
コミマでは権限を持った職業の制服コスプレは禁止されている。
つまり、紛れもない本物の警察ということになる。
「はい、ちょっと話を聞かせてもらえるかな」
片方の警察官が男の腕をがっちり掴む。
もう片方は桐宮の方に向き合っていた。
「はっ!? あっ、警察かよ。ちょうど良かった。こいつら俺の荷物を盗もうとして……」
「うんうん。ちゃんと見てたから」
「じゃあ」
口を開こうとする男を、警察官が遮った。
まだ腕をしっかりと掴んでいる。
「見てたとも。君がこの人に暴力振るうところをね」
「は? 正当防衛だろ」
「だから、そのあたりも含めてあっちでお話聞くから」
そう話す警察官の右手首に、ちらりと赤い紐が見えた。
そういえばコミマのスタッフにも警察の関係者が何人もいたことを思い出した。
「暑くてゆだってるだけだと思うんで、ほどほどにしてあげてください」
ハンカチでさわやかに汗をぬぐう桐宮が、余裕の表情で警察官に笑いかけた。
「はっ!? んだと!?」
激高する男だったが、警察官に掴まれた腕は微動だにしない。
そう力を入れているようには見えないが、やはり本職の実力なのだろう。
「あと、客観的には荷物が放置されてたのは明らかだから、きっちり中身を見させてもらうね」
「はあっ!?」
「じゃあ行こうか」
返事を待たずして、男を無理やり歩かせる。
警察官の口調はあくまで穏やかだが、抵抗するそぶりを見せる男がそのまま連行されていく様を見るに、かなり力が強いようだ。
「くそっ、おっ、お前らのせいだぞ!」
憤怒の表情で桐宮を睨みつける。
「この負け犬どもがっ!」
男の叫び声に近い捨て台詞が、東456のトラックヤードに響く。
その陳腐な言葉選びと絵に描いたような小物感に、周囲の空気は停止し……
「ぷっ」
「ふふっ」
「ぶはっ」
耐えきれなかった誰かの息を合図にして、
「「「あははははは!」」」
暑さで湯だった頭のまま、全員で大笑いしたのだった。
しばしスタッフも一般もなく笑い合ったが、さっと笑い声が引く。
トラックヤードにほんの少しの余韻を残し、それぞれの次の場所へと向かっていった。
その急な変化に驚いたあかねだったが、何のことは無い。
コミマ2日目はまだ中盤だ。
各人に目的地があり、欲しい本があり、見たいものが残っている。
「何とも……ひとときの夢のよう、でしたわ」
コミマに集うオタクは、礼儀正しく友好的で、信念を持ち、そして情に厚いがドライだ。
今見せた一瞬の寸劇のような時間が、まさしく物語っていた。
「それにしても、いろんな方がいらっしゃいますわね」
「まあね。でも、大多数はちゃんと『仲間』だよ」
男が連れていかれた方を見ながら、ふたりが短く言葉を交わした。
桐宮と別れたあかねは、自身の受け持つネノブロックへと舞い戻った。
開場からしばらく時間が経っていることもあり、目に見えて混雑の度合いが増している。
いくら外へ行列を吸収させたと言っても、ここに目的のサークルが配置されている人はここに来る。
そして、とりわけネブロックのトラックヤード側には、人々の目的地になりえるサークルが多数配置されていた。
「おやっ、瑞光寺さん、お疲れ様です!」
激しい人の流れの中、爽やかな声が届いた。
背が高く、頭一つ出た彼は満面の笑顔を見せる
「ごきげんよう、三島さん。順調かしら」
「ええ。瑞光寺さんから任されたこのエリアを、全力で守っています」
流れている人混みで、当然押されたりぶつかったりもあるはずだが、顔を見せている三島は微動だにしない。
まるで激流から顔を出す岩のようだ。
感心したように見えるあかねの視線に気づいたのか、三島が笑う。
「鍛え方が違いますからね」
何も言っていないのだが、得意げな表情を見せる。
ともかく、自信があるのは良いことだ。
「トラックヤードは比較的空いていますわ。非常口から出すことも可能ですので、選択肢としてお持ちくださいませ」
「了解です! しかし外周の人の流れがあまり良くないので、パケットよりはそのまま列を置いてしまった方が合理的かもしれません」
周囲の状況を冷静に見ることもできているようだ。
あかねは改めて感心し、弾き続きこの場所を三島に任せる旨を伝える。
「ありがとうございます!」
なぜだかお礼を口にして、三島は列の圧縮へと消えていった。
入れ替わるようにして、江口橋が顔を出す。
「ああ、瑞光寺さん。外はどうだった」
こちらもまあまあ大柄なので人混みに埋もれることは無い。
「とても広くて余裕がありましたわ。かなり道路へ人を流しているようで、敷地内のトラックヤードはいくらでも使えそうですわね」
「なるほど。とはいえこちらもネのトラックヤード側以外はそれほど混雑はない。それに、新しくネノに来た四人の働きと戻って来た朝日と保谷で十分回せそうだ」
「では不審物チェックにも人を割り振りましょう」
「ああ、そうだな」
そう、混雑対応だけがスタッフの業務ではない。
特に今回は。
運命のコミマC100夏、2日目は順調に午後に差し掛かる。




