第135話 2日目 人生最良のコミマ
「聞いての通り、今回のシブロックはこれまでにないエリアに展開することになる。当然貸し出し人員も増えるわけだが……」
「それは事前のシフトで『仮貸し出しB』と置いた方にお願いするつもりですわ。本日は朝日さん、保谷さん、君堂さんでしたわね。正直なところ主力とも言うべき方たちとなります。痛手ではありますが、それだけ外周が大変になるとお思いくださいませ」
Chikiがその言葉を聞いてまず浮かんだのは、不安だった。
残ったメンバーが同じく固唾を飲んでいるのが分かる。
指名された三人は対照的に涼しい顔をしている。ベテランの余裕だろうか。
それぞれのブロック別ミーティングが始まったが、どこも貸し出し人員の話から入っているようだ。
「あの、残りのメンバーは……少し手薄じゃないかな」
心配そうな表情を見せる倉敷に、あかねは首を振って見せた。
「お気付きでないかもしれませんが、倉敷さん児島さんはもうかなり混雑対応に慣れておいでですわ。それに、三島さんたちは皆さましっかり声を出されていて体力もおありですもの……わたくし全く心配しておりません」
断言するあかねを呆けたように見る倉敷。
どうも自分を過小評価しているようだ。
対照的に、今日もオールバックでおでこを出している児島がにやりと笑う。
「面白くなってきた……ですよね?」
「あはは、決めゼリフ真似されてる」
江口橋に言うのを見て君堂が明るく笑う。
そんな君堂を無視して、江口橋が業務連絡を続ける。
「『仮貸し出しB』は、見本誌回収の後の午前中はずっと外周だと思ってくれ。見本誌回収は、ネノ共にガレリア側を倉敷さんが統括、児島さん、雀田さん、Chikiさん。君堂を加えて一旦回してもらう。トラックヤード側は三島さんが統括、風間さん、春日野さん、神月さん、見本誌だけ手伝ってくれるリョリョさんと探花さんがもう少しで来る。こっちは朝日と保谷が見てやってくれ。俺は本部に、瑞光寺さんは定点の予定だ。何かあったら無線で」
「承知いたしましたわ」
それを聞いた倉敷が目を丸くする。
「わ、私がガレリア側の統括ですか」
「そんなに難しくないから大丈夫。見本誌は全体の進捗を見て、人員の割り振りとかヘルプ出したりそういうの。混雑はあんまり自分で列を見ようとしないで、あくまで俯瞰してね。人手が足りなかったら定点の瑞光寺さんに言えばいいよ」
「は、はい……」
今から緊張する倉敷だが、メンバーは知り合いで固められている。上手くフォローできるだろう。
「頼りにしてますよ!」
「は、はい……」
笑いかけるChikiに、ぎこちない笑顔を返す倉敷。
ギリギリ笑顔を作れているのを見る限りは、そう心配することもなさそうだ。
一方の三島はその振る舞いから四人のまとめ役のように見えていたが、思っていた通りのようだ。
「三島さんはあまり気負っておられませんのね」
「いえ。緊張はしていますよ。ただ、大役をお任せいただるということは、それだけ瑞光寺さんのお役に立てるということです。光栄です」
「……」
Chikiが射貫くような目で三島を見ているが、あかねと雀田以外にそれに気づいてはいない。
口を開こうとした瞬間、江口橋が号令をかけた。
「よし、じゃあ朝食だな。しっかり食べて、各自見本誌回収を開始してくれ」
「「「はい!」」」
Chikiは吸った息を深めに吐いて、少し遅れてうなずいて見せた。
朝食を済ませるとサークル参加者の姿が多く見られるようになり、見本誌回収が始まった。
あかねの隣を歩くChikiの足取りは軽い。
「あかね様と見本誌回収だなんて……幸せです」
ガレリア側のサークルの出席が快調で、一時的に手伝ってほしいと倉敷からの要望があったのだ。
各自単独で見本誌回収はできそうだが、不審物チェックとの兼ね合いから基本的にふたりで組むようにしている。
結果、倉敷児島ペア、雀田君堂ペア、Chikiあかねペアで回ることになった。
「今日のノブロックは歴史と創作が中心のジャンルですし、成年向けはほとんどありませんわね」
「商標、意匠……あとは商業流通しているものじゃないか、ですね」
「ええ。しっかり覚えられておりますのね」
「もちろんです!」
褒められてぱっと明るく笑うChiki。
今日もまたネノブロックの一角は華やかだ。
「おはようございます」
先陣を切ってChikiが挨拶をする。
しかし、
「……」
サークルの女性は下を向いたまま反応しない。
「えーっと……」
出鼻をくじかれたChikiだったが、すぐに状況を理解した。
机の片隅に立てられたスケッチブック。
『ノ-16a 静海の宴 ※耳がほぼ聴こえませんのでゆっくりお話しください』
「なるほど……」
ほぼ、ということは少しは聞こえるということだろうか。
「おはよう、ございます!」
難聴の人がどう聞こえるかを知っているわけではなかったが、少しはっきりした声で挨拶をしてみる。
すると、サークルの女性が顔を上げた。
「あっ……」
スタッフが目の前に来ていることに気が付いていなかったのだろう。
だが、驚いた表情を見せた後の行動は迅速だった。
「おあようございます、どぞ」
見本誌と参加登録カードのセットが差し出される。
平安時代の衣装が描かれた表紙の本が四冊。古典作品の二次創作のようだ。
「はい、確認します……あかね様も少し見ていただいても?」
「ええ。もちろんですわ。それでは、拝見いたします」
どうやら前半は漫画、後半は解説のような構成らしい。
平安時代の女流文学を元にしたパロディのようだ。
赤染衛門が主人公というあたりが中々渋いチョイスである。
菅原孝標女や和泉式部も交え女オタクに見立てたコメディで描かれており、百人一首で名前ぐらいしか聞いたことがないChikiはもっと勉強しておけばよかったと小さな後悔を覚える。
教科書に名前が出てくるだけだった人物が、紙の上で元気に動き回っている。
キャラのやり取りは知識が無くても面白かったが、時代背景を理解していればもっと楽しめそうだ。
没頭しそうになるChikiだったが、
「ふふっ」
隣のあかねから笑い声が聞こえてハッと我に返った。
どうやらあかねの方でも中身をじっくり読んでいるようだ。
手に取っている本には『コミ枕草子』と書かれている。
「あら失礼。教養、ですわね」
ふいに漏らした笑い声を詫び、また優雅に本に目を落とす。
あかねの持つ本の内容が気になるChikiだったが、同じような雰囲気なのだろう。
「古典って難しそうなのに、この本は面白いですね……」
「漫画だとさらに伝わりやすいですわね」
「授業でしか習わなかった歴史上の人物が、生き生きとしています」
真面目な顔で話をしていたためか、サークルの女性が不安そうな表情を見せていた。
それに気づいたChikiが、笑いかける。
確か、口元を見やすく話した方が良いと聞いたことがある。
「内容は問題ありません。面白い本なので、つい読んでしまいました。これで受付完了です」
「あ……」
理解してくれたのか、照れているようだ。
ひとまず受付完了かと思ったが、あかねは手に取った本にまだ熱中していた。
「連綿と続くオタク文化の先に今がある思うと、心が躍りますわね……」
「ス、スケールが大きいですね……」
ますますもってあかねの読んでいた本が気になるChikiだったが、あまりのんびりもしていられない。
首をかしげるサークルの女性に笑顔を向けると、無礼を承知であかねの本を取り上げた。
このペースでは見本誌回収が終わらない。
「はっ、早く受付しないと、お隣がお待ちです!」
「まあ。そうでしたわね。失礼いたしました」
そこから順調にいくつかのサークルの受付を済ませる。
今日は早めの時間から出席率も高く、100回目の節目というお祭りでサークルも盛り上がっているのを肌で感じる。
しかし、Chikiの隣に立つあかねは時折考え込む表情を見せる。
「あかね様、どうかなさったのですか」
「耳が聴こえない方の避難誘導は、どうすれば良いかしら」
「えっ……」
思わず声を上げる。
言われてみれば確かに、どうすればいいのか答えに迷う。
「避難誘導に限りませんわね。わたくしたちスタッフはアナウンスのみで皆様にお願いをしている……それはつまり、耳が聴こえない方にとって大きなリスクなのではないかしら」
「それは、そうですね……」
ひとつのサークルのことをずっと考えていたとは思わなかった。
Chikiは驚くと同時に改めて感心する。そして、そこまで考えの至らなかった自分を恥じた。
じっと考えるあかねだが、答えにたどり着くのはまだ時間がかかりそうだ。
「あかね様」
ここは、自分が背中を押す場面だろう。
この場を任せてもらえるぐらいの経験は積んだと思っている。
「一度本部に戻って、見本誌を置いてきていただけますか。それと、その時にホール長の和泉さんに避難誘導の件を確認してください。私も気になるので」
事も無げに言ったつもりだが、胸は高鳴っていた。
役者不足と思われたら。
まだまだ任せられないと思われたら。
自分のせいであかねの疑問を解決するタイミングを逃したら。
あかねが思案したのは数秒だったはずだが、Chikiにはずいぶん長く感じた。
そして、そっと口を開く。
「そうですわね。もうChikiさんおひとりで十分に対応できますものね」
通じた。
こみ上げてくる思いを、必死になって抑える。
「も、もちろんです」
漏れる喜色を顔にうかべながら、Chikiは大きくうなずいた。
いつの間にか握りしめていた手に、さらに力が入る。
「ふふ。頼もしいですわね。Chikiさんがいて、本当に良かったわ」
「……!」
そうして見せられた、あかねの笑顔。
その美しさに一瞬で陶酔したChikiは、モデルにあるまじき緩んだ表情を見せる。
「では、お任せいたしますわね」
本部へと向かうあかねの背中を見えなくなるまで見送る。
その後は様子を見に来た倉敷が驚くほどの速さでサークル受付を進めることとなる。
あかねから認められ、自分にだけ向けられた笑顔。
まだ開場すらしていないが、Chikiにとっては間違いなくこの日が人生最良のコミマとなった。




