第134話 2日目 四海の内、皆兄弟作戦
国際展示場駅を出てすぐの光景は、毎回見るたびに胸が躍る。
視界に入る人々のほぼすべてが、コミマのためにやって来たオタクなのだ。
夏の夜明けは早く、台風の名残でやや風があるものの蒸し暑い。
昨日は人出が少なかったように感じたが、今日は全くそんな気配はない。
むしろいつも以上に人がいるように見える。
決意を胸に秘め、正面に見えるビッグサイトに向けて歩き出したところで、明るく声をかけられた。
「あっ、おはよう! 瑞光寺さん」
振り返ると、トレードマークのポニーテールを揺らしながらせわしなく歩く君堂と、やや大柄な体で悠然と歩く江口橋がいた。
「おはようございます、江口橋さん、君堂さん」
「おはよう、瑞光寺さん。それに安威さんも。おはようございます」
不意に名前を呼ばれた安威が、驚いた表情を見せる。
「覚えてくださっているのですか」
「それはまあ、ねえ」
当たり前という顔をする君堂。
「この二年、定期的に顔を合わせていましたからね」
「恐縮です」
「不審者捕まえたりもしてるし、覚えてない方が失礼ですよ!」
明るく笑う君堂。
安威も江口橋と同じようにあまり表情に出ないが、このふたりにはどこか心を許している部分はあるようだ。
ここに来ると、安威の普段の硬さが少し和らいでいるようにも見える。
「それに、赤い紐の仲間ですからね」
そう。安威の右手にももちろん赤い紐が結ばれている。
イーストプロムナードを行き交う人は多く、入口担当のスタッフに質問している姿も見かける。
もうコミマの領域も同然だ。
三人は腕章とスタッフ証、そして帽子を身に着けてスタッフであることを示す。
すれ違う入口担当に挨拶をしながら、交差点を渡り東地区の通用口へと進む。
「まだ少し風があるけど、涼しくていいね」
「確かにな」
不思議なもので、並んで歩くふたりは夫婦に見える。
設営日に知らされてまだ2日しか経っていないが、知識の有無で見え方が変わるということだろうか。
もともと夫婦のような距離感ではあったようにも思えるが。
「ところで、結婚式はいつなさいますの」
「うえっ、今ここで聞く?」
焦ったようにあかねを見上げる君堂。
半分呆れたようにその姿を見る江口橋。
「君堂……」
「あら、まだ『君堂』呼びでいらっしゃるのね」
「まあ、この場ではな」
ということはふたりきりのときは違うらしい。
興味がないこともなかったが、あまり踏み込みすぎてもいけない。
少し咎めるような口調で、江口橋が君堂に視線を合わせる。
「瑞光寺さんに話したのか」
「いや話したというかバレたというか、事故というか不可抗力というか……」
「誰にも言うなと言ったのは」
「いや私なんだけどね。言ってないんだけど、見られたっていうか……」
しどろもどろになる君堂に向かって、さらに距離を詰める江口橋。
「より仲良しにおなりですわね」
「なっ!」
顔を赤くした君堂が、勢いよくあかねを見上げた。
すべては自分が落としたパスケースから始まっただけに、責める先が自分しかない。
「も、もう! 離れて歩こう!」
さらに足を速めるが、悲しいかな歩幅の関係でそれほど距離が開かない。
それに……
「もう夜間通用口だぞ」
目的地は目の前だった。
「あー、もう!」
朝一番、君堂の叫びが東地区の端にこだました。
東456地区は有明から東雲へと繋がる道路に面している。
東地区から入る一般参加者は東の駐車場で待機することになるため、その道路は駅からの導線になっている。
トラックヤードの植樹越しにその人々の流れを見ながら、その先にある防災公園に展示されている車両を遠目に眺める。
防災フェスと名付けられたそれは、警察や消防、自衛隊の協力のもと、災害救助や消火等に使われる特殊車両が展示されている。
本当は昨日のうちから展示の予定だったが、荒天のため中止になっていたのだ。
「江口橋さん」
「うん? どうした」
「この体制は……やはり明日のため、なのでしょうか」
トラックヤードにある警察の詰め所、道路を挟んですぐに待機する緊急車両。
見ようによってはいつもより物々しく、別の見方をすれば公権力がお祭りに乗ってきてくれている。
明らかに作られた『備える』体制だ。
あかねの言葉に、江口橋が小さく笑う。
「ずいぶんと今更だな。瑞光寺さんはこのために頑張ってきたんじゃないのか」
「それは、そうなのですが」
夢で見た惨劇を回避したい。
そんな荒唐無稽な願いを、まともに聞き入れてもらえることは家族以外になかった。
言ったところで相手にされず、言おうが言うまいが、相手はあかねのことを気味悪がり距離を取った。
普段から人との距離を掴みかねていたあかねにとって、その体験は口をつぐむのに十分な理由だった。
「信じていただけていることが……信じられませんの」
「それは自分を過小評価しすぎだ」
江口橋の言葉に、あかねが目を向けた。
何度も自分を助けてくれた頼れるブロック長。この人がいなければ、どうなっていただろう。
「今までの瑞光寺さんの立ち振る舞いで、ちゃんと伝わっている」
一般参加者の流れから、楽しそうな声が漏れ聞こえる。
彼らにとっては、何の憂慮もないただ楽しい場所なのだ。
それを守るため、ここに立っている。
「いえ。皆さまが真摯に耳を傾けてくださったおかげですわ」
たったひとりの新米スタッフの声を拾い上げる。そんな組織が他にあるだろうか。
「わたくしだけでは、きっと何もできずにおりましたもの」
そして、江口橋、君堂と同じブロックにならなければ……
色んなスタッフがいる。それを知った今だからこそ、このふたりのありがたみが理解できる。
「江口橋さん、本当にありがとうございます」
「……それはちゃんと終わってからにしよう」
「そうですわね……あら」
少し遠くに見知った姿が見えた。
声をかけるにしても少し遠い。
こんな時間にここにいるのはおかしいような気がするが……
「そろそろ戻るか」
どうしたものかと考えているうち、ホール本部に人が集まりつつあるのを見た江口橋が声をかけた。
そろそろ朝礼が始まりそうだ。
少し後ろ髪を引かれる思いではあったが、ホール本部に向かって歩き始めた。
「ああ、あと瑞光寺さんの考案した赤い紐の仲間も評判良いな」
「そうなのですか」
昨日だけでも、思った以上に協力者がいた。
こういった形で目に見えるようになるのは非常に心強い。
「播磨さんは『四海の内、皆兄弟作戦』と名付けるぐらい気に入っている。あまり広まってないが」
「面白い方ですわね」
「意外とな」
微妙なセンスのズレも含めて、面白い。
この体制を作るために、おそらく最も苦労した人だろう。
直接会う機会があるならば、必ずお礼を伝えよう。
そう思うあかねだった。
東5ホールの朝礼は、いつも通り和泉の威勢の良い声で始まった。
「昨日は中止されたものが今日はしっかり再開するぞ! まず防災フェス。防災公園に警察消防自衛隊、オタク垂涎の車両がわんさか展示されている。明日までだな」
和泉はあちこちにちらりちらりと目くばせをして口元で笑う。
「これは職場でオタバレしてる各組織の人たちの働きかけで実現したものだ。あんまりおかしな行動があると、その人たちが組織の中で立場を危うくするから気を付けてくれ」
和泉の表情は柔らかく、冗談めかした口調で言う。
ホールのスタッフは一様にリラックスしたように笑い、少し力が入っていたあかねも楽になった。
今日のネノブロックはリョリョと探花がサークル参加で欠席だが、他は全員そろっている。
あかねを囲むようにして和泉の声に耳を傾けていた。
「そしてなんと、この456と防災公園の間の道路が封鎖され、ビッグサイトの敷地と同じ扱いになる!」
一瞬の沈黙の後、どよめきが起こった。
「ええ……え?」
「マジでか」
「今言う!?」
一部のブロック長や本部スタッフは平然としているが、事前に聞いていた人もいるのだろう。
スタッフの驚きようからは、かなり秘匿されていたことがうかがえる。
「これはギリギリまで調整していたからな。一応先週決まったんだが、本当にやるかどうか最後まで揉めていた。結果、開場時間から閉会時間まで歩行者天国になって、車両展示も路上に出てくる」
やるとなる確実にしわ寄せが来るのが東456地区だ。
東4ホールは最後まで難色を示したらしいが、最も人の出入りの予想される東6ホールが積極的に賛成の立場だったために実現したらしい。
ここから東6ホール本部の様子分からないが、あかねは心の中で冷泉に感謝していた。
「6ホール側の東5番ゲート、4ホールの側の東6番ゲート、7ホールの方の東7.5番ゲートも解放する大盤振る舞いだ。ホールから道路への出入り口は限られるが、このクソデカみなし館内、列を置いてもいいらしい」
「うおお……」
「面白すぎだろ」
当事者となるであろうシブロックは、当初の戸惑いはいつの間にか消え、全員が楽しそうに笑っている。
彼らは事前に聞いていたのだろう。
「それほど混雑する見立てなのでしょうか」
「うーん、そうかも」
隣の君堂が小さく答えた。
あかねも小さい声で話しかけたつもりだったのだが……
「さすが瑞光寺さん、鋭い! 美人!」
「和泉さんセクハラー」
どういうわけか和泉に拾われ、間髪入れずに君堂が突っ込む。
ホールのスタッフに笑いが起こった。
静まるのを見計らったように、和泉が空気を締める。
「今日はともかく、明日は大混雑する見込みだ。特に456は激重だ」
悲鳴にも似たどよめきが、外周シブロックのスタッフを中心に起こる。
だがすぐに口元に笑みを浮かべ始める。
「だと思った……」
「だろうなあ」
「知ってた」
本部のスタッフは一様に苦笑いし、中央通路のフプヘペブロックでも何やら相談事が始まったようだ。
「入退場の導線を維持するとなると、アナウンスが重要になる」
「これ呼びかけだけじゃなくて、手持ち看板も工夫したほうが良いぞ」
「他の地区への移動方法はトラックヤードにも看板出したほうが良いかもな……」
「ハチャメチャが押し寄せてくる……」
そんなざわめきの中、あかねは和泉がじっとこちらを見ていることに気が付いた。
きっとこれは、和泉があかねを信じた証なのだろう。
根本から運用を変える状況になっても、より安全により確実な体制を用意した。
「今日は明日のための予行演習、ですのね」
「ああ、そういうことだ」
涼しい顔でうなずく和泉。
とはいえ今日も混雑しないわけではない。むしろ朝の時点では普段の夏コミ最終日と同じくらいの混雑を感じる。
「クソデカみなし館内の運用にしっかり慣れるために、積極的に使っていくぞ。シブロック、覚悟しとけ」
「「「はい!!」」」
和泉が声を張り、空気が一瞬で締まる。
朝礼はそこでいったん終わり、早急にブロック別へと移行する。
「皆様楽しそうですわね」
「シブロックは割とM……えと、被虐的なとこあるからね」
「いえ、シブロックというより……」
あかねの目には、ホール全体が高揚感に包まれているように見える。
隣のハパブロックでは椎名が目を輝かせ、小竹と雲雀がさっそくニヤニヤしながら密談を始めている。
明らかに大変になのだから、どう楽しんでやろうかと企んでいる。
どんな状況でも楽しみに変えてしまう。それがこの東5ホールの魅力かもしれない。
運命のC100夏、2日目が始まった。




