第14話 3日目 苺亭
「じゃあ今日も江口橋さんと見本誌回収よろしくね」
「承知いたしました」
「あー、今日は見本誌のチェックは江口橋さんに任せた方がいいかも……とにかく無理しないでね」
その時は意味を図りかねたが、あかねは本部に戻る途中にサークルスペースを見かけて、すぐに理解した。
見本誌を回収する前から分かる、濃厚な……いわゆるエロの気配。
机に置かれた本の表紙もそうだが、何より煽情的な大きいポスターがあちこちで掲げられている。
1日目にも成年向けの本のチェックをしたが、濃さが比べ物にならない。
あかねは今までコミマに参加した経験はあるが、こういったエリアに近づいたことはなかった。
「瑞光寺さん、君堂との話は終わったか」
「ええ。これから見本誌回収ですわね」
「ああ、そうなんだが……」
ブロックの真ん中あたりで合流した江口橋も、どこか気まずそうだ。
「色んな本がありますのね」
あかねは取り立てて気にしない。
人の性欲というものも理解しているつもりだったし、修正の基準を勉強するためにそういう雑誌にも目を通している。さすがに書店で買うと問題なので通販で済ませたが。
「今日の見本誌チェックは俺がやろう」
「いいえ。それでは修正の基準を覚えられませんわ」
江口橋は一瞬面食らった顔をすると、小さく笑った。
「大した奴だな」
「わたくしもスタッフの端くれ。どのような表現でも受け止めて見せますわ」
「別に受け止めなくても、適切な修正があるかどうかだけ見てくれればいいんだが」
とにかく、二人の見本誌回収が始まった。
※
江口橋誠司は、ちらりと瑞光寺の方を見る。
真面目な顔でページをめくっているが、中身はとんでもなくハードなエロ同人誌だ。
「このちんち」
「声に出さなくてもいい」
聞き覚えのあるやり取りを繰り返しながら、見本誌回収を進めていく。
「それで江口橋さん、どうしてポスターの乳首が隠されていますの?」
「うん? そういえば直前集会で触れなかったか」
江口橋は乳首を隠す業務についての説明をする。
「一般的な規制の基準、とでも言うべきか。基本的には『望まない人に見せないこと』ということになる。建前としては、机に平置きされている本は目的を持って近づかないと見られないが、立ててある本やポスターは近づかなくても目に入ってしまうから隠す、というわけだ」
「なるほど。けれど、付箋や絆創膏やマジックの黒塗りで余計に目立ちますわね」
「まあ、そこは表現の自由ということだ。そういうことも考えながら、サークルさんには隠してもらわないといけない。だから見本誌回収の時にチェックして、乳首が出ていたら隠してもらうようお願いすることになる」
「よく分かりましたわ」
「そういう業務もあるので、まあ女性……特に瑞光寺さんぐらいの年だと厳しいんじゃないかと君堂と話していたんだが」
「でも、君堂さんも以前から同じようなことをされてきたのでしょう?」
「それはまあ、そうだな」
「なら、わたくしも身に付けて然るべきスキル、ということですわね」
江口橋は少し考えこんだ。良くも悪くも染まり切った君堂と比べるのもどうかと思うが、ひとまず本人の意向を尊重する判断をした。
確かに修正の判断は経験が必要だ。ここで確認する経験を積むことはプラスにはなる。
あくまでコミマスタッフとして、だが。
「本の方は問題ありませんわ。これで受付完了となります。ところでポスターなのですが、他のサークルさん同様乳首を隠していただきたいのです」
「あっ、はい……わ、分かりました」
「恐縮です。よろしくお願いいたしますわ」
優雅に礼をする瑞光寺を見て、江口橋は眉間にしわを寄せた。
サークル側に妙な負担がかかっている。
「瑞光寺さん」
「はい、何か?」
首をかしげる瑞光寺は、恐らく理解していない。
自身の言葉による、男性サークルへのプレッシャーを。
ちなみに江口橋もまた不要なプレッシャーを感じている。
「なんというか、指示代名詞を使ってお願いすることはできるか」
「指示代名詞? どういうことですの?」
「つまり若い女性からエロ系のワードが出ると、サークルさんが気まずい」
「ああ……わたくしは気にしませんが、サークルさんがお気になさるのですね」
瑞光寺は少し考えこむと、大きくうなずいた。
「承知いたしました。あまり直接的な単語は使わないようにいたします」
「助かる」
主にサークルが。
江口橋自身はこれまで女性の新人スタッフと関わったことがなかったのもあり、そういったことに無頓着だった。
瑞光寺はとにかく前向きでスタッフ業務にも積極的だが、ブレーキの使い方を教えないといけないと改めて思う江口橋だった。
いくつか本部チェック案件を出しながらも、比較的順調に見本誌回収が進んでいく。
江口橋が肩に感じる見本誌バッグの重さも、そろそろ限界に近づいていた。
「先ほどの本部チェックになった本は、どういう扱いになりますの?」
「ホール長やホールの責任者が確認して、大丈夫ならそれで頒布できるし、それでも厳しそうなら館内統括送りになる。それと同時に黄紙が発行される」
「黄紙……」
「頒布の一時停止扱いだな。館内統括が問題ないと判断すれば頒布できるし、ダメなら何らかの処置を取ってもらう」
「処置、ですか」
「具体的には問題のある個所を手作業で黒塗りする」
「大変ですわね……」
「大変なんだ」
次のサークルはV45aの『苺亭』だ。
サークルスペースの準備をしているのはベージュのコートを着た大人しそうなメガネの女性だが、掲げられたポスターは中々濃ゆい。
「おはようございます。見本誌回収に参りました」
「あ、おはようございます……よろしくお願いします」
机の上に、見本誌が几帳面に置かれている。
参加登録カードも挟んで、少しはみ出して見せている。
たまに見る完璧な準備だった。
今日の提出は二種……瑞光寺と江口橋がそれぞれ一冊ずつ内容の確認を行った。
「こちらは、あなたがお描きになりましたの?」
「そう、ですけど……」
「素晴らしいですわね」
「えっ」
「ひたすら素直な気持ちを原稿にぶつけたような、そんな印象を受けますわ。特にこのページ……線の勢いがプロのアスリートのような力強さではないですか」
「は、はあ……」
「瑞光寺さん」
やや早口で褒め始めた瑞光寺に声をかける。
しかし瑞光寺は聞こえていないのか、構わず手に持った本の魅力を語り続けた。
「それなのに、全体の画面構成がやかましくなく、すっきりと整理されていて読みやすい……この絶妙なバランスのページ作りは中々できるものではございません」
「瑞光寺さん」
「このような男性的で力強い線をお描きになりながら、女性的な行き届いたページ作りができるなんて」
「瑞光寺さん。業務に戻ってくれ」
「あら、失礼いたしました。わたくしとしたことが」
奥付の著者名は『べりまる』とあった。
見たところこの女性のサークルのようだ。
スペースに日傘が二本あるところを見ると、手伝う人はもうひとりいるのだろう。
「申し訳ありません。新人が突然ヒートアップしてしまって」
「いえ……こんなに褒められたこと、あまりないので……嬉しいです」
「まさか。素晴らしい本ですわ。自信を持ってくださいまし」
「瑞光寺さんは少し落ち着け」
「失礼いたしました……」
べりまるは少し困ったように「嬉しいです」と笑った。
『苺亭』の受付を終了し見本誌バッグに入れると、一旦本部に戻る判断をした。
本部へと戻る途中『苺亭』の新刊をまじまじと見つめながら、瑞光寺は息をついた。
「すごい方が埋もれていますわね。コミマは」
「ああ、そうだな。気持ちは分かるがもう少し落ち着いてくれ」
「努力いたしますわ」
表情にこそ出ないが明らかに浮かれている瑞光寺は、返事もどこか怪しい。
楽しいのは結構なことだが、スタッフには淡々と進めるべき業務がたくさんある。
「でも仕方ありませんわ。コミマが、こんなに心躍る場所なんですもの」
相変わらず表情が読めない。
話すのが苦手な人間がいるのと同じように、瑞光寺は感情を出すのが苦手なのかもしれない。
顔が良いだけに、どこか近寄り難く感じてしまう。
反面、なぜか目が離せなくもある。
その立ち姿は、さながら美術館に飾られた絵画、あるいは雑誌の表紙を飾ってもおかしくないとさえ思った。
その手に、肌色の本さえ持っていなければ。




