第133話 1日目 縁が繋がる場所
『これにて、コミックマート100夏、1日目を終了いたします。お疲れ様でした!』
閉会のアナウンスとともに、拍手が起こる。
いつもよりずっと人数は少なかったが、それでも残った人たちによる力強い拍手はスタッフの耳にも届いていた。
「終わりましたわね」
「ひとまずな」
あかねは江口橋と息をつくと、定点となっていた柱の周りにいるネノブロックのスタッフを見回した。
「今日は無事に終えることができましたわ。先ほど和泉さんがおっしゃっていた通り、早めに帰ってお休みいただきたいのだけど……」
「はい! 神月と搬出列を見たいんですけど、いいですか?」
元気よく手を上げたのは新顔の春日野だった。
神月もうんうんとうなずいている。
「それはありがたいが、体力的には……」
心配する江口橋に、三島と風間もにっこり笑う。
「正直なところ、お昼に長めの休憩をいただきましたし、そもそも今日はあまり混雑しなかったので、有り余っていますね」
三島の言う通り、四人の顔には一切の疲れが見えない。
隣にいる倉敷と児島は歩き続けていたためか疲れが見える。
どうも基礎的な体力に差があるようだ。
「では、三島さん、風間さん、春日野さん、神月さんは閉会後作業のお手伝いを。他の方は明日明後日に備えてお帰りいただくというのでどうかしら」
異論はないようだ。
特にリョリョと探花は明日サークル参加だ。
残るよりは早く帰って最後の準備をしておきたいところだろう。
江口橋は全員を見回すと、大きくうなずいて見せた。
「よし、今日は解散だな。お疲れ様でした!」
「「お疲れ様でした!」」
解散の声を待っていたかのように、後ろから声をかけられた。
振り返るとそこに、高村夏見がカートを引いて笑顔で立っていた。
その表情は三部作を完結させた清々しさか、涼やかなものに見える。
「スタッフお疲れ様」
「ありがとうございます。サークルはいかがでしたか」
「うーん、イマイチ。天気のせいかもしれないけれど」
「そうでしたの……」
どう言葉をかけたものかと、あかねが目を伏せる。
高村は慌てて手を振った。
「いやだ。そんな顔しないで。楽しかったのは楽しかったから」
「そう言っていただけると」
「次は完全オリジナルで勝負するつもり」
「えっ……」
思わず声が漏れた。
確かに二次創作は終わりと言っていたが、コミマに参加するのが終わりとは言っていない。
「これは失礼をいたしましたわ……わたくしてっきり、今回で最後なのだと」
「そう思ったんだけど、悔いが残ったのよね。二次創作はスッキリ吐き出せたから卒業しようかなって思ったけど、次はオリジナルに入学しようと思っているの」
「次……」
「ええ。次」
事も無げに言う高村。
あかねをじっと見つめるその目には、
「瑞光寺さん。私たちも一緒にコミマを守るわ」
「……それは、とても心強いですわね」
ふと、彼女によく似た顔が重なって見えた。
高村は「私」ではなく「私たち」と言った。
その意味を問う前に、
「だから」
そっと高村があかねの背中に手を回した。
一瞬体が強張るが、何かいい香りが鼻をかすめて緊張がゆるむ。
「あなたは、背負いすぎないで」
言葉が出ない。
彼女に、夢で見た話はしていない。
見透かされているように感じたが、悪い気はしない。
むしろなぜか暖かい気持ちがこみ上げてくる。
「じゃあね、また冬コミに」
高村はぱっと体を離すと、さっと髪をかき上げた。
またふわりと届く優しい香りに気を取られていると、高村はあかねの言葉を待たずにホールの出口へと去って行った。
また「次」会えるだろうか。
一抹の不安とまた会える希望を感じながら、高村の後姿を見送った。
「瑞光寺さんは、まだ残るのか?」
「江口橋さん。もう少し見ていようと思っておりますが……君堂さんは」
「もう帰ったよ。俺も早めに引き上げようと思う」
高村と話しているうちにブロック員の多くは引き上げたらしい。
ホールの天井を打つ雨の音が耳に届く。また雨が強まってきたのだろう。
一時よりは弱まったものの、まだ少し風も強いらしい。
「今晩一杯は天気が不安定だそうだ」
「困ったものですわね」
「天気ばかりはな」
気持ちが沈みそうになる中、トラックヤード側のシャッター近くにいる三島の声がここまで届いた。
「車両入りまーす!!」
そして同じく、中央縦通路にいる風間の声も良く届く。
「ストーップ! ちょっと確認しますね! 東5ホールから車両出ますけど、行けますかー?」
元気いっぱいといった様子だ。
会期中より覇気があるかもしれない。
「良く働くな、あのふたり」
「ええ。頼りになりますわ」
今回のコミマが初めての顔合わせなのだが、あまりそんな気がしない。
同じジャンルのゲームを経験してきた土台が、心の距離を埋めるのだろう。
「元々知り合いなのか?」
「いえ。前回担当したサークルさんにお世話になっていたそうですわ」
「……? よく分からないが、これも縁か」
「ええ。その通りですわね」
サークル『月華美神』が結んだ縁。
このC100夏はその縁が繋がった場所。
ここは縁だらけだ。
太い細い、強い弱いはあれど、同じ日に同じ場所に集まる仲間。
そしてそれは、今回よく見える形で目に飛び込んでくる。
「あら、あの印刷所の方々……みんな赤い紐をつけていらっしゃいますのね」
「……すごいな」
十数人の作業者全員が、右手に赤い紐を結びつけている。
ダンボールの積まれた4トントラックの側面に、よく見た印刷所の名前があった。
「あの印刷所……根岸さんの」
あかねは作業を見守る男性に近づくと、そっと声をかけた。
「あの、よろしいかしら」
「ええ、何でしょうか」
「その紐の番号は」
「ああ、えっと……」
声をかけられた男性は、暗記しているように七桁の数字を口にする。
それが今回の、身分を証明する数字であることを理解しているようだ。
そしてその数字は、あかねのスタッフ証に書かれた番号と全く同じだった。
「ではあの、根岸さんの?」
「そうです、けど……あっ、あなたが瑞光寺さんですか」
「ええ、そうですわ」
改めてスタッフ証を掲げる。
名前と写真、そして端に書かれた番号を見て、男性は驚いたように頭を下げた。
「根岸がお世話になっております」
「いえ、こちらこそ」
「そうでしたか……おーい、みんな集合!」
男性の声に、周囲でダンボールを台車に乗せていた男女が手を止め、あっという間に近くに寄って来る。
「こちら、根岸さんが言ってた瑞光寺さんだ」
「「お疲れ様です!」」
礼儀正しく一斉に頭を下げる。
「皆様、ご協力ありがとうございます。心から感謝いたします」
あかねもそれに応えるように、優雅に膝を折った。
頭を軽く下げ、流れる髪がさらりと揺れる。
その様子を見た搬入員にざわめきが広がっていく。
「聞いてた通りマジ美人だな」
「コスプレイヤーだって話だぜ」
「腰が低くて上品だな……」
あかねは改めて男性の方を向いた。
全員の手を止めさせるつもりはなかったのだが、結果的に仕事の邪魔をしてしまった。
「お仕事中ですのに時間を取らせてしまって」
「いえ、ごあいさつできて良かったです」
「どうか皆さま、会期中もお助けくださいませ。それと、根岸さんにもよろしくお伝えください」
搬入員全員の元気な返事が聞こえ、あかねはまた頭を下げた。
話を終えたあかねに、江口橋が遠慮気味に声をかける。
「俺はそろそろ帰るが……」
「わたくしはもう少し車両誘導の様子を確認してからにいたします。雀田は帰っておりますが、安威はガレリアにおりますので」
「そうか……じゃあ、明日もよろしく」
「はい。承知いたしましたわ」
今回初めてネノブロックに来てくれた三島たちが、最後まで残ってくれている。
ひと声かけておかなければならないだろう。
江口橋の背中を見送ると、トラックヤード側のシャッターへと足を向けた。
「外周トラック入りまーす!」
「ホールの中はライトつけてくださいねー!」
三島と風間はまだまだ元気そうだ。
「三島さん、問題はありませんこと」
「ああ、瑞光寺さん、お疲れ様です。全くの順調ですよ。瑞光寺さんのお役に立てるよう精一杯頑張ります」
「ふふ。ご無理はなさらないで」
少し車両の行き来が途切れた。多少話をする余裕はありそうだ。
「正直なところ、今回自分のジャンルが西に配置されたので、諦めていた部分はあったのですが、瑞光寺さんがジャンルを尊重してくださって、ますます頭が上がりません」
コミマだけで会う地方民も多いのだと三島は笑う。
「それぞれに大切なものはありますもの。スタッフによってはジャンルを追いかけて毎回違うホールで登録される方もいらっしゃるようですのよ」
「そうなのですか」
スタッフ証に若葉マークを付けた三島は、驚いたように声を上げる。
思ってもみなかったらしい。
確かにスタッフはスタッフ同士の繋がりが強く、同じホールで続けて登録する人がほとんどだ。
だが、例外的にジャンルを追いかけたり全ホールを制覇しようとしたりと、ホールを渡り歩く人もいる。
「三島さん、格闘ゲームジャンルに身を捧げたスタッフになるのも素晴らしいですわ」
「いえ、しかし瑞光寺さんへの御恩が……」
「あら。三島さんたちが格闘ゲームジャンルを守ってくださるなら、わたくしとても安心ですわ」
その言葉に、ハッとする。
あかねの言いたいことを察した三島が、神妙な顔をする。
「そう、でしょうか」
「ええ。そしていつかまた、格闘ゲームのコスプレをしたときにジャンルを訪れて……その時に三島さん達が迎えてくださったなら素敵ですわね」
「……瑞光寺さん」
いつの日か、そんなことも起こるかもしれない。
あくまでも自分を尊重してくれるあかねに、三島は深く頭を下げた。
「ありがとう、ございます」
「もちろん、ご一緒にスタッフをするのも頼もしいのですけれど」
ほほ笑むあかねを眩しそうに見る三島。
そこへ、本降りのトラックヤードから搬入部の男性が避難するようにホールへと入って来た。
隅に置いたカバンからペットボトルを取り出して口に含んでいる。
雨のせいで気温は上がっていないが、重厚な雨具の中が蒸れているであろうことは容易に想像できる。
「お疲れ様です!」
「まだ雨が強いのですね」
ひと息ついた頃を見計らって、三島とあかねが声をかけた。
搬入部の男性は疲れた表情をさっと隠し、館内のふたりに笑顔を向ける。
「お疲れ様です。まあまあ想定内ですよ!」
「たくましいなあ」
「素晴らしいですわ」
ふたりから褒められ、照れたような表情を見せる。
「声が聞こえづらいのだけが困りもんだけどね、まあ夏コミで良かった」
「冬だと凍えてしまいますわね」
「そうそう。だからまあ、この天気はレアものだと思ってやってますよ」
またペットボトルのお茶をひと口含むと、気合を入れ直したようだ。
「誘導、よく聞こえて助かります。もう少しよろしくお願いします」
「お任せください」
「ありがとう、館内さん」
三島の声に力強くうなずくと、搬入部の男性はまた本降りのトラックヤードへと戻っていった。
少し言葉を交わして、三島もまた「よし」と気合を入れ直す。
どうやら三島は適所だったようだ。
風間は少し離れた場所で軽トラックを誘導している。ここはこのふたりに任せてしまって大丈夫だろう。
この場を三島に任せると、あかねは中央縦通路をひとり歩き出す。
雨シフトの長い搬出列は、まだ残っている。春日野と神月が列の管理に立候補してくれた。
そのふたりに声をかけて、今日は帰ろう。
まだあと2日、残っている。




