第132話 1日目 閉会に向けて
※なぜか古い稿で掲載していたので改訂しています。物語の大筋には影響ありません。
「ご……ご迷惑をおかけしました」
「お気になさらないで。大丈夫かしら」
「はい……」
それほど時間を置かず女性は正気を取り戻した。
雀田が持ってきた椅子に座らせて様子を見ていたが、何とか大丈夫そうだ。
東7のスタッフも心配そうに様子を窺っている。
大丈夫そうであることを雀田が合図すると、東7のスタッフは安心したようにうなずいて離れていった。
「すっかり場慣れしましたわね」
「もう四回目になりますから」
雀田が初スタッフで参加したのはC97冬。
元々の能力が高いこともあるのだろう。すっかりスタッフとしての振る舞いが板についている。
「本当にすみません、ご迷惑ばかり……」
「気にしないでください」
椅子に座ったままの女性が恐縮するのを見て、優しく声をかける。
この辺りの気遣いも、以前の雀田よりもさらに柔らかさを増している。
「あの……AKANEさん、また見に来てもいいですか」
「もちろんですわ」
彼女は「ずっと家から出ていなかった」と言っていた。
外に出るきっかけになったのであれば、コスプレした甲斐があったというものだ。
元々、普段からインドア気味のオタクが全力で参加する祭りだ。
やはり創作には人を動かす力がある。
改めて確信するあかねだった。
「あっ、君堂さーん、ここです!」
遠くを呼ぶリョリョの声。
それに誰より反応したのは、椅子に座っていた女性だった。
「君堂……?」
顔を上げ、リョリョの見る方へと目を向ける。
珍しい苗字だ。もしかしたら知り合いなのかと聞こうと思ったが、その必要はなかった。
「一応車いす持ってきたけど、大丈夫そう? ……って」
車いすを押してきた君堂が、その女性を見た表情がすべてだ。
一瞬息を呑んだかと思うと、
「あああ!」
周囲が何事かと振り返るほどの大きな声を上げた。
「えっ、何?」
「びっくりした……」
リョリョと探花が驚いた表情のまま君堂を見る。
君堂は目を見開いたまま、ゆっくりと女性に近づき、膝をついた。
「あっ、あっ……愛奈……」
「莉子……」
そっと手を取る。
その温度を確かめるようにぎゅっと握ると、君堂莉子は小さく口を開いた。
「びっくりした……」
女性は短く「うん……」と答えてうつむく。
お互いに言葉を探しているように見えるが、周囲の人々は何が起こったのか分からない。
何となく一番近くにいる雀田が、ふたりに問いかけた。
「あの、説明してもらえるとありがたいんですが」
「あっ、と、ごめん……」
君堂は女性と雀田を交互に見る。
「えっと、この相川愛奈は私の大学の同期でね。一緒にスタッフをしたこともあったんだけど、その……ちょっと仕事とかで色々あって……家にね、引きこもっていたの」
そっと手を離し、君堂が立ち上がった。
居並ぶスタッフ仲間を順に見て、言葉をつづけた。
「だから、こんなところで会うとは思ってなくって」
口元で無理に笑おうとするが、上手くいかない。
不健康に青白い肌の相川愛奈と涙を浮かべる君堂の様子から、引きこもりというのは年単位の話なのだろうと推測できた。
まだ今の現実を信じ切れていないような君堂が、相川愛奈に問いかける。
「愛奈……どうしてここに」
「どうしてもAKANEさんのコスプレが見たくて」
君堂の目が、あかねを見る。
黒衣のあかねはあまり表情を変えないが、君堂を気遣っているようにも見える。
「そうかあ……」
じわりと涙が浮かんだ。
「元気そうで、良かったよ……愛奈……」
「ごめん、莉子」
「返信ぐらいしてよお……良かったよお……」
「うん……ごめん」
あかねたちは顔を見合わせると、ひとまず君堂と相川をそっとして置こうとうなずき合った。
この場は君堂に任せてしまっても良いだろう。広域巡回を切り上げるのにもちょうどいい時間だ。
「あかね様」
「どうかなさいまして」
並んで歩くChikiが、少し力の入った声で話しかける。
「やっぱりあかね様のコスプレには、強い力があると思います」
「強い力?」
あかねは首をかしげるが、Chikiは何やら確信めいた口調で断言する。
「あかね様は、もっとたくさんの人に見てもらうべきです」
「Chikiさん、どうしたの? 大丈夫?」
探花の言葉に答えず、Chikiはあかねから目を離さない。
「前を向かないと危ないですわ」
「あっ、はい……」
あかねの言葉には素直に従うChikiだった。
「この夏コミが終わったら、別でコスプレイベントにも出ませんか」
「コスプレイベント?」
Chikiは短く「はい」と答えると、全員を見回して決意を口にした。
「私……もっとたくさんの人に、あかね様を知ってもらいたい。あかね様は望まれてないかもしれませんが……あかね様に救われる人がきっといます。絶対に」
(コスプレでなくてもいいのでは……)
全員が思うことは共通していたが、決意に燃えるChikiに横やりを入れる雰囲気でもなく、互いに目配せをして曖昧にうなずくのだった。
東5ホールへの道すがら、あかねは雀田と共に東6ホールの本部へと立ち寄った。
仁王立ちの一条が、雀田を軽く見上げて睨みつけている。
「話がある」
「はい」
神妙にする雀田。
言いたいことは、大体分かっている。
「誰もが口をそろえて言う……『そっくり』と」
「はい……その、私は似ていないと思うのですが」
どうも本心から言っているらしいので始末が悪い。
そこへ通りすがりの東6スタッフが声をかける。
「うわ、大きな一条さんかと思った」
「え、お姉さん?」
「……」
さらに不機嫌になる一条である。
雀田は何を言えば良いものかと考え込む。
「ちょっと本部でなんて顔してるのよ、一条……雀田さんも、難しい顔してそんなところに立たないでくださいな」
「ごきげんよう、冷泉さん」
「ええ。お疲れ様、瑞光寺さん、雀田さん」
「お疲れ様です」
年の功だろうか。雀田は瞬時に表情を緩め、冷泉に挨拶をする。
「……」
対する一条の顔は険しいままだが、冷泉がつかつかと歩み寄って上から見下ろす。
「ほらほら、一之進のキャラのイメージを保たないと」
「……」
確かゲームにもこういう場面があった。
幼少の一之進が、母親代わりである春乃にからかわれるシーンだ。
恨めし気に春乃を見上げる一之進……奇しくも今、一条がそれを再現してしまっている状態である。
冷泉がそこまで考えたかどうかは分からないが、こらえきれない様子で吹き出した。
「ぷっ、それにしても……似てるわね。ふふっ」
「冷泉」
上がり切らないホールの温度をさらにひやりと下げる、一条の声。
冷泉はさっと距離を取ると、わざとらしく大き目の声を上げて本部の奥へと引っ込んでいく。
「ああ、忙しい忙しい! さあさあ、スタッフは本部に溜まってないで巡回よ! 搬出受付始まってるからアナウンスもしっかりね!」
その声に慌ただしく動き出す東6ホール本部。
一条は小さくため息をつくと、あかねに会釈して本部へと戻っていった。
雨脚は弱まることなく、絶えずビッグサイトの天井を叩く。
気温がほとんど上がらないこともあり、傷病者は少ないようだ。しかしそもそもの参加者が少ない。
一般参加が少ないと、サークルは早く帰ってしまう傾向にある。
「お帰りになるサークルさんが多いですわ」
「ああ。電車が止まるかもしれないからな」
「仕方ありませんわね……」
今の時間帯はそれほど風が強くないのが幸いだが、振り続ける雨の度が過ぎれば運転見合わせや遅れも十分ありえる。
念のため早めに撤収する人が多いのも道理だろう。
そんなホールでひときわ目立つのが、ガレリアから伸びてきた太い列。
「あれは……」
「搬出の列だな。もうここまで来てるのか」
言われてみれば確かに、並んでいる人全員が大小のダンボールを抱えたり、床に置いたりしたまま並んでいる。
搬出はガレリアの東1ホールと4ホールの間の端の方だったはずだが、こんなところまで伸びてきているとは。
「そういえば一般さんからも問い合わせがありましたわ。サークルでなくても搬出できるのかと」
「この大雨の中、安全に家に運んでもらうわけだな……」
「そういうことですのね」
本は濡れると致命的だ。
自分で持ち帰るより、お金を払ってでも宅配で運びたい気持ちも分かる。
デメリットは帰ってすぐに読めないことぐらいだが、明日もコミマに参加するのであれば、むしろ早く寝られて良いかもしれない。
もう少しで閉会時間。
夕方の業務に備えるため、早めに着替えて巡回に戻る。
といっても残っているサークルは少なく、一般参加も早めに引き上げた人が多いようだ。
あかね達コスプレ組が東7へと離れていても、残ったネノブロックとパハブロックの支援で十分回せたようだ。
「雨風のピークは過ぎたらしいが、サークルも一般も早めに帰る人が多いようだ」
「そのようですわね」
少しの物足りなさと何事も起こらなかった安堵の中、ホール本部で夕礼が行われる。
「お疲れ様!」
心強い笑顔の和泉が芯の強い声で挨拶をする。
「不審物チェックをしながらの混雑対応でどうなるかと思ったが、混雑が大したことなくて助かったと言える」
他のホールでは数件不審物対応があったようだが、幸い東5ホールではそういったことは無かったようだ。
今のところ爆竹のようなものも見つかっていない。
「明日からは晴れの予報だ。かなり負担がかかるだろうから、帰れる人は早めに帰るって休むようブロック長で調整するように……とはいえ、ご覧の通り搬出列が伸びている。しばらくはこの管理をすることになるのでそちらも引き続き頼む」
ブロック長を中心に「はい」と返事があった。
まだ、もう少し1日目が続く。
いつもより長い気がした。




