第130話 1日目 赤い紐
『ただいまより、コミックマート100夏、1日目を開場いたします!』
拍手と共に開場はしたものの、思ったほどの騒々しさはない。
サークルは七割程度、一般参加も同じように少ないと見ていいだろう。
新幹線こそ止まってはいないが、空の便は大きな影響を受けている。
「思ったより混まないな」
「そうですわね」
混雑対応が無いからと言ってスタッフの仕事がないわけではない。
特に今回は不審物チェックに力を入れなければならないと各種の事前集会で言われてきた。
ネノブロックでも巡回を強化するのだが、混雑が激しくない場合はハパブロックと合同で巡回に当たることを事前に打ち合わせていた。
これはメイド服のハパブロック長、椎名からの申し出だったが、人員の厚いハパブロックに支援されとても助かっている。
あかねも雀田と共にハパブロックを含めた巡回に出ることにした。
パブロックに知り合いが配置されているので挨拶しておきたい気持ちもあった。
刀心都市の男主人公『一之進』に扮する雀田と、そのライバルキャラ『無間』のあかね。
並んで歩くなど原作ゲームではありえないのだが、これもありかと思わせる魅力がふたりにはあった。
SNSの刀心ファンの間で早くも噂になっているのだが、当人たちは知る由もない。
目的のサークルはすぐに見つかった。
あかねにとっても忘れがたい『てんぺすとガーデン』と『不可思議樫木』だ。
配置が近いことに心の中で感謝し、懐かしい顔に声をかける。
今日は『てんぺすとガーデン』で参加しているはずだが、スペース内には男女が座っている。
「チリアさん」
「え? はい。えっと……」
いきなりコスプレのスタッフに話しかけられ、困惑している。
男性の方は気づいているようだ。
「ミズナラさんも、お久しぶりです」
「こんにちは、AKANEさん」
ミズナラが椅子から立ち上がって、頭を下げる。
認知してもらったことにほっとしながらあかねも会釈して答える。
「あっ、あの時の、スタッフさん! すす、すみません分からなくて」
ようやく思い至り恐縮するチリア。
「いえ。コスプレですと、分かりづらいですわね」
あかねのフォローにチリアは幾分表情を和らげた。
改めてあかねの姿を見て息をつく。
「……すごいコスプレですね。刀心のキャラですよね。名前忘れちゃったんですが」
ちらりと後ろに立つ雀田にも目をやる。
あまり詳しくはないようだが、やはり刀心都市のキャラであるということは分かるらしい。
「お元気そうで、良かったですわ」
「あの時は本当にお世話になりました。今はその……ミズナラさんが付いてくださるので」
「それは心強いですわね」
サークル内に男性がいるのといないのとでは、かなり違うようだ。
確かにスタッフ側から見ても安心できる。さらにミズナラは右手首に赤い紐を巻いていた。あかねがお願いしたものだ。
ちなみに今日『不可思議樫木』は女性のどんぐりだけの参加だが、このパ28の真裏あたりのパ32に配置されているため心配はないらしい。
それにしてもチリアが再び参加してくれたことは喜ばしい。
天候こそ残念だが、それを乗り越えてでもサークル参加するという強い意志を感じられる。
「あの、変わったシャツのスタッフさんは……」
「三山さんですわね。こちらのホールではなかったと思うのですが」
「そう、なんですね」
残念ながら三山がどこを担当しているかまでは確認していない。
二年前は彼もチリアのことを心配していた。参加していれば顔を出すかもしれない。
「AKANEさんは今回このホールなんですか?」
「はい。わたくしは隣のブロックですの」
「わざわざ来てくださったんですか。ありがとうございます」
「とんでもございません。それに、本当にすぐそこですのよ」
縁があったということなのだろう。
この縁が繋がったのも、チリアの勇気があってこそだ。
ふと『てんぺすとガーデン』のスペースに目をやる。
「新刊……」
「はい。何とか、描いてみようかなって思えて」
「素晴らしいですわ」
「描きたかったんですがサークル参加には迷っていて……でも、ミズナラさんが『描かなくなったらあいつの思うつぼだ』って励ましてくれて」
「い、いやその……」
照れるミズナラ。
SNSのDMで付き合い始めたということを書いていたが、寄り添っていた結果なのだろう。
きっかけこそ良いものではなかったが、このふたりが幸せに創作を続けて欲しいと心から思う。
「あら、続き物ですのね」
タイトルに『前編』の文字。
「休んでる間に色々妄想しちゃって……大風呂敷を広げてしまいました。次の冬コミで続きを出そうかと思って」
本自体はそれなりの厚さに見えるが、収まらなかったのだろう。
チリアの創作への思いが現れているようだ。
そして、C101冬……次回の冬コミがあることを当たり前に思ってくれている。
「わたくしたちも、頑張らなければなりませんわね」
言い聞かせるように、小さく口にする。
「えっ?」
「いえ。続きを楽しみにお待ちしておりますわ。後程買いに参りますわね」
「はい! お待ちしています」
次にあかねが顔を見せたのはヒブロック。
共同巡回ブロックではないが、パブロックの隣にあるのでそれほど問題ではないだろう。
ヒ03に配置された『玉の宿』には、これまた目を引く美女がひとり座っていた。
「ごきげんよう、高村先生」
「あら、瑞光寺さん。ふふ、ごきげんよう。今日は一段と格好いいわね」
楽しそうにコスプレを見る高村夏見だったが、あかねは表情を崩さず頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした」
「そんな。いいのよ。どちらかというとトシヤのせいなんだから。瑞光寺さんは巻き込まれた方でしょう」
「でも」
「トシヤが欠席なのは、忙しいのが理由。それも知ってるでしょう? だからもう謝るのは無しにしてね。謝れば謝るほどトシヤが私に絞られることになるわ」
「それは……困ります」
「でしょう? ふふ」
笑いながら頬に右手を当てる高村。
そこに、赤い紐が巻かれているのが見えた。
「赤い紐、つけてくださってますのね」
「ふふん。仲間だもの」
あかねから事前にお願いした『仲間の証』だ。
あかねから江口橋を経由して上にあげられた案が採用されたものになる。
スタッフは信頼できるサークルや一般参加者に、信頼できる仲間であることを示すために右手首に赤い紐を巻いてもらうようお願いする。
同時に自分のスタッフ登録番号である七桁の数字を伝え、何かあった時に紹介したスタッフとして繋がりが分かるようにしておく。
この『赤い紐の仲間』は準スタッフとして扱われ、会場にいる間は不審物をチェックし、緊急時はスタッフに積極的に協力するという約束のもと、トイレのスタッフ用の個室を優先して使えたり、スタッフが使えるちょっとしたルートを通れたりといった『準スタッフ』と言えそうな特典がある。
正直なところそこまでメリットは大きくはないのだが『スタッフ登録まではハードルが高いが、スタッフに協力したい』と思っている人たちにとっては悪くない扱いのようだ。
もちろん紹介したスタッフにも責任が生じるため、誰も彼もにお願いするわけにはいかない。
本当に信頼できる一部の人に、少しだけスタッフに近いところに立ってもらうことになる。
「ちょくちょく見かけるわよ。面白いわね」
「ご協力に感謝します」
「ええ。こんな微力で良ければ」
面白そうに赤い紐を見せる。
そうとは知らない人から見ると良く分からないが、事情を知る人が見れば『準スタッフ』だと分かる。その秘密結社めいたところも中二心をくすぐるポイントかもしれない。
「とはいっても、今日はあんまり参加者が多くなさそうね」
「天候が天候ですもの。仕方ありませんわ」
「もっと参加者が多かったら、このアイデアの効果がもっと分かりやすかったかもしれないわね」
「本当はこんな紐がなくとも仲間だと思いたいのですが」
「ううん。意識付けとしては悪くないわ。判断を迫られたとき、この紐が後押ししてくれる気がする」
緊急事態は起きないに越したことは無いが、それでも大勢の参加者がいる中ではトラブルも起こる。
そういったとき、スタッフの目が届かない場面で準スタッフが活躍する……そんなこともあり得るだろう。
そんな時、高村の言うように自分の行動を決める後押しになるかもしれない。
「新刊、お出しになられましたのね」
「おかげさまで。これでひと段落ついたわ。ふふ、二次創作って案外楽しいものね」
「分厚い……」
「ええ。二次創作はこれで終わりにしようと思って。だから張り切っちゃった。おかげで印刷費がかさんでピンチよ。ふふ」
「終わり……ですの」
「そう。終わり。スッキリしたから」
三部作、ということなのだろう。
重なる夏の物語……『かさなつ』の二次小説。
あかねは自分と高村を結び付けた黄色い表紙に愛おしい視線を向けた。
「ご卒業、ですのね」
「……そうね。少し寂しいわ」
自分の表現したかったものを書ききって、活動を終える。
多くのサークルがそうなのかは分からないが、祝いたい気持ちと寂しいが同時にある。
何となく口にしたが、卒業とよく似ている。
「ここまで続けてこられたのは瑞光寺さんのお陰だわ」
「そんな。高村先生ご自身の……」
高村は首を振る。
「私はあの日のことは忘れないわ」
茶化す雰囲気はどこかに消え、強い力を持った目であかねのことをじっと見つめる。
「初参加の時、売れたのは瑞光寺さんが手に取ってくれた一冊だけだった。そして、助言をもらったから……瑞光寺さんが助けてくれたから、少しずつ手に取ってもらえるようになったのよ」
ふたりを繋いだ黄色い表紙を、そっと撫でる。
「改めて、自分の本に……あ、こっちじゃなくてね。商業で出してもらってる本。あれも、デザイナーさんが装丁を作ってくれて、営業さんが売り込んでくれて、書店の方が宣伝してくれて、そういった助けの上で売れてたんだって再認識できたわ」
高村学海の本は、何度か重版がかかり、色んなメディアにも紹介され、その度に名が売れる。
だが実際はその周囲に『売ってくれている人』がいるのだ。
次はそういった人たちが奔走する話を書きたいと笑う。
「同人誌って、いいわね」
一時期は出版社の移籍も考えたそうだが、その恩を思い出して戻ったらしい。
他の出版社でも引く手あまただったようなのだが……
「そういえば、トシヤから何かあった?」
あかねは首を横に振る。
「もう、スタッフはなさらないのかしら」
「どうかなあ。結構楽しかったみたいだからまたやりそうだけども。赤い紐の件は?」
「メッセージは送ったのですが、お返事がなく」
「そんな不義理をしてるのか、あいつめ……」
姉の顔になった高村を、あかねは力のない笑顔で止めた。
今は彼にとって、今後のキャリアを左右する大事な時期だ。
「お忙しいのだとと思いますわ。ご迷惑でなければ、お待ちしております、とお伝えくださいませ」
本当は自分から会いに行きたい。
トシヤのことを思い出し、あかねの胸が小さく痛んだ。




