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同人誌即売会と悪役顔令嬢  作者: 狐坂いづみ
C100夏編
142/171

第126話 0日目 君堂の到着

 気付けば、印刷所の搬入とチラシ撒きが始まっている。

 ホール内のあちこちに人影があり、にわかに活気づく。

 搬入の車両も入り込み、車両注意の掛け声がホール内に響いている。

 

 ホール本部の備品配置をあれやこれやと動かしていると、聞き慣れた明るい声がした。

 

「遅れたー」

「お、君堂が設営日に来るなんて珍しいな」

「いやー、今回は出ておかなきゃいけないような気がしてさ」

 

 倉敷と同じことを言っている。

 明るく言ってはいるが、楽観的ではいられないのだろう。

 どこか落ち着かない瞳があかねを見つけると小さく手を振った。


「コミパック作り終わったし、瑞光寺さん少し休憩していいよ。手伝ってくれてありがとう」

「お役に立てて何よりですわ」


 本部スタッフが気を遣ったのか、休憩を勧めてくれる。

 見本誌を収納する箱……通称コミパックを作り終えると、あかねは静かに君堂の方へと歩み寄った。

 あかねを見上げる君堂に、優雅に膝を折ってみせる。

 

「君堂さん、ごきげんよう」

「瑞光寺さん、お疲れ様」


 上半身は珍しくきっちりとしたブラウスで、汗ばんだ顔には少し疲れが見える。


「お仕事帰り、ですわよね」

「うん。まあね……江口橋さん来てた?」

「ええ。地区本部に詰めていらっしゃいました」

「あー、そうか。そうだよね」


 思い当たることがあるのか、君堂はひとりでうんうんとうなずいた。

 

「んー……ちょと巡回行こうか」

「承知いたしましたわ」


 

 ふたりして中央縦通路を歩く。

 左右に搬入のためのトラックが停車していてあまり広くはない。

 あちこちで台車が行き交い、チラシを撒く人の姿もちらほらいる。

 近くの机の上を見ると、同人誌の委託業務を請け負っている会社がチラシに汗拭きシートを同梱して配っているようだ。

 サークルとしても、これは便利でありがたいだろう。

 

「雨はどうでしたかしら」

「うーん、そこそこ。それより風が強くなってきたね」


 そう言う君堂の前髪が、シャッターから吹き込んだ風に少し揺れる。

 じっとりと湿り気を含んだ風は、これからの天気の崩れを予感させた。

 

「早く帰った方が良いのでしょうね」

「そうだね……おっ」


 足元に落ちていたチラシを拾うと、汚れが無いことを確かめて机の上に戻す。

 飛ばないよう椅子の下に差し込むところはさすがの君堂だ。


「搬入の車両があるからシャッター閉められないんだよね」

「明日もこうですわよね」


 あるいは、もっとひどいか。

 天気予報では台風は千葉県に上陸する見込みとなっていた。間違いなく大きな影響が出る。

 

「だろうね。外売りはできないかなあ……これはホールの中が忙しくなるよ」

 

 トップレベルに人気のあるサークルは、外の広いトラックヤードに長い列を作り、シャッターから外向きに頒布を行う。シャッターサークルと呼ばれる由縁だ。しかし、その外売りができない。つまりホールの内側に行列を作ることになる。

 外周のシブロックや、外周側に列を逃がしていた偽壁のネノブロックなどは混雑することは明白だ。

 しかしそんな予想をする言葉とは裏腹に、隣に立つあかねを見上げながら君堂は笑顔を見せる。

 

「あたしも頑張るから、頼ってくれていいよ」

「朝日さんも同じことをおっしゃいましたわ」

「そっかー」


 隣のハパブロックには混雑対応のプロともいえる小竹や雲雀も控えている。

 副ブロック長という役割を持ったあかねは、周囲の力を借りることの重要性を理解していた。

 今回もメンバーに精一杯頼りながらネノブロックの平和を守る。

 決意を新たにするあかねだった。

 


 

「うわ、結構降って来たなあ……」

 

 シャッターからトラックヤードを窺うと、君堂の言う通り本降りの雨が地面を叩いていた。

 搬入部スタッフは重厚な雨具をかぶり、赤く光る棒を振って車両を誘導している。

 間違いなく今最も過酷な部署だろう。

 

「おっ……警察の人もいる」


 君堂が指差す方に、あまり見慣れない箱型の警察車両が止まっている。

 その周囲には数人の警察官と思われる人影もあるが、搬入部と同じく雨具を着ているため、薄暗い天気もあってはっきりとは分からない。

 ただ数人が外向きに見張っているような立ち位置であるため、ちらりと見える制帽から判断できる。

 

「ほんとに来たんだ」

「物々しく見えますわね」

「警察の人には悪いけど、暴風雨にたたずむ警察って絵になるなあ」

「それは、そうかもしれませんわね」


 雨風をじっと耐え忍ぶ見張り役。確かに何か物語性を感じる。

 車両の奥で何やら設営をしているようだが、どうもスタッフも手伝っているらしい。

 時折スタッフと笑い合う程度には余裕があるようだ。

 こうやって今会期だけとはいえ、少しずつ信頼関係を築いていくのだろう。

 

「警察って、お語の中だとあんまりいい役じゃないことが多いけど、こうして味方だと思って見ると頼もしいねえ」

「本当に」

 

 怪獣に蹴散らされたり、主人公に追跡を撒かれたり、そういった情けなさはどこにもない。

 フィクションはフィクションだ。現実の彼らはとても頼りになり、そして権限を与えられた頼れる味方なのだ。

 恐らくはコミマスタッフの中にいる関係者の口利きと、コミマの幹部が決断した結果なのだろう。

 このC100夏に厳戒態勢をもって臨む体勢を作り上げているのだ。

 

 しかし、逆に言えばこれほどの人員を投じなければ安心できないということでもある。

 あかねの夢を仮定するのであれば、ここでテロが起こることを想定していると言っていい。

 テロを未然に防ぐのは、とても困難であると物語っているようだ。



 本部へと引き返すふたりだったが、強い風が吹き抜けていく。

 不安定な風向きと強さ。明日もどうなるか分からないが、頒布に影響が出る恐れは十分に考えられた。

 今の風でまた数枚のチラシが床に落ちたようだ。

 どちらが言い出すでもなく、近くのチラシを拾い上げる。

 

「うーん、きりがないなあ」

「明日の朝にまとめて拾う方が効率的かもしれませんわね」

「そうだね……それじゃあここまでにしとこうかな」

 

 君堂は足元に落ちているチラシを拾い上げようと手を伸ばす。

 すると胸ポケットからパスケースがぽとりと落ちた。

 パスケースはその中身を見せるようにして地面に広がっていた。


「あら。わたくしが拾いますわ」

「あっ! いやっ!」


 君堂が声を上げるより早く、あかねがそのパスケースを拾い上げる。

 不意に目に入った君堂の免許証。

 その名前の文字数が多いように感じたあかねは、じっとそれを見てしまった。

 

『江口橋 莉子』


「あら、君堂さん。お名前が……」

「ああー……」


 目を閉じて天を仰ぐ君堂。

 あかねはその様子を見下ろしながら、パスケースを差し出した。

 

「ご結婚なさったのですか?」

「シッ……まあ、そう」

「おめでとうございます」

「あはは……」


 あかねが差し出したパスケースをそっと胸ポケットにしまうと、君堂は照れたように笑って見せた。

 

「あの江口橋さんですわよね」

「そうです……黙っててごめんね」

 

 あかねにとっては知り合い同士が結婚した初めてのケースになる。

 知らされなかったのは少し残念な気がしたが、何か理由があってのことだろう。

 再び本部へ向かって歩き出すと、あかねが尋ねた。

 

「スタッフの皆様に、どうして隠されておりますの」

「あんまり気を使わせたくないんだ。今回」

「そうですのね。では無事に終わってから盛大にお祝いいたしましょう」

「あーっ、ダメ」


 君堂は慌ててぶんぶんと首を振る。


「今そういうこと言うと、全部死亡フラグに聞こえてきちゃうの……」

 

 死亡フラグ。

 物語に登場する人物が死ぬ場合の伏線のことだ。

 

「『この戦いが終わったら……』というあれですの?」

「あれです」


 それは迷信を信じているような気恥ずかしさがあるのだろう。

 君堂は恥ずかしそうにうなずくと、誤魔化すように笑った。

 

「いやー、だからさっさと結婚しちゃったというか」

「では、死亡フラグに後押しされたんですのね」

「さっさと入籍だけはしておきたいってのもあったけどね」


 確かにふたりの距離は近く、従兄妹同士だと聞かされて納得していた。

 そういった感情だとまでは予想できなかった。

 口ぶりからすると、君堂からのアプローチだったのだろう。

 

「とても嬉しそうですわ」

「うん。最高の気分」


 誰かに話したかったのかもしれない。

 君堂の足取りは先程よりも軽く見えた。

 

「と、浮かれてちゃいけないんだけど……あっ」


 何かを見つけた君堂が、足を止めた。

 あかねもつられて足を止める。

 

「どうかなさいまして」

「印刷所の搬入の人……ほら」


 隣のブロックに段ボール箱を届ける印刷所の人。

 その右手首に、赤い紐が巻かれているのが見えた。


「あれは……」

「きっとそうだよ」

 

 それは、仲間である証だった。

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