第121話 それを潰す人たち
最後に少し暴力描写があります
「あ、悪いけど私この出版社のグラビア蹴るわ。は? あー、言っておくわね。私の尊敬する人に事実無根の誹謗中傷をしたからよ。以上」
そう言って放り投げた清川千歳の携帯が着信に震えるが、ベッドに転がって天井を眺めたまま無視をする。
これで自分のキャリアを終わらせたのだろうか。
尊敬するあかね様を貶める輩に一矢報いただろうか。
……どうせ自分の代わりぐらいいるだろうが。
「まあ、盛大に自爆しようかな」
ふっと気合を入れて腹筋で起き上がると、静かになった携帯を手に取った。
さて……
最後になるかもしれないアドレス帳をめくる。
「ご無沙汰してます。清川です。先日の表紙、とっても綺麗で……あ、そうそう。ちょっと聞きたいんですけど……」
自分を燃やしてでも、放火してやる。
「そう。あの出版社、私がお世話になった人の無根の記事を載せてめちゃくちゃにしてるんです。だから……はい。ええ、えっ本当に。ありがとうございます。今度オフショット撮りませんか。ええ、何人かでクルージングに誘われてて。ぜひ。はい」
通話の終わった携帯に目を落とし、小さくつぶやいた。
「あかね様は、私が守る」
もうひとつ息を吸い込んで気合を入れると、またアドレス帳を開いた。
「こんにちは、清川ですー。あ、今大丈夫? この間はお疲れー。あの、ちょっと確認したいんだけど……」
※
「あー、こんにちは。高村です。ちょっと折り入ってお話がありましてね」
高村夏見は問題の雑誌を冷たい目で眺めながら、極めて明るく電話で話している。
「今連載準備してる文芸誌、やっぱりやめます。御社とはちょっとお仕事できないと思って」
人気作家だからこそできる傲慢な選択肢。
売ってくれたことに感謝はするが、お互いに相応の利益は得ているはずだ。
「何でって……まあ、私の縁者がひどい目に合わされてるから、ですよ」
夏見は雑誌名だけ伝えるが、縁者が誰かとはあえて言わない。
「最後の忠告ですけど、この件は気を付けた方が良いですよ。ってまあ、もう私には関係ないので好きにしてもらっていいんですが……これからのこと? うーん……どうでしょうね。でも」
高村夏見は妖艶な笑みを浮かべると、あの日の光景を思い出していた。
「作品を人に伝える方法なんて、いくらでもあるんですから」
※
和泉はとある出版社の幹部席で別の会社の雑誌を眺めていた。
「これは面倒なことになった」
噂によるとこの雑誌を作った関連会社を含め、とある大手の出版社が関係する各雑誌でモデルが次々辞退し、文芸作家も作品を引き上げる案件がいくつも起こっているらしい。
そして当然のことながら、受け皿として同規模の大きな出版社……つまり和泉の座るこの会社に白羽の矢が次々と飛んでくることになる。
まさに今、その報告を部下たちから受けているところだ。
「というわけで来月号の目処が立っていないようで……」
「はあ。だろうな」
「だろうな、ですか……」
どこか達観する和泉を見て、年上の部下が慌てる。
和泉の目は、彼らを見ているようで見ていない。
「うちにとっては仕事を取る機会だが、しかし期間が短すぎるな……」
問題の記事はすぐに分かった。
芸能人のこの程度の記事は日常茶飯事だろうが、ただ相手の女性の素性の裏を取らないものか。
雑な仕事に呆れるばかりである。
「どうしてこんな杜撰な仕事がまかり通るのやら……馬鹿な社員を持つと大変だな。うちも念のため再教育しておくか」
少し調べれば相手がそれなりの金持ちで、間接的に芸能界にも繋がりがあって、さらに調べれば厄介な関係にもたどり着きそうだが。
彼女自身というより、繋がった人間たちを考えれば、こんな記事は世に出せない。
「ここだけは、触っちゃいけなかったんだよなあ。まあ急ぎおやじ……いや、社長に持って行くわ。うちのグループ全部でも受け入れられるか怪しいから、美味しいところは確実に拾い上げておけ。あとまあどこかで折り合いがつくだろうが、それまでどう動くか見当もつかん。アンテナちゃんと張っておけよ」
部下に指示を出すと、足早に部屋を後にする。
後日、一足遅れて和泉の出版社に嵐が吹き荒れ、会社は通期予想を上方修正することになる。
※
大手印刷会社でもまた、急な呼び出しが行われていた。
「お呼びですか、播磨本部長」
「はあ……おい。ここの担当誰だ」
「えっと……確か」
播磨が示した雑誌名を見て、営業部長が担当の若手の名前を伝える。
「そうか。そいつと課長呼んで来い。今すぐ」
「今ですか」
「今だよ」
ただ事ではない。
社内の打ち合わせを急に打ち切り、担当と課長、そして部長が播磨の前に立って並んだ。
いつも陽気な本部長だが、珍しく機嫌が悪い。それも極めて。
何か失敗したかと巡らせるが心当たりはない。
そして、播磨が唐突に口を開いた。
「悪いが、金輪際ここと付き合うな。取引は今回限りで終わりだ」
「はっ!?」
机に投げられた雑誌を見て、部長が声を上げる。
課長と担当も戸惑うばかりだ。
「えっ」
「いや、急に何が……」
播磨の指す『ここ』が雑誌単体なのか出版社全体なのか分からないが……
それにしても急すぎる。
「あの、何か問題がありましたか」
恐る恐る部長が尋ねると、播磨は大仰にため息をついた。
「記事の内容までは言及しない約束だが、今回は対象が不味い。相手は『社長が多く住む町』の大地主だぞ。どこまでが敵に回るか分からん。こっちに火の粉が降りかかる前に切れ」
「は、はい!」
それに加えて播磨が個人的に目をかけてる人間が事実無根で中傷されている。
何もかもが不味かった。
もちろん部下は知る由もない。ある意味では理不尽な怒りなのだが……
漏れ出るような怒りの感情を見せる播磨に向けて、意見や反論ができるはずもない。
「というわけで俺からの命令だ。指示じゃないぞ。意味分かるな」
「はっ、はい!」
「まあ全部回収して謝罪広告打つなら考えないこともない。その辺の選択肢は匂わせておけ」
「はいっ」
駆け出す部下の背中を無感情に眺めていた播磨だが、手元の雑誌を一瞥した。
「それにしても、こんなクソな記事をうちで刷ったなんて、恥ずかしくて死にたくなるぜ……」
※
高級住宅街の一角に、一条家が居を構える。
「お父さん」
「佐奈枝か。どうした」
「この雑誌に、お父さんの会社の広告が載ってる」
手渡される雑誌。
娘にあまり縁のなさそうなゴシップ誌を手に、父親が戸惑いを見せる。
「それが、どうかしたのか」
珍しく娘の方から話しかけてきた嬉しさがどこかに消えてしまった。
何が言いたいのか分からず、続きを促す。
「その雑誌が、私の友達を傷つけている。そんなのに、お父さんの会社の広告を載せてほしくない」
「……佐奈枝、詳しく話しなさい」
次の日すぐに、広告引き上げの知らせが飛ぶことになる。
※
同じ街のまた別の一角に、冷泉家の屋敷があった。
「おじい様」
「美弥子か、珍しい。どうした。また何か企んでいるのかい」
絵に描いたような好々爺が椅子に座ったままで笑顔を向けた。
孫に非常によく似た糸目だが、見え隠れする眼光は異常に鋭い。
「私が助けを求めたら、おじい様は助けてくれますか」
「はっはっは。おかしなことを聞く。今まで美弥子のお願いを無下にしたことなどあったかな」
「運動会で一緒に走って下さらなかった」
「まだ許してくれていないのか……」
彼女が小学校の頃の話だ。
祖父母の代と一緒に紐を持って走るという競技に、出なかった。そのことを数年に一度、思い出したかのように非難する。
それはある種のお決まりのやり取りであり、おねだりをするときの常套句でもあった。
だが、今回は少し事情が違っていた。
「許します。このお願いを聞いて下さったら、もう今後一切、この件で責めることをいたしません」
孫の「許す」など、これまで一度も聞いたことが無かった。
彼女の糸目の奥の真意を探るように、祖父がゆっくりと目を向ける。
「……なんだね」
「私の友人を、助けたいのです」
「ほう」
「とある出版社に圧力をかけていただきたいの」
「なんだ。そんなことか」
老人にとっては赤子の手をひねるようなものだが、孫の目はいつになく真剣だ。
これを逃せば、もう二十年以上前の失態を許してくれる機会もないだろう。
「よかろう」
※
その編集長は、浴びるように酒を飲んでいた。
親会社に殺到した、モデルの掲載拒否、作家の作品引き抜き、漫画家のボイコット、印刷会社からの取引打ち切り……
広告を掲載していた複数の会社からも引き上げの通知が来た上に、親会社は銀行からの資金の回収通知を受けたという。
経営に大きな影響はないはずだが、出向社長が射殺すような目で自分のことを見ていた。
「んだよ、ウゼエ……」
自分は仕事を全うしただけだ。
世間様に興味と娯楽と提供し、話題を作ってお金をいただく。
芸能人もまあ似たようなものだろう。それなりに金も貰っているはずだ。
今回の仕事に限って非難されるのはどういうことだ。
「ちょっといいかい?」
「あ? ……!」
誰かに話しかけられと思ったら、返事も待たずビルの隙間へと押し込まれた。
「へぶっ」
無様に地面に転がされる。
小さい雑誌でも大手出版社に関係する雑誌の編集長、一国一城の主。
苦労を積み重ねてこの地位についた自分が、どうしてこのようなことをされなければならないのか。
「なっ、何だ……俺が何ブッ」
「許可が出るまでしゃべんなよ」
腹に容赦ない蹴りが入る。
涙目でこみあげるモノを押し込み、蹴った人物を見上げる。
逆光で良く見えないが、明らかに堅気の人間ではない。そして後ろにもうひとりいるようだ。
蹴りを入れた人間を横にやると、その男は優しい声で話しかけた。
「明日の早朝に、雑誌の回収の"お願い"がある」
「おねガッ」
「誰が喋っていいって言った?」
今度こそ、無理だった。
逆流したものを壁に流し、酸っぱい痛みがのどに残る。
「黙って聞け」
蹴った男の言葉にコクコクとうなずくと、後ろの男は満足したように笑みを浮かべた。
どこにでもいそうな優男だが、蹴る男を従えているように見える。
言いようのない恐怖を感じたまま、言葉を待つしかない。
「その"お願い"を聞いてくれるなら、これ以上どうこうしない。だが、聞かなかったら、まあ、そうだなあ……」
優男は一枚の写真を携帯で見せると、涼しい顔で笑いかけた。
「郵便番号xxx-xxxxあたりにいるお前と同じ苗字の人たちが不幸な目に合うかも。それでも何も動かなかったら……ああ、どうしようか。考えてなかったな」
うーんと考える優男に、蹴る男が顎で腕を指す。
「多少先払いしてもらったらどうです」
「ああ、そうだな。先に一本ぐらい折っとこうか」
その言葉を待っていたかのように、蹴り男が勢いよく足を踏み込んだ。
「ギャアアアアア!」
「うるせーな……」
「ゴフッ」
腹に膝が入る。たまらず息ができなくなる。
もはや力尽きて地面に這いつくばることしかできない。
「ああ、警察に泣きついても意味ねーぜ。今この辺りの監視カメラは『なぜか』止まっているからなあ」
「そん……なん……ガハッ」
「まだ許可出してねーぞ」
頃合いと見たか、優男がゆっくりと言い聞かせる。
「指示のあった雑誌を間違いなく回収するんだ。でないと……骨じゃ済まないよ」
「発言を許可する。分かったか?」
「はい……はい……」
シャツを汚しズボンを濡らしながら、命乞いのように何度も何度もうなずく。
「よろしいですか」
「まあ、いいか」
許されたと理解した瞬間、気を失った。
ふたりは汚いものを見るように一瞥をくれると、何事もない日常の繁華街へと戻る。
優男は大きく伸びをしながらあくびをかみ殺した。
「あーあ。人の心のオアシスを侵さないでもらいたいもんだ」
「ほどほどにしてください」
「はいはい」
優男がそっと手に取った携帯の待ち受けに、名が知れ渡って来たコスプレイヤーの写真が設定されている。
仲間内では有名な話だが、ここまで入れ込んでいるとは思わなかった。
ひと仕事終えたふたりは馴染みの店へと消えていった。
その雑誌は速やかに、しかし静かに回収され、一方でその出版社では大幅な人事異動が行われた。
関わった全員が断片的にしか知らず、この事件の全容は分からないまま。
また新しいゴシップが生まれて死に、いつしかこの件は世間からは忘れられてゆく。




