第119話 姫に捧げる和菓子
ちょっとだけ幕間っぽいお話を挟んでC100夏を迎えます
梅雨明けのさわやかな暑さ……とはいかず、相変わらず湿度の高い日本の夏。
特にここ秋葉原ではさらに濃密に感じられる。
そんな秋葉原駅構内で、練馬の老舗和菓子屋が出店していた。
なぜだか大行列である。
期間限定で店を出すことはたまにあるが、これほどまでに人が集まるというのは聞いたことがない。
混雑の整理に駆り出される駅員に申し訳なさを覚えながら、猛烈な勢いで品出しをする。
「こんなに忙しいなんて聞いてないぞ!」
「店から追加持って来させろ!」
「今からですか!?」
「なんでこんなに忙しいんだ!」
てんやわんやする和菓子屋のスタッフの後ろで、大判ポスターに印刷された『照姫』が静かに笑っている。
『姫に捧げる和菓子』
控え目なキャッチコピーの後ろでほほ笑む『照姫』。
その表情は高貴で、優雅で、そして見る者を惹きつけてやまない深い魅力をたたえている。
※
それは春先。川崎オンリーの前にまでさかのぼる。
土曜日レッスンからとある和菓子屋へと向かうことになっていた。
メインの用は、雀田の仕事だ。
その和菓子屋の管理している物件で相談したいことがあるという。
あかねは家に帰っても良かったのだが、せっかくなので和菓子を買いたいと雀田にお願いしたのだった。
昔から顔を知ってる店ということもあり、同行には問題なかった。
目的地は老舗和菓子屋の宗家大紫堂。
通りに面した古めかしい佇まいは、手入れが行き届いており矜持を感じさせる。
店の隣にある駐車場に車を止めドアを開けると、ほのかに甘い香りが鼻をくすぐった。
「こんにちは。瑞光寺の雀田です」
「あー、雀田さん。すみませんねえ、ご足労頂いて」
「いえいえ」
人の良さそうな老年の奥さんが雀田に笑いかける。
少し遅れて雀田の後ろに立つあかねにも気が付いた。
「あら、お嬢様も。どうなさいました」
「わたくしは買いに参りましたの」
「そんな。お届けいたしますのに」
驚いた表情を見せる。
そう。電話で注文を受け配達してくれるのが常だ。
わざわざ店先にまで買いに来ることはめったにない。
「自分で選んで買う楽しみもありますわ」
「そうですか。ごゆっくりお選びください。もうすぐ主人が戻りますのでぜひ顔を見せてやってください」
ここを訪れるのは四年ぶりぐらいだろうか。
いつも奥さんが配達してくれるので、店主に会うのはそれ以来になる。
奥さんはあかねに丁寧に頭を下げると、奥の座敷へと雀田を案内する。
「雀田さん、こちらどうぞ」
物件の管理は奥さんの役目らしい。
店主は実直な和菓子職人なので、役割分担をしているのだろう。
「それではお嬢様、私は少し時間がかかりますので、安威に車を出させます」
「いいえ。それほど遠くはありませんし、歩いて帰りますわ」
「おひとりではいけません」
「過保護ですわね……」
とはいえ、このままでは雀田たちの仕事を否定することになってしまう。
ここで抵抗しても雀田が奥さんとの話し合いに移れない。あかねは折れるべきだろうと考えた。
「分かりましたわ。終わったら安威に連絡いたします」
ほっとした表情を見せた雀田を見送ると、あかねはひとりショーケースの和菓子を眺める。
春の和菓子の店先は、彩に溢れていて心が躍る。
色鮮やかで繊細な造りの練り切りにも心惹かれるが、この季節はやはり桜餅だろうか。
家族の分と従業員の分は足りそうだが、きっとひとつずつでは物足りないに違いない。
いつもはいくつ配達してもらっていただろうかと考えていると、後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
どうやら誰かと電話をしているらしい。
「……ほんと、ろくな提案がねえんだ。制作会社のレベルが下がったんじゃねえか」
何やら愚痴のようだ。疲れたように肩を落としながら店に入って来る店主と、ふと目が合う。
「あら。ごきげんよう」
「おじょっ、お嬢様! ……じゃあまた電話するわ。おう」
店主は急いで電話を切ると、あわててあかねに頭を下げた。
この辺りでも最上級の上得意だ。電話しながらの挨拶など許されない。
「お電話、よろしかったの?」
「いえ大したことじゃございません。大変失礼しました。いらっしゃいませ……今日はどうなさったんですか」
「雀田が奥様とお話があるとのことでしたので、ついてまいりましたの」
「それはそれは。わざわざお越しいただいて」
「わたくし、このお店の雰囲気が好きですのよ」
あかねは店内をぐるりと見回すと、以前と変わらない佇まいにふっと力を抜いた。
守るべきものが、守られている。
何とも言えず安心できる空間だ。
「もちろん、お菓子も」
あかねがリラックスした笑顔を向ける。
そのまばゆく輝かんばかりの表情に、店主は言葉を失った。
昔から美人の顔立ちではあったが、こんな表情は記憶になかったからだ。
もちろん東英のレッスンのお陰なのだが、知る由もない。
あっという間に許容量を超えた店主は、勢い良く頭を下げ、そして……
「お嬢様、うちのCMに出てください!」
ほとんど反射で叫んでいた。
宗家大紫堂のCMは、関東圏の深夜枠でたまに放送されている。
四十年以上前のCMであり、出来は良いのだがさすがに褪せてきた。
視聴者は「おっ、やっぱり深夜は古いCMが流れるな」と思うだけでそれほど気にも留められない。
元号も変わってしばらく経つ今、リニューアルを思い立ったのである。
どうやら先程の電話もその件だったらしい。
「CM……」
あかねは考える。
この店は、この地に根を張り、長らく頑張って来たという点では瑞光寺とも共通している。
あかねも気に入っているお菓子を継続して作ってもらうために、お店が繁盛するに越したことは無い。
その宣伝に協力するのは、地域のためになる。
「構いませんわ」
「ありがてえ! あの、出演料もお支払いしますので」
「そのあたりは雀田と相談してくださいませ」
「分かりました! またご連絡いたしますんで!」
土下座せんばかりに何度も頭を下げると、興奮した店主は履物も散らかしながら奥の座敷へと駆け出した。
「おい! お嬢様がCMに出てくださるぞ!」
割を食ったのは急に仕事が増えた雀田だったが、別途で特別に給与が上乗せされることになった。
瑞光寺で芸能プロダクションでも始めてみるかとの社長の提案には断固拒否したようだが。
※
無事完成したCMは、あかねのアドバイスという名の希望があり、深夜枠のアニメで放映された。
ごく限られた時間帯ではあったが、またたく間に話題となった。
『今のCMの姫が美しすぎる。誰だ』
『見たことない。誰か知ってる?』
『分かんない。綺麗すぎる』
『【拡散希望】この女優さん知ってる人いらた教えて』
謎の姫の正体は不明のまま。
宗家大紫堂には何本か問い合わせの電話があるようだが、公表できないとしているようだ。
しかし、その電話も日増しに増えてくる。
これ以上は迷惑になると思ったあかねは、SNSで発信することにした。
『謎の姫、コスプレイヤーのAKANEらしいね』
『どこかで見たことあると思ったら、そうなんだ』
『この間アップしてたね。なんで公表遅れたんだろう』
雀田が撮っていた衣装合わせの時の写真をアップすると、待ってましたと言わんばかりに大いに拡散されて話題になった。
『Chikiも書いてるから確定』
『あ、ほんとだ。「AKANEさんがCMご出演の和菓子入手!」ってステマ?』
『いや、かなりダイレクトだろ』
『安い割に美味いらしい。気軽に買いに行ける東京の人うらやま』
『東京の人も気軽に練馬に行けるわけではない』
宗家大紫堂が秋葉原駅構内に出店したのは、まさにそのタイミングだった。
しばらく謎の姫とされた衣装は大判ポスターに実に映えた。
さらに一部で注目されていたコスプレイヤーだ。
秋葉原という場所との親和性が相乗効果をもたらした。
「あの、ポスター撮影していいですか」
「いいですよ! SNSに上げるときはハッシュタグ? 付けてくださいね!」
「分かりました!」
定型句として回答するようにスタッフは教育されていたが、その「ハッシュタグ」が何なのか分かっていない。
それが自分の仕事を増やしているとも気付かずに。
宗家大紫堂の出店は、これまでにない売上を記録したという。
秋葉原出店を経験した宗家大紫堂はオタクパワーを目の当たりにし、その後もイラストを使ったパッケージなどで販路を見出していくことになる。




