第114話 トシヤ来りて
雀田しのぶは支給されたペットボトルのお茶を口に含むと一息ついた。
一部の印刷所搬入が遅れているようだが、おおむね順調に進んでいる。
設営はすっかり終わり、サークル入場も八割程度だし、受付も順調に進んでいる。
今日は44サークルだったはずなので、15サークル済んでいる状況でも三割終わっているのでとても進捗があるように感じる。
入退場口は一条の担当だが、隣に座っている雀田は意識してそちらを見ないようにしている。
口々に「似ている」と言われるが、本人たちはそう思っていないので困ってしまう。
お嬢様曰く、その困っている様子すら似ているそうなのだが。
見知った顔がサークル受付にやって来た。
「トシヤさん、ごきげんよう」
「おはよう、あかねさん」
片や艶やかな黒髪のお嬢様が上品に笑う。
片や涼し気な佇まいの好青年がさわやかな笑顔を向ける。
傍から見れば浮いているほどの美男美女が、同人誌即売会の一角でにこやかに挨拶をしている。
雀田はたまにドラマの撮影現場に立ち会っているが、そこで繰り広げられる光景に通じるものがあるように感じていた。
つまり、絵になる。
「今日は始発ではありませんでしたのね」
「あかねさんは始発だったの?」
「いえ。今日は雀田と車で来ましたの」
「なるほど。それは快適そう」
急に振られた雀田は、高村トシヤの視線を受けて軽く会釈をする。
トシヤは丁寧に会釈を返すと、にっこり笑いかけた。
雀田は不覚にも緊張する。
本職の俳優の笑顔はさすがとしか言いようがないが、とにかく距離が近い。ほぼ机一本の幅しかない。
トシヤの出演している番組もなかなか盛り上がり、それなりに人気が出てきていると聞いている。
こんなところにホイホイ参加しても大丈夫なのだろうか。
「よろしければ帰りにご一緒なさいますか」
「いや……それはさすがに悪いような」
「ねえ、雀田」
また急に振られる。
確かに車に余裕はあるが、反射でうなずいてはいけない。
「打ち上げはどうするんですか」
「トシヤさんもお呼びすれば良いではないの。倉敷さんに許可はいるでしょうけど」
良いのだろうかとも思ったが、お嬢様の言う通りそれは自分の判断することではない。
それにトシヤもただのサークルではなく、C99冬に同じブロックで苦労した仲間だ。
強く断る理由もない。
「お送りすることについては構いません」
「じゃあ……あとで倉敷さんに話してみるよ。打ち上げに参加できそうなら、帰りをご一緒させてください」
「ええ」
また眩しい笑顔を向けられながら、雀田は澄ました顔で返事をした。
半分ほどサークルの入場が進み、受付も順調に進んでいる。
窓口を雀田とお嬢様のふたり体制にしていることもあり、サークル側もほとんど待たずに受付できているようだ。
「はい、こちら問題ありませんわ。よろしくお願いいたします」
登録証をアルバムに収納したところで、雀田の前に深刻そうなサークルがやって来た。
「あの、新刊がまだ届いてないのですが……」
「えっと……印刷所の直接搬入でしょうか」
「はい」
「あ、ではこちらへよろしいですか」
手を上げて合図するChiki。
こまごました問い合わせは、一旦Chikiが受けることになっている。
ああ見えてChikiは人の話をよく聞き、理解する能力が高い。
系統は違うが「相手が自分に何を求めているのか」を察することがコスプレと通じるのかもしれない。
印刷所の搬入については、社名と当日連絡先のリストが用意されていたはずだ。
「ちょっと待ってくださいね……」
Chikiは搬入業者のリストを取り出すと、チェックが入っていない印刷会社を見つけたようだ。
と、そのタイミングで入口から聞き覚えのある声がかかる。
「搬入……です、いいですか」
「おはようございます。事故渋滞があって少し遅れました」
「根岸さん。神崎も」
遅れていた最後の印刷会社は、身内だった。
お嬢様に「連絡を入れなさい」とお小言を言われながら、神崎が体を小さくしている。
普段の仕事ぶりは問題ない。こまめに連絡をよこすのだが、今日に限ってどうして……まあ、隣の小柄な女性がいるので言わずもがなか。
児島が搬入会社の確認を終えると、遅れたふたりはやや焦りながら搬入の準備を始めた。
「荷物はサークルさんに直接配られますか」
「数はそれほど多くないので、配ります」
「助かります。終わったら本部に声をかけてください」
「はい」
外はねの髪をふりふりさせながら根岸が台車を押し、神崎は嬉々としてダンボールを抱える。
数は五つもないだろうから、影響はそれほど大きくはなさそうだ。
大きくなさそうと言っても、該当するサークルは心配しただろう。
そこは小柄な根岸が申し訳なさそうに謝罪をしている。役割分担がしっかりしているようだ。
「仲が良さそうですわね」
「ええ。神崎のやつ張り切ってますね」
お嬢様と雀田はその様子を微笑ましく眺める。
こそこそと君堂が近寄ってくると、小声で尋ねた。
「ねえ瑞光寺さん……あれって瑞光寺さんのとこの、浜松町手伝ってくれた、いつも見本誌運んでくれてる神崎さんだよね」
「ええ、そうですわ」
「印刷会社の搬入はバイト?」
「そのようですわ」
「ふーん……?」
普段の瑞光寺の仕事とバイトが両立できるのが不思議なのだろう。
君堂が今ひとつ飲み込めない表情のままで曖昧にうなずいた。
「もしかしてあのふたり、付き合ってる? ってそんなわ」
「ええ、交際しているようですわ」
「うえっ!?」
かぶせ気味にお嬢様が言うと、君堂がのけぞった。
「も……もしかして浜松町のオンリーがきっかけ?」
「そこまでは」
「そ、そっかあ」
どうも根岸の方とは長い付き合いらしい。
あまりそういう話題にはならないのか、本当に何も聞いていなかったようだ。
「根岸さん、最近スタッフやらずに搬入ばっかりしてると思ったら、これかあ……」
元々イベントスタッフはたまにしかやらなかったようなのだが。
その「たまに」が浜松町で、偶然神崎がスタッフをすることになったイベントだというのは奇妙な縁を感じる。
「意外……だけど、仲良さそうだね」
「ええ。毎回コミマで搬入を手伝いしているようですわ」
「知らなかった」
本当に知らなかったのだろう。
祝いたい気持ちとそっとしておきたい気持ちで複雑な君堂である。
「知り合いに会うと気まずいからと西を中心にお手伝いしているようですわ」
「その割に今日は堂々としてるなあ」
「吹っ切れたのかもしれませんわね」
朝の搬入時間、展示場の一角に花が咲いている。
お互いを思いやる表情で見ているふたりは、本当に仲が良いのだろう。
雀田は羨ましいと思うと同時に、何やら焦りを感じる。
(まだ慌てるような時間じゃない……)
とはいうものの、時間が過ぎるのは早い。
楽しいイベント会場で考えることでもないのだが。
開場時間が刻一刻と近づいてくる。
慌ただしくなり始める雰囲気の中、改めて自分たちが任された仕事が順調であることを確認する。
本部周りは問題なし。
後は外の待機列と、開場後の混雑対応だけだ。
それも実力者がそろっている。雀田の出番はまずないだろう。
「ごめんなさい、君堂さん、ちょっと外に手が欲しいみたいなんです。今館内が落ち着いているから、誰か館外の手伝いに回ってもらっていいですか」
「了解! ひとまず和泉さんにお願いしてみるね」
慌ただしく君堂が和泉に声をかけに行く。
それほど混雑しているということか。否応なく緊張感してきた。
隣のお嬢様は泰然としているが、この差は何なのだろうか。
「雀田さんは、受付済みリストと出席しているサークルさんを比べてもらって、まだ受付してないところがあったら誘導対応してもらっていいですか」
「分かりました」
「瑞光寺さんは雀田さんが出た時点での受付済みサークルさんの数を教えてください」
「承知いたしましたわ」
指示が的確だ。倉敷も吹っ切れたのだろうか。
内心はどうか分からないが、焦りを表に出さないという点で代表として十分責務を果たしていると言えそうだ。
指示の通りに手を動かし始める。
残りは2サークル……手前に配置されたサークルらしい。ぱっと見てどちらも準備中だ。
「お嬢様、残り2サークルです。受付済み42、欠席は無さそうですね」
「ええ、承知いたしましたわ」
(よし……)
無事に開場の時間を迎えるため、雀田は席を立った。




