第110話 女子会
夕暮れ時。
スリッパを準備する雀田しのぶは目の輝きを失っていた。
「雀田。お客様がいらっしゃいましたよ」
「はい」
正山の声に短く返事をする。
瑞光寺邸兼事務所は、門から玄関まで数メートルある。
雀田はそっとドアを開けて出迎える。
「あら。雀田さん」
「いらっしゃいませ」
ふわふわ糸目の冷泉は優雅に笑って頭を下げた。
もうひとり無言で会釈をする女性。ふと目が合う。微妙に気まずい。
一条だった。
「……お邪魔いたします」
「まあまあ。ようこそいらっしゃいました」
一般家庭よりもずいぶん大きな玄関は、シンプルであるがために余計に広い空間であるような錯覚を受ける。調度品と言えばシンプルな農村を描いた水彩画が一枚。それもA4ほどのサイズであり、この広い玄関に比してずいぶんと小さく見える。
珍しい客を迎える正山は、いつも以上に温和な表情だ。
「皆様の衣装を準備させていただきます、正山です」
「雀田です」
迎えられたふたりの女性は、礼儀正しく頭を下げた。
「付き添いの冷泉です」
「一条です……本当にやるの」
不満をあらわに一条が冷泉を見る。
一応ホストである雀田にその目を向けないあたり、育ちが良い。
あるいは、雀田の表情で何かを察したか。
「コミマも100回目で記念なのだから良いじゃないの」
「はあ……」
そんな会話を背中で聞きながら、応接室へとふたりを案内する雀田。
お嬢様はまだ帰っていないが、先に上がって済ませておくようにとの指示だ。
「衣装の概要はお伺いしております。今日のところは採寸さえさせていただければ。あとは完成してから一度試着においでいただきたいですが、よろしいですか」
「ええ」
「どうして冷泉が即答するの」
一条がジト目を向けるが、冷泉はどこ吹く風の様子。
「どうせなら冷泉も衣装を作ってもらったら。似合いそうなキャラがいたでしょ」
「なっ……」
「まあまあどうしましょう。こんな美人の皆様の衣装づくりだなんて、腕が鳴ります」
冷泉の言葉を待たず、正山が頬に手を当てて笑う。
その目には上品さの中にも燃え盛る炎が見え隠れし、採寸メジャーを手にした途端にさらに目つきが変わる。
スイッチが入ったのだろう。
「ひえっ」
誰かの悲鳴が聞こえたが、雀田は誰を見るともなく小さく口にした。
「諦めてください」
ちょうどふたりの採寸が終わるころ、お嬢様が帰宅した。
「ただいま帰りました。冷泉さん、一条さん、遅くなって申し訳ありませんでした」
「いえいえ」
なぜか正山が返事をする。
「その様子ですと、三人とも採寸が済んだようですわね」
「はい……」
力なく返事をする雀田に、お嬢様は笑顔を向けた。
ああ、眩しい。
「それでは早速制作に入らせていただきます。以前より申し上げておりました通り、この先しばらくは勤務が不規則となりますがご容赦のほど」
「もちろんよ。期待していますわ」
あかねはニコニコと笑う正山を微笑ましく見ていた。
少し前よりも若返ったような気さえする。
「それでは失礼いたします」
正山は丁寧に頭を下げると、走り出しそうな勢いで去っていった。
ああ、眩しい。
「晩御飯までいただいてしまった……」
「意外と庶民的なメニュー」
「美味しかったわ。雀田」
「恐縮です。お嬢様……」
今晩はお客様も加えて一緒に食事をとった。
間違いなく舌が肥えているであろう客人のため、当番である雀田も緊張していた。
だが、思い返してみればコミマで同じ弁当を食べているはずだ。
であれば、いつも通りやれば難癖を付けられることは無いだろう。
「遅番の従業員も一緒に食べるなんて面白いわね。中小企業みたい」
「ふふ。中小企業ですもの」
そう頻繁にあることではないが、さして珍しくもない。
タイミングが合えば食事を共にする。瑞光寺の中では普通のことだった。
雀田が箸を置いてすぐ、誰かが廊下を歩く気配がした。
ひょいと顔を覗かせたのは妹のすみれだった。
「ただいま、雀田。靴が多いけど、どなたかお客様……あっ、失礼しました!」
客人の気配に遅れて気づいたすみれが、慌てて頭を下げた。
まだ高校生でありその仕草にどこか子供らしさを感じる。
「妹のすみれですの。すみれ、こちら冷泉さんと一条さん」
「はっ、初めまして。姉がいつもお世話……に?」
関係性をはかりかねたのか、疑問形になる。
その様子を見た冷泉が、クスクス笑いながら会釈する。
「冷泉美弥子です。そうね。お姉さまにはお世話になっています。ねえ?」
隣の一条は一瞬険しい表情を見せるが、すみれには気付かれなかったようだ。
「一条佐奈枝です。よろしくお願いします」
ふたりの様子を見たすみれが、雀田を見る。
「どういった知り合いなの……東英で知り合った女優さん?」
「いえ。趣味の……仲間ですのよ」
「ふうん……」
分かったような分からないような。
オタクの集まりであるコミマと目の前の美女が繋がっていないようだ。
「女優ですって。正直な子ね」
「女優……」
一方、言われたふたりはまんざらでもなさそうだ。
意外なことに一条まで嬉しそうにしている。
「すみれ様、食事はいかがなさいますか」
「あっ、と……十分ぐらい後にいただこうかな」
「承知いたしました」
「それじゃあ、失礼します」
ぱたぱたと部屋に向かうすみれを見送り、雀田が席を立つ。
「お嬢様、私はまた後程」
「そうね。では、おふたりをお部屋にご案内いたしますわ」
※
すっかり夜も更けてきた。
あかねはちらりと時計を確認する。
先程弟にも挨拶も済ませ、今はお菓子をつまみながら短いアニメ映画を見ている。
「今のシーンの演技すごいわね……」
「……」
すぐ感想を口にする冷泉と、見入る一条。
エンディングのスタッフロールが流れる中、ふと、あかねは友人を部屋に招いたのは去年の根岸が初めてだったと気が付いた。
子供の頃に誰かを招き入れたことは無い。
はっきり言われたことは無かったが、見た目で距離を取られ、委縮され、同年代と対等な関係を築けたことは無かった。
別に、同年代でなくとも良かったのだ。ここに来てやっと気が付いた。
今度は君堂を呼ぼう。倉敷と児島も呼ぼう。
特に倉敷は比較的近所に住んでいるが、大学を出たらどこで働くのか分からない。今のうちに声をかけておいた方がいいだろう。
「どうしたの、瑞光寺さん」
不意に黙ったあかねを、一条がのぞき込む。
「今まで、こうして誰かをお招きする機会があまりなかったものですから」
「まあ、自室まで呼ばないわよね」
「いえ。家に呼ぶような友人がいないものですから」
「えっ」
一条が意外そうに言う。
「じゃあ、瑞光寺さんも友人?」
「それ以外なんなのよ」
冷泉の言葉に、胸が熱くなった。
さも当然のように、欲していた言葉をくれる。
「ありがとうございます」
「えっ、何が?」
よく分かっていない冷泉を放置し、一条はそっと右手を差し出した。
「これからもよろしく」
「こちらこそ」
静かな握手。
「えっ、えっ」
またも置いてきぼりの冷泉が、あかねと一条を交互に見ながら焦っている。
一条はちらりと冷泉を見て口元に笑みを浮かべる。
どうやら一条はこれが見たかったらしい。
「じゃあ友情の印に、冷泉面白エピソード十選を……」
「一条、それはダメ」
「いいでしょ」
「ダメ!」
心を許した友人同士の会話を眺めているだけでも面白い。
「瑞光寺さんも見てないで止めて!」
「わたくしは興味ありますわ」
「あああああ!」
その会話に入れてもらえることが、何よりも嬉しかった。




