第109話 こそこそする大人たち
江口橋誠司は立派な門を見上げてため息をついた。
「やはりノンアポというのは問題だと思うが」
「大丈夫だよ」
隣に立つ矢原はニヤニヤ笑っている。
東京の中心に建つ大学。
自分が非常に場違いなように思えるが、スイッチの入った矢原はお構いなしらしい。
時間は二十時を回ったところだ。夏至が近いとはいえもうすっかり暗い。
「小竹さんはいるのか」
「まあいるよ。行こう」
ずかずかと歩いていく矢原の後を、江口橋がとぼとぼとついて歩く。
こんな時間にもかかわらず、大学の中は人影がちらほらある。
自分の時はこんな時間まで大学に残っていた記憶はないが、最近は違うのだろうか。
「えー、小竹研……あったあった」
建物の入口に設置された内線電話を手に取ると、矢原は慣れた手つきで番号を押す。
「あ、どうも矢原です。遊びに来ました」
言うとすぐに扉のロックが解除される音がする。
「……」
矢原はちらりと江口橋を振り返ると、意味ありげにうなずいた。
茶番じみてはいるが、江口橋は渋々扉を開く。
「こんばんは、小竹先生」
「おう。とはいえ事前に連絡ぐらいよこしてくれ」
「まあまあ。俺たちも何時に上がれるか分からなかったんで」
小竹はあてがわれた個室で論文に目を通しているようだった。
「あ、この間送ったやつじゃないですか。プリントアウトして読むんですか」
「古い人間なんでね。メモもしやすい」
「なるほど……こっちは顔認証のロジックに目途はついたんですが、あとはマシンパワーだけでして」
「分かってるよ。何とかした」
小竹は何やらスケジュールの書き込まれた紙を矢原に渡す。
「おお、さすがこの道の権威」
「この件でふたり修論に乗っけてもらうからな」
「了解です。テーマは……これだと五つぐらいですか」
「そうだな」
話の見えない江口橋は、我慢できずに口をはさむ。
「そろそろ俺にも分かるように状況を説明してもらいたいんだが」
ふたりして「あ」と同じ顔をする。
他人のことは言えないが、男というものはいつまで経っても悪ガキから抜け出せない。
自分よりもさらに年上の小竹ですらこうなのだから仕方ないだろう。
「失敬失敬。今の研究は、個人の写真を基にその人物が当日どう動いたかが把握できるようにする仕組みについてだ。うちの研究室で進めているが、概ね目途がついた」
「今回は特定の顔写真と、会場の出入口に設置していたサーモカメラと、会場内の詳細位置情報システムを連結させて解析するのだが……」
「応用すれば駅や空港のカメラにも適応できて丸裸というわけだ」
そこまで聞いて、江口橋は引っかかった。
色々まずいのではないだろうか。
「……プライバシーも何もないな」
「学術研究だよ」
「そう。学術研究だ」
訂正。
男というものが悪ガキなのではない。
特に学者という道を選んだ者が、悪ガキなのだろう。
よく言えばあふれる探求心と知恵で世界を切り開き、悪く言えば自制心が効かない。
それが複数集まるとなおたちが悪い。
「学術研究は錦の御旗ですか」
「そうさ。御旗のもとに」
「ふふっ、そう。御旗のもとに」
目を合わせてニヤニヤするおっさん達に、不健康な輝きが宿る。
ろくでもないのだが、趣味のために黙認する自分もまた共犯かとため息をつく。
「まあさすがに人の数が多すぎる。だから我が国の誇る計算機に出張ってもらうというわけだ」
「建前は官学共同の研究として進めてるから、そういうのも可能というわけだ」
「法的な問題が出そうだが」
「ただのモデルケースだよ。次世代の犯罪捜査手法に関する研究だ」
「そう。モデルケースだ。警察庁と本学の立派な共同研究だ」
手が付けられない。
問題になった時のことを考えていない。
面倒なふたりだと思ったが、もしかしたら君堂から見た自分もこうだったのかもしれないとまたため息をつく。
「俺もそこそこ偉いし、小竹さんもそこそ偉いからこそ実現したわけだ」
「矢原。そこそこってなんだよ」
小竹が抗議する。
確かに、そこそこではない。
コミマスタッフの中ではかなり年上に属しているが、研究室持ちの中ではまだ若い小竹は期待の新星なのだ。
「詳細位置情報システムは偶然か?」
「それは偶然だ。とはいえ、あれもコミマスタッフの誰かが普段の職場から引っ張ってきたテーマらしいがな」
「コミマは特性上、大規模実証実験にもってこいだからな」
古くは携帯電話の回線増強のテストケースに選ばれ、大規模イベントにおける人員誘導の研修のため官公庁から人を受け入れ、床面発電の耐久性試験も行われ、館内の行き先サイネージをテストすることもあった。
そして今回の詳細位置情報システムと、体温計測付き顔認証装置。
すべてが「コミマだから」ではないにしろ、科学技術の面でもまた新しいものがこっそり披露されている。
「いやあ、完全に矢原の趣味だなあ」
「やだなあ。ついでにそちらも実績も出来上がるんだから言うことなしでしょう」
「ついでじゃない、ついでじゃない」
論文書かせるのがメインであると一応小竹は主張する。
「偶然と言えば……瑞光寺さんが俺を引き留めたのもC100夏までだったが偶然だろうか」
「それは、そうでしょう」
瑞光寺の非科学的な予知をこの場で話すことは無い。
ただやりたいようにやった中で偶然C100夏を迎えたということにしておいた方がお互い平和に過ごせる。
「この節目のお祭りには、立ち会ってもらいたかったんじゃないですか」
「ふむ、そうか。まあこの節目に自分の趣味……じゃない仕事で関われるとは思ってなかったな」
「結局趣味でしょ。仕事も」
「まあな」
アカデミックはみんなそうだよ、と小竹が付け加える。
矢原は面白そうにひとしきり笑った後、ふと表情を引き締めた。
急に落ち着いた矢原にふたりが目をやる。
「……これでこちらから一手が打てますね」
「ああ。何か起こる前に、こちらからな」
受け身しか取れなかったこちらから、仕掛けることができる。
ふと沈黙が降りる。
それぞれに思うところはあるが、向いている方向は同じだ。
つまり『守り抜く』と。
「一応上司に報告しなければならないんですが、順調ということで良いんですね」
「ああ、万事抜かりなく。そっちも現場の調整で大変だろうが頑張ってくれ」
「ええ。もちろんです」
それぞれにやるべきことがある。
それを成し遂げてもまだ完全ではないだろうが、平和なコミマに一歩近づく。
「では」
「ああ」
一足先に江口橋は辞去する。
そして、強くこぶしを握って気合を入れる。
すべては、この場を継続させるために。




