第108話 その裏でのお話
江口橋誠司もまたチャットツールの画面を前にひと息入れていた。
年が明けてまだそれほど経っていないが、すでに夏コミに向けて動き出している。
例年より早いのは、画面の向こうの瑞光寺も要因のひとつである。
江口橋『夜遅くにすまないな』
AKANE『いえ、裏でChikiさんたちとチャットしておりますの』
江口橋『なら良かったが』
コスプレの三人組を思い出す。
彼女らが来てくれて本当に助かった。スキルを身に付けるのも早く、動きに無駄が無い。
そして何よりコスプレをすることで注目を集め、アナウンスを聞いてもらえるのは他にはない強みだ。
今までメイド服やプロ野球のユニフォームといったちょっとした『衣装』のスタッフとは一緒になったことがあったが、あれほど完成度の高い『コスプレ』のスタッフと同じブロックになったのは初めてかもしれない。
また次回もやりたいと言ってくれていたので非常に心強い。
江口橋『夏コミのことだが、引き続きネノの副ブロック長でお願いしたい』
AKANE『もちろんですわ』
江口橋『ありがたい』
ほっと胸をなでおろす。
瑞光寺は、次の夏コミで起こるという大惨事を防がんとコミマスタッフになった。
副ブロック長ではなくもっと他の……例えば地区や総本部に直接行く可能性も考えていた。
そのあたりは和泉や播磨に任せる、ということなのだろうと江口橋は理解する。
江口橋『ネノブロックに現時点で内定しているのは、江口橋、君堂、瑞光寺さん、雀田さん、Chikiさんたち三人』
江口橋『おそらく倉敷さんと児島さんも登録してくれたらネノになると思う』
AKANE『そうですわね』
正確に言えばネノブロックに来てくれるのではなく、瑞光寺に付いてきてくれるのだろうが。
結果的には同じになったので黙っておく。
江口橋『朝日も引き続きと言ってくれていたが、矢原は分からない。地区本かもしれない』
AKANE『情報担当にというお話でしたわね』
江口橋『ああ、ブロック員よりは全体を見る方が生かせると言えばそうだな。山城さんから提案されていた』
矢原の情報処理能力は以前から評価されていた。
彼が現場を希望するからこそ、長らくネノブロックで腕を振るっていた。
だが次回、矢原には情報処理に専念してもらう方が良いと山城が言っている。そしてその意見に江口橋も賛成であった。
AKANE『雲雀さんが保留ということは、ハパブロックかしら』
江口橋『まだ迷っているのかもしれない』
AKANE『となると、ブロックが手薄ですわね』
江口橋『ああ。だが確定している人数だけでも十人いるからな』
AKANE『そう、ですわね』
こと偽壁に関しては、人数が必要というより頼れるかどうかが大事だ。
いざとなればハパブロックからの支援も受けられるし、東6が引き続き冷泉のホールである以上、冬コミと同じようにいくらか頼らせてもらうこともできるだろう。
通常のコミマの偽壁であれば、この十人で回せないこともない。
若手は多いがどんどん実力をつけている。
しかし、次の夏コミはそうではない。
江口橋『和泉さんの話によると、次の夏コミはかなり大きな対策を行う』
江口橋『来週あたりにブロック長副ブロック長までは共有される情報だ』
逆に言えば、時期が来るまでそれ以上広げることのない情報だ。
混乱を防ぐのもあるが、何よりギリギリまで『敵』に悟られないようにしたい。
江口橋『まず入口での手荷物検査を抜き打ちで行うことにした。これは抜き打ちだから本当にギリギリまで伏せる』
AKANE『ものすごい人数が必要ですわね』
江口橋『ああ。だから館内からもそれなりの人数が貸し出される予定だ』
AKANE『混雑対応に割ける人数が減る、と』
江口橋『そういうことだ』
通常、一般入場の終了は早くて昼。
そして混雑のピークもまた昼頃だ。どうあっても混雑対応要員が足りなくなる。
AKANE『他から人を雇うのもひとつですわね』
江口橋『それも含めて検討中だ』
いずれにせよ、ブロックで最大三人取られると見ておくべきだろう。
非常に苦しいところであるが。
江口橋『本題なのだが、入口の手荷物検査でそれなりに不審物は弾けると見ているが、完ぺきではないと思っている』
AKANE『そうですわね』
江口橋『中に入ってしまったものについては、全員で探さなければならない』
AKANE『全員というのは、スタッフだけではないということですわね』
江口橋『その通りだ』
冬コミの終わりに口にした『コミマの総力』だ。
それは文字通り、あの会場にいる全員の力を指す。
江口橋『だが、普通にやっても一般参加者やサークル参加者はそこまで協力してくれないだろう』
江口橋『どうすればいいのか検討中なんだが……』
AKANE『あの、江口橋さん』
江口橋『何か良い考えが?』
少し返信が遅いのは裏でのチャットのためだろうか。
そちらの会話に興味はあったが、女子で楽しく話している中に首を突っ込むような無粋はしない。
AKANE『黄色い紙』
AKANE『いえ、青封筒をプレゼントすればサークルの方は動くのでは』
江口橋『青封筒』
サークルの当選率が飛躍的に上がり、ほぼ当選するようになる申し込み封筒だ。
確かに、サークルとしては当落を心配する必要がなくなるというのは魅力的だろう。
問題点は、その次の冬コミに申し込む気が無いサークルには利が無いことぐらいだろうか。
江口橋『なるほど、良いかもしれない』
AKANE『となると、一般参加者には』
AKANE『通行証』
江口橋『通行証』
ふたり同時に同じ文字列が発言され、江口橋は口角を上げる。
こちらの方が、より効果があるかもしれない。
会期中もっともフットワークが軽く、もっとも移動距離が長く、そしてもっとも数が多いのは一般参加者だ。
そしてその一般参加者が望むのは、より早く会場に入ること。
すなわちサークル入場時間に会場に入ること。
次回の冬コミで誰よりも早く会場に入ることが保証されるのであれば、協力者は増えそうだ。
AKANE『あとは不正対策ですわね』
江口橋『そこは残りの時間で検討されるだろう』
AKANE『多少の不正を恐れるよりは、参加人数がより多い方がよろしいかと』
江口橋『同意だ』
そう。
もし瑞光寺の言う事態が起こってしまうのであれば、不正どうこうなど取るに足らない。
そもそも存続の危機なのだから。
AKANE『あとは、知り合いにできるだけ声をかけるぐらいかしら』
AKANE『普段参加していない信頼できる人に、コミマがピンチであること、不審物を探して欲しいことを正直に』
AKANE『もしそういった「仲間」が増えたとして』
AKANE『当日、お互いに何も言わずとも仲間であることが分かれば面白いですわね』
瑞光寺の指すところが分からず、江口橋は首をかしげる。
江口橋『どういう』
AKANE『腕章でなくても……例えば赤い紐を手首に巻いたり、同じ指輪を身に付けたり……少し分かりづらいかしら』
江口橋『ああ、なるほど』
スタッフの意思を共有した『仲間』を見分けるというわけか。
江口橋は、とあるラジオのリスナーが『ベル』を持ち、お互いを認識する目印にしていたという話を思い出した。
とても懐かしいが、知っていれば分かる何かで「仲間」だと判断できるのは確かに面白い。
江口橋『情報漏洩にだけは気を付けないとな』
AKANE『だからこそ、お互い見ず知らずあっても信頼できる仲間になるのですわ』
江口橋『そうだな』
それからまたしばらく、夏コミに向けての話が続いた。
この夜の話し合いについては、和泉を通してすぐ播磨に共有されいくつか採用されることになる。
夏コミの布石は、もう始まっている。




