第105話 冷泉で遊ぼう
冷泉一条の東6ホールコンビを見送っていると、また後ろから声をかけられた。
「おお、瑞光寺さんではありませんか!」
「菊田さん、ごきげんよう。少しお疲れですわね」
C96夏に東2で一緒に業務をした菊田だ。
そういえばホール長になったといつか聞いていた。
「いやいや。あと撤収ぐらいどうということはありません。またご一緒する機会があれば、ぜひお願いします」
「そうですわね。でも同じコミマスタッフですもの。ご一緒しているようなものですわ」
「なるほど! なんと視野の広い。さすがは瑞光寺さんです! おっしゃる通りですね。我々は自分のホールの平和を守りますが、瑞光寺さんと共にコミマ全体を守っているに等しいのですね!」
「ええ。そういうことですわね」
相変わらず声が大きい。そして丁寧な敬語。
人生においてもコミマスタッフにおいても明らかに菊田の方が先輩なのだからやめてもらいたいのだが、最敬礼を受けたあかねは言うタイミングを逃してしまった。
「次のコミマは中々厳しいことになるかと思いますが、瑞光寺さんがいらっしゃるなら456は安泰ですね」
「買いかぶりすぎですわ。精一杯頑張りますけど」
「ふふ。瑞光寺さんの精一杯に負けないよう、こちらも頑張りますよ! なあ藤崎!」
大きく胸を張って、自信に満ちた表情で藤崎を見る。
急に振られた藤崎はあわあわしていたが、菊田に軽く背中を叩かれて背筋を伸ばす。
「では戻ろうか。失礼いたします!」
菊田は深く頭を下げ、それを見た藤崎が慌てて頭を下げるとふたりは東2へと戻って行った。
急に静かになったような気がする。
実際は撤収の作業音が良く聞こえてきていて、静かではないのだが。
黙って見守っていた雀田が、ようやく口を開いた。
「賑やかな方でしたねえ」
「ええ。東2のホール長ですわ。以前東2でお世話になりましたの」
「なるほど……お嬢様も顔がお広いですね」
感心する雀田。
まだ四回目のコミマ。そう知り合いが多いわけでもないが、順調に増えているような感じはしている。
「ところで、雀田は何か用かしら」
「ごみ袋が来ないので困っていたのです」
すっかり忘れていた。
机椅子の集積場所に置くごみ袋を取りに来たのだった。
雀田と共に集積場所へと向かおうとしたところで、東5ホール長の和泉に呼び止められた。
「今日のうちに東6にお礼を言っておかないとな」
とのこと。確かに偽壁の列をいくつか東6ホール方面に丸投げした。
ホールとしてお礼を言っておく必要があるということだろう。
江口橋の姿は見当たらなかったが、あまり遅くなっても忙しいとのことなのでふたりで東6ホールまでやって来た。
どうも撤収が東5より早い。聞けば東6のスタッフは撤収の効率化に注力しているとのこと。
「クソお世話になりました! ありがとうございました!」
ホール中に響くような大声で、和泉が頭を下げる。
冷泉はダンボールを抱え呆れたように糸目を和泉に向けていた。
「和泉さん、その周囲にアピールしまくりながら頭下げるのやめてくださいません?」
「その方がそっちもやりやすいだろ」
「否定はしないですけど」
よく分からなかったので後で聞くと、こういうパフォーマンスで東5から列を押し付けられた不満感が和らぐという。
冷泉も「東5はちゃんと筋を通した」と説明しやすい。
「まあ外周は5ホールに頼りっぱなしだったみたいだからお相子です」
「それはそれ。これはこれだ」
「私も大声で頭を下げろと?」
口元をひくひくさせる冷泉だが、和泉はそれを見て楽しんでいるようだ。
「和泉さん、遊びに来たのではありませんわ」
「ああ、そうだな」
「瑞光寺さん、あなた5ホールに染まってきたわね……」
「和泉ー、ちょっとー!」
東5ホールの方から和泉を呼ぶ声が聞こえる。
すっかり片付いてきて、離れていても声が通りやすい。
「おっと……すまん、戻らないと。じゃあまた、次もよろしく頼む」
「はあ、もう……」
言いたいことだけ言って姿を消す和泉に、冷泉がため息をついた。
残されたあかねはふと気配を感じて横に目をやる。
「あら、一条さん、ごきげんよう」
「……」
あかねに頭を下げてから、じっと冷泉を見る。
「冷泉」
「な、何?」
一条のジト目にたじろぐ。
さらに距離を詰め冷泉の顔をじっと見る。
「……浜松町のオンリーで瑞光寺さんのことバカにしたって聞いた」
「うっ」
糸目をぎゅっと瞑って、冷泉が天井を仰いだ。
前回の夏コミで謝られたような気がしていたが、違っただろうか。
「黒歴史よ……やめてよ。誰が言ったのよ」
「誰でもいい。本当なのね」
鋭い目で睨まれた冷泉がさらに怯む。
一条はため息をつくと、冷泉の腰を叩いた。
「謝って」
「はい……ごめんなさい、瑞光寺さん」
「この間の夏コミで済んだものと」
「あれは夏コミの間の暴言について。今回はそれより前のオンリーの話」
一条はあかねの方に向き直すと、静かに頭を下げた。
「ごめんなさい、瑞光寺さん。私が浜松町にいればちゃんと殴れたのに」
「なぐっ……」
絶句する冷泉をよそに、あかねは一条と向き合う。
切り揃えた髪と鋭い目は雀田に似ているが、大人しそうに見えて過激なところは少し違う。もっとも、過激なのは冷泉に対してだけかもしれないが。
一条なりの愛情表現なのだろう。
そう考えたあかねは、どこか硬い表情の一条に小さく笑いかける。
「あら、でも冷泉さんらしい表現でいらしたわ」
「やめて……」
か細い声が聞こえたが、一条はすっぱり無視をする。
「冷泉らしい?」
「ええ。わたくしが練馬だと聞いて『今日のお弁当のキャベツが美味しくないでしょう』とおっしゃったのよ」
「うん?」
一条は意味が良く分からず首をかしげるが続きを促す。
「よく知らずに練馬をバカにする人は、大抵練馬大根にちなんでバカにするのです。冷泉さんのおっしゃりようは、練馬のキャベツ生産量が高いことを知ってのことですもの」
前回の夏コミで、虚勢だったと冷泉は言った。
ただそれでも、良く知らずに言われるのと知ったうえで言われるのとでは印象が変わる。
「きちんと練馬の知識がある方なのだと」
「私はね、知らずに批判したり煽ったりはしない主義なの」
「そもそも煽るな」
「はい……」
一瞬胸を張った冷泉は、すぐさま一条に叩き落される。
冷泉はどうだか分からないが、一条はどこか楽しんでいるようにも見えた。
「瑞光寺さん」
「なんでしょう」
「面白いね」
あかねを見上げた一条が、にっと口角を上げる。
初めて見た笑顔だ。
どうやら褒められたのだとワンテンポ遅れて理解する。
あかねは自分のことを「面白い」と評された記憶はない。
笑顔を見せられるようになって、印象が良くなってきたのだろうか。
「光栄ですわ。でも、冷泉さんほどではありませんわ」
「なっ?」
言われた本人は驚いて顔を上げる。
「それは、そう」
「ななっ!?」
一条の追い打ちに、さらに驚きの表情を見せる。
どちらから責めたものかとふたりを交互に見やっていると、東6ホールの本部から声がかかった。
「冷泉さーん! 地区本が呼んでるー!」
「はーい! 今行くわ!」
反射で返事をする冷泉が、はっとする。
あかねと一条にじっと見つめられていることにも気づいて、急に顔を赤くした。
「……」
「……」
一条は相変わらず口角を上げて笑っているし、あかねもまた微笑ましいものを見る目で冷泉を見ている。
いたたまれなくなった冷泉は、ばっと身を翻す。
「おっ、覚えてなさいよ!」
悪役のような捨て台詞を残して去っていった。
残されたふたりは無言で目を見合わせると、お互いに表情を緩めた。
「ね?」
「ええ」
言葉少なく通じ合ったのだった。




