第101話 3日目 その場所
人の流れが絶えず変わるトラックヤード側外周通路。
片側通行を促すスタッフのアナウンスは響いているが、それでも無理をして進んでしまう人もいる。
なんとなく、後ろからの圧力に足が動いてしまうのもあるだろう。
肩や足がぶつかることはままあるのだが……
「いてっ!」
「おいちゃんと見ろよ」
「はあ? 見てないのはあんただろ」
ふとしたタイミングの悪さ、相性の悪さ、お互いの余裕のなさ……
そういったものから一触即発の雰囲気になることもある。
今にも小突き合いのケンカに発展しそうな一般参加のふたりに、割って入る声があった。
「立ち止まると危ないですわ。続きがしたいのでしたら別の場所でお聞きいたしますわよ」
ふたりが同時に目を奪われる。
作品には触れていなくとも、キャラは何となく知っている。ふたりにとってケモパの狐娘はそういう位置づけだった。
「スタッフさん、こいつ……が……」
声を上げた男のトーンが急激にダウンする。
目の前にいるスタッフ……あかねの存在感に、異様なものを感じ取ったのだ。
ただ泰然とたたずむ狐娘。
目が釘付けになるとともに、自身の怒りもしぼんでいくのを感じた。
ここで争っている場合ではない。
「どうか、なさいまして?」
丁寧な口調の端に、警告の色を忍ばせている。
ふたりは耳ではない、何か違う器官でそれを感じ取ったように思えた。
「いや……」
「いえ……」
互いに気まずそうに目を合わせると、狐娘は満足げにうなずいた。
「では結構」
ぱんぱんぱん、と三回手を打つと、ふたりはびくりとしてそっと会釈をして別れる。
数秒前までの怒りなどどこかに消え失せ、不安と、畏怖と安堵を抱えて歩いて行った。
(そう、そんなことで時間を浪費している場合ではありませんでしてよ)
どちらの背中も見送ると、あかねは巡回を再開しようとした。
その時、無線が入る。
『こちら江口橋、瑞光寺さん取れるか。どうぞ』
「瑞光寺です。何かございまして?」
『ネ24の列が非常口から出て4ホール方面にかなり伸びてるらしい。朝日が対応中のはずだが様子を見てもらえないか』
「承知いたしましたわ」
ちらりと目をやると、ネ24の列は雲雀とトシヤが必死にパケット送りをしている頭から非常口を経由して外へと続いていた。
非常口周りは列が埋めていて出入りしづらそうに見える。東4方面に伸びていると江口橋が言っていたので、中央縦通路のシャッターから出る方が良いだろう。
外周の流れに乗って、トラックヤードへと歩いていく。
長らく熱気のこもるホールの中にいると、外の冷たい空気がむしろ気持ちいい。
冬の空は晴れ渡り、雲ひとつない。
放射冷却で冷えたらしいが、運良く無風の今は非常に快適に感じる。
「朝日さん、ごきげんよう」
「おお、瑞光寺さん、お疲れ様。ケモパのコスのクオリティ高いですね」
果たして江口橋の言う通り、列の維持管理をしている朝日がいた。
コスプレを褒める程度には余裕があるようだ。
「これはまた、恐ろしく並びましたわね……」
列を見て、あかねがつぶやく。
せいぜい五十から七十人程度だと思っていたが、その四倍ぐらい並んでいるように見える。
キャパシティ的にも綱渡りだろう。
「矢原さんの読み通り……と言いたいところだけどそれ以上。こっちに導線引けって言われたとき半信半疑だったけど、結果的にこれしか助かる道がなかった」
この人数はホール内で並べきれないだろう。
並べたとすると通行に大きな支障が出ていたはずだ。
「列の維持は問題ありませんこと?」
「大丈夫。外はシブロックも見てくれるし、むしろあまりやることがないかも」
確かに外周の担当であるシブロックに任せた方が良いかもしれない。
一部を違うブロックが管理するよりも一元管理する方が合理的だ。
「それでしたら、中に戻ってもらってもよろしいかしら。シブロックにはわたくしから説明いたしますわ」
「そう……あー、いや。シブロックへの説明は同席するよ。状況は当事者から説明したほうがいいと思うし」
「そうですわね」
シブロックには悪いが、ここにネノの人員を取られるのは勿体ない。
あかねは近くで集まっていたシブロック員に声をかけると、列の管理を任せたい旨を申し出る。
ちょうどシャッター前のサークルの列が解消しそうなタイミングで導線を組み替える検討中だったらしく、彼らも一括でする方がありがたいようだった。
朝日も交えて円滑に引き継ぐことができた。
その引継ぎだけでも、朝日は中々優秀であることがうかがえる。
伝えるべき情報の取捨選択が的確なのだろう。想定していたよりも早く引継ぎが済んだ。
「瑞光寺さん、写真って良いですか?」
「ええ、もちろん」
携帯であかねの狐娘を撮影する、余裕の朝日。
列の作成は大変だったはずだが、そんなことを全く感じさせない。
写真を満足そうに確認すると、丁寧に頭を下げた。
それからホール内の状況を伝えると、朝日はひと足お先にと挨拶をしてホール内に早足で向かっていった。
そう、朝日もまた混雑対応が大好きだそうだ。
「ネノ瑞光寺から江口橋さん。これから朝日さんがネノにお戻りです。以上」
周囲に移管しながらではあるが、ネノブロックとしてのピークは無事乗り切れそうだ。
あかねは放置されていたペットボトルを拾い上げると、出入りシャッターの脇にあるゴミ箱へと向かった。
ゴミ箱の周囲には列が置かれないこともあり、小休止する参加者が数人立ち止まっている。
あかねがペットボトルのごみを捨て、ホール内に戻ろうとしたところで、持ちにくそうにダンボールを抱えるサークル参加者の姿を見かけた。
それはあかねにとって数少ない顔見知りのサークル参加者。
サークル『苺亭』のべりまるはあかねに気づくと、ぱっと笑顔を見せる。
「あっ、瑞光寺さん」
「べりまるさん。ごきげんよう」
「ご、ごきげんよう」
べりまるとは池袋漫画革命の縁もあり、ちょくちょくSNSでも交流している仲だ。
もちろんあかねのコスプレも知っている。
「『ケモパ』だ。可愛い」
「ありがとうございます」
目を細めて笑うべりまるに、あかねは優雅にひざを折った。
なお本家の狐娘はこういう仕草はしない。
「段ボールがたくさん……ということは、頒布が順調ですのね」
「はい。まとまってきたので捨てておこうと思って」
後であいさつに行こうと思っていたが、べりまるの『苺亭』はシブロック、つまり外周の配置だ。
初の壁配置となったべりまるは、張り切ってグッズ類をたくさん作ってセットにしたらしい。
その結果がこのダンボールなのだろう。
「少しお持ちしますわ」
「い、いいえ! ……と言いたいところですが、この小さい分だけお願いできますか。持ちづらくて」
「もちろんですわ」
大きさがまちまちのダンボールは案外滑って持ちづらい。
イレギュラーな大きさのものを持ってもらうだけでもずいぶん楽になる。
といっても、ゴミ箱はすぐそこなのだが。
ふたりでダンボールをゴミ箱に入れると、べりまるは笑顔でお礼を言った。
ふとその笑顔が消え、べりまるの表情に不安そうな影がよぎる。
「あの」
言うべきかどうか迷っているのだろうか。
あかねは特に促しもせず、べりまるの言葉を待った。
「……瑞光寺さん、あの、昨日なんかまた騒ぎがあったって聞いたんですが」
昨日、警戒レベルが上がった東3ホールの件だろう。
「ええ、ございました」
あかねは正直に事実を伝える。
あっという間に情報が広がる中、こういったことを隠せるような世の中ではない。
「ちょっとその……コミマでこういうの増えてて心配って子もいて」
あかねは正直ほっとしていた。
SNSで見かけるようなトーンは大抵楽しんでいて、危機感など持っていないような人が多数であるかのように感じていた。
だが、こうしてべりまるのように危惧している人もいるのだ。
「ああ、瑞光寺さんに言っても困っちゃいますよね」
「いいえ。わたくしスタッフですので」
対応するスタッフは、準備会の代表ともいえる。
不安や心配事は、受け止めてもおかしくないのだ。
「何か大きな事件が起こらなければいいけど……考えすぎですよね」
力なく笑うべりまるに、あかねはかける言葉を少し探してしまった。
「……わたくしたちは、常に悪い方のことも想定しております」
自分で言って「たち」の指す範囲が曖昧なことを自覚した。
あかねには、べりまるの懸念を払拭する言葉が見つからない。
「ですが、軽く受け取られている方も……多いですわね」
「そう、ですよね」
歩き出すふたり。
ホール内に足を踏み入れて温かい空気に触れると、べりまるは不安を振り払おうとしているように精一杯笑う。
「あー。すみません、変なこと言って」
「いえ。参加者の皆様には楽しんでいただくとして、スタッフは警戒するに越したことはないですもの」
「それでもサークルや一般も一緒にならないと」
あかねは目を細めてべりまるを見る。
ちゃんと理念が通じている人もいるのだ。
ホールの境目となる小さな段差を超えた瞬間、あかねの世界から音が消えた。
唐突に、夢の景色がよぎる。
燃える本、感じる熱。
そして、倒れている人々。
その中には、あかねに見覚えのある人もいて。
それはまぎれもなく……
べりまるだった。
「……瑞光寺さん?」
言葉が出ないあかねを心配そうにべりまるが声をかける。
あかねは自分の足がおぼつかないと感じ、ふらふらと壁際にもたれかかる。
「えっと……大丈夫ですか?」
べりまるも壁際によって、少し見上げる格好であかねの顔をうかがう。
その問いに答えることなく、あかねは急にべりまるの両肩を掴んだ。
そして、驚くべりまると位置を入れ替え、壁際に押し付ける。
一体何が起こったのかと怯えるべりまるに構わず、あかねは顔を近づけてべりまるの瞳を覗き込む。
「べりまるさん」
「は、はい」
妖艶な狐娘に捕らえられたべりまるは、一連の流れについていけずに呆然としたまま背中に壁の感触を感じていた。
「わたくしは、べりまるさんをお守りいたしますわ」
「へ?」
ぽかんと口を開けたべりまるに、あかねがさらに近づく。
「あのっ」
「わたくしは、あなたごと、このコミマをお守りします」
あかねの瞳に宿る決意。
厳かな誓い。
当事者のべりまるは顔を真っ赤にしながら、目のやり場に困っていた。
あまりにも整った顔立ちの上に、狐娘の雰囲気も相まって直視することができない。
「は、はい……顔近い……」
ぱっと見、コスプレのスタッフがサークルの女性に迫っている図である。
この光景は、目撃者によって次回のまんレポで紹介されることになる。




